8月17日、池の平湿原を散歩したあと上田に下って、それから真田一族の発祥の地で真田館跡、信綱寺、真田家の墓所長谷寺などを訪ね、最後に真田本城に登りました。(→yahoo地図)
真田一族って?
戦国時代から、豊臣・徳川の世に移るころ両勢力のあいだに立って一族の継続を計った謀将真田昌幸・・・幸村親子・・・なんていってもわからないでしょうね。
真田六文銭の旗印、上田城を専守防衛して徳川秀忠を撤退させた男、松代10万石の藩主として明治を迎えた家柄。
その先祖が真田家を起した地、上田から菅平スキー場に登る途中の町です。
この城、城郭といっても建造物もなく誰が築いたのかも不明。登ってみると三方は傾斜がきつく刀を振り回すようなところではありませんが、裏から攻められると頼りないですね。この上から戦局を見る物見台のようです。北と東は山と峠で神川(かんがわ)という川の川下に上田平、塩田平という肥沃の地が開けています。
16世紀初頭この地の土豪、真田昌幸の父幸隆(滋野一族の海野棟綱の娘婿?)は武田信玄の父の信虎に攻められ上州に逃れ、後に信玄に仕え、1548年上田原合戦、1551年戸石城を奪取、旧領地の上田小県地方を信玄から封ぜられる。幸隆死後、長男信綱、次男昌輝が長篠城の戦い(武田勝頼vs織田信長)で戦死、三男昌幸が跡目を継ぎ、1583年上田城を完成、本拠地を上田に移し真田本城は廃城。
真田氏に繋がる滋野氏は清和源氏の系譜といわれますが定かではありません。上田は大和王朝時代信濃国府のあったところ、都から来た官僚の大伴系ともいわれます。地方豪族がこういう高貴な系譜を言い張るのは眉唾が多いようです。
それからのことは池波正太郎「真田太平記」(新潮文庫)を見るほうが面白いでしょうね。
大河ドラマ「直江兼続」・・・つづけて見たことはありませんが、断片的に見たことはあります。時の最高権力者に対して地方大名のスタッフがいかにしてその封地(組織)を守っていくかということがテーマのようです。政策(治世)ではなく政局(政界遊泳)ですね。真田家は豊臣、徳川の両方に天秤をかけて真田家という組織を300年守りました。国は君主のものでなく民のもの、真田六文銭はお酒やお菓子や土産物のラベルになっていまも民に愛されているようです。
真田一族って?
戦国時代から、豊臣・徳川の世に移るころ両勢力のあいだに立って一族の継続を計った謀将真田昌幸・・・幸村親子・・・なんていってもわからないでしょうね。
真田六文銭の旗印、上田城を専守防衛して徳川秀忠を撤退させた男、松代10万石の藩主として明治を迎えた家柄。
その先祖が真田家を起した地、上田から菅平スキー場に登る途中の町です。
上田市真田字本原海抜800mぐらいから180mぐらいの比高の地です。
本郭の裏に出ます。
表に回ると本郭にはこんな柱が立ってるだけです。
二の郭から本郭への道。幅は15mぐらいでしょうか。
二の郭から眺めた北方面。道は地蔵峠を越えて松代に出ます。
谷の右側に真田昌幸の兄の信綱の墓所信綱寺、尾引山城、洗馬城、谷の左側に根小屋城。
三の郭から下を見る。比高200mぐらいか。
道は左に行けば鳥居峠、上州岩櫃城、沼田城に。左に下りると上田に。正面の山は戸石城、米山城。
本郭の裏に出ます。
表に回ると本郭にはこんな柱が立ってるだけです。
二の郭から本郭への道。幅は15mぐらいでしょうか。
二の郭から眺めた北方面。道は地蔵峠を越えて松代に出ます。
谷の右側に真田昌幸の兄の信綱の墓所信綱寺、尾引山城、洗馬城、谷の左側に根小屋城。
三の郭から下を見る。比高200mぐらいか。
道は左に行けば鳥居峠、上州岩櫃城、沼田城に。左に下りると上田に。正面の山は戸石城、米山城。
この城、城郭といっても建造物もなく誰が築いたのかも不明。登ってみると三方は傾斜がきつく刀を振り回すようなところではありませんが、裏から攻められると頼りないですね。この上から戦局を見る物見台のようです。北と東は山と峠で神川(かんがわ)という川の川下に上田平、塩田平という肥沃の地が開けています。
16世紀初頭この地の土豪、真田昌幸の父幸隆(滋野一族の海野棟綱の娘婿?)は武田信玄の父の信虎に攻められ上州に逃れ、後に信玄に仕え、1548年上田原合戦、1551年戸石城を奪取、旧領地の上田小県地方を信玄から封ぜられる。幸隆死後、長男信綱、次男昌輝が長篠城の戦い(武田勝頼vs織田信長)で戦死、三男昌幸が跡目を継ぎ、1583年上田城を完成、本拠地を上田に移し真田本城は廃城。
真田氏に繋がる滋野氏は清和源氏の系譜といわれますが定かではありません。上田は大和王朝時代信濃国府のあったところ、都から来た官僚の大伴系ともいわれます。地方豪族がこういう高貴な系譜を言い張るのは眉唾が多いようです。
それからのことは池波正太郎「真田太平記」(新潮文庫)を見るほうが面白いでしょうね。
大河ドラマ「直江兼続」・・・つづけて見たことはありませんが、断片的に見たことはあります。時の最高権力者に対して地方大名のスタッフがいかにしてその封地(組織)を守っていくかということがテーマのようです。政策(治世)ではなく政局(政界遊泳)ですね。真田家は豊臣、徳川の両方に天秤をかけて真田家という組織を300年守りました。国は君主のものでなく民のもの、真田六文銭はお酒やお菓子や土産物のラベルになっていまも民に愛されているようです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます