比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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きょうは何の日・・・いまから72年前の沖縄戦・・・慶良間諸島に米軍が上陸した日

2017-03-26 | 語り継ぐ責任 沖縄のこと
最近、NHKの「さわやか百景自然」という番組で沖縄の慶良間諸島の美しい自然が写しだされていました。
慶良間諸島ってご存知ですか。沖縄の人を除いてはほとんど知らないかも。
那覇空港の遥か西方40kmに浮かぶ島、船で1時間、そこが慶良間諸島。渡嘉敷島を中心にして大小20余からなる島嶼群です。



※以下は2007年3月26日のブログです。
今日は何の日。1945年3月26日、太平洋戦争で沖縄に米軍が攻撃を開始、慶良間諸島に上陸した日です。沖縄戦争の始まりです。
島にいたのはわずかな日本兵と防衛隊(島民による義勇軍?)と島民です。ほとんどノーガードの島に米軍はいとも簡単に上陸しました。

渡敷島の記録では犠牲者は日本兵76人、軍属87人、防衛隊41人、島民368人(うち集団自決329人)とあります。この集団自決が後々問題になりました。慶良間諸島全体では集団自決は700人といわれます。

1950年沖縄タイムス社が「鉄の暴風」でこの事件に触れます。
1970年大江健三郎が「沖縄ノート」(岩波新書)でこの事件に触れます。
1973年曽野綾子が「ある神話の背景」(文藝春秋社)でこの事件に触れます。

前2者は集団自決が日本軍の指揮者の強制によるものであるとし、曽野綾子さんはそれを否定した意見を展開しました。1985年この論争が始まります。

恥ずかしながらわたしはこれらの本を読んでいません。この論争についても知りません。したがってこのことについて語ることはできません。

沖縄戦線の証言は生きていた方々が数々語っています。封印した人もいます。60数年たった今、語ることのできる方々は少なくなりました。
集団自決は手榴弾、銃、青酸カリ、クワ、鎌、縄などで行われたといいます。これは沖縄本島においても同じです。極限状態の中で何があったのか、わたしにはわかりません。

集団自決は日本軍の示唆によるものであったか否か。わたしには語る資格はありません。ただ集団自決があったことは事実です。そのことを歴史から消してはなりません。


あれから72年たちました。世界でも最も美しいヤンバル(沖縄北部)の海が埋め立てられようとしています。
いま、沖縄で何が起こっているのでしょう。美しい沖縄の海はどうなるのでしょう。


         ※同日の朝日新聞朝刊の「天声人語」に同じテーマのコラムが書かれていました。無断借用ですがコピーして掲載します。
 


※コメント欄オープンしています。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
沖縄は今も… (こきおばさん)
2017-03-27 06:46:23
沖縄が戦場になった事を、知っている若者はいま、どれだけいるのでしょうか。どういう形にでもして、次世代に語り継ぐことが、戦争体験者の義務だと思っています。
よくぞお書きくださいました。
この記事ツイーとさせていただきました。
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米軍はこのときからずっと… (ブルーはーと)
2017-03-30 10:06:26
 私は戦後生まれですが、両親は戦争時代を生きた人たちです。
 先の戦争に対する母の認知情報はとても狭く、学校で教えられたことと、かろうじて自分の目で見、耳で聞いたことのみを信じ、死ぬまで「天皇様がいなかったらお前たちもいないんだぞ」と私には理解不能なことを言っておりました。
 父は、徴兵されて中国山東省に行き、現地除隊してそこで暮らしていこうとしたようですが敗戦になり、母とともに現地に取り残されて、翌年、這う這うの体で引き上げて来ました。父が戦争について語ったことはほとんどありません。

 両親から戦争体験を引き継げなかった者として、自分ができることは本を読み、写真を見、他人の話を聞くことで追体験することぐらいです。これはサボろうとすればいくらでもサボれることです。しかし、政府の言う『英霊』が私にそれを許しません。
 今は、伝え聞き、また、自分の子たちに伝えていく内容そのものを探してウロウロしている状態です。「比企の丘」さんのブログは、(同じ思いの方なのでは…)と嬉しく拝見しました。
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前事不忘 後事之師 (こきおばさんへ・・・ヒキノ)
2017-03-30 20:43:21
もう、ほとんどの人が知らない、知りたくない、関心のない日米戦争の歴史です。
歴史は年号を憶えることでなく、「なぜ」と考えることです。そしてその事柄を学習して考え未来につなげること。
みんながチョッとでもイイからこんな日に思い出してほしい。

朝日新聞の天声人語を追加で掲載しました。
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コメントありがとうございます。 (ブルーはーとさんへ・・・ヒキノ)
2017-04-02 09:04:35
幼いとき戦争を垣間見た世代です。
父は普通の人ですが旧制中を出ていたので幹候学校出て将校に、輜重兵でしたの生き延びました。終戦時は新潟で、捕虜収容所の監督にあたっていた同僚は戦犯になったそうです。兄たちは旧制中で勤労動員、軍需工場、8月15日母はホッとしていたような気がします。教育勅語、軍人勅語は父からも兄からも聞いた記憶がありませんが、小学校には奉安殿というものがあり御真影と教育勅語が収められていました。
資本主義の社会に生きてきた人間ですから、資本主義を否定するものではなく、学生時代は食うために必死で学生運動も関係なし。どちらかというと中道右派です。
ブログを始めて花鳥風月のネタの中にときどき社会派のテーマを織り交ぜてきました。毎日の閲覧ではバックナンバーの社会派のブログが多いようです。「白旗の少女」は一日で今でも二桁の閲覧があります。
一人二人では何もできない社会です。これからの世代の人に考えてほしい。そのためにできるだけソフトに語りかけるようにしています。

コメントありがとうございました。
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