信州上田の・・・六文銭の写真帳
菅平高原・・上信越高速道の上田・菅平ICから国道144号線を鳥居峠方面に菅平口で国道406号線(大笹街道))に入り菅平高原に.・・・
上田市、須坂市に跨る、浅間火山帯の四阿山(2354m)、根子岳(2207m)の麓、菅平湿原を中心とする標高1200mから1650mの盆地。
大正年代からスキーのメッカとして知られ、いまは夏のラグビーの合宿のメッカ、サッカー、テニス、陸上競技の合宿所としても知られるが・・・
高原野菜のメッカです。
夏の平均気温19℃・・・冷涼な気候が高原野菜を育てます。レタスの作付け面積160㌶。
※撮影日は8月11日。
★菅平の高原野菜・・・標高の高い冷涼の地、火山灰土の貧栄養地、米作は不可、古くから養蚕、燕麦、蕎麦,馬鈴薯の栽培が行われてきました。国、県の指導などにより高原に対応した1916年キャベツ、1929年夏白菜の栽培が始められ、1950年代に朝鮮戦争により米軍の食糧調達の特需によりレタス栽培が起こり、本格的な高原野菜の栽培が始まりました。今では日本のレタス生産量一二位は長野県、茨城。※コメント欄オープン。
眠たい眼が一気にパッチリと開いた。
川上村にハイキングした時、
https://blog.goo.ne.jp/tsyouji5243_001/e/452e527ad9244ad588c17e720870c68c
を見た。
ある時は十文字峠に上ったとき夜間の2~3時通りすぎた。
車のライトで農作業しているのには驚いた。
農家の人に話を聞くと、中央高速で、東京に市場に暗いうちに運ぶと言っていた。
新鮮が命!!
,
朝鮮戦争による米軍のレタス需要で神風が吹きました。その後、日本人もレタス、セロリなど見向きもしなかった野菜になれたこともあり、高原野菜農業で食えるようになった。、
川上村を歩けばレタス御殿が見えます。
今年はレタス収穫期に雹が降って全滅だそうです。
労働者は東南アジアからの出稼ぎ。コロナ禍で労働者不足、
いいことばかりじゃないようです。
朝未明に収穫するのは長距離トラックの出発に合わせるため。
都会人も百姓の生活を想い。食事のときは「いただきます」・・・
無責任に素晴らしい光景などと言えませんね。
農家の皆様のご苦労に感謝して「都会人も百姓の生活を想い。食事のときは「いただきます」・・・↑
はい!仰せのとおり感謝して頂きます。
機械されているとはいえ人力の部門の多い農作業です。
感謝していただいています。
コメントありがとうございました。