比企の丘

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信濃国祢津の里の歌舞伎興行③・・・一谷嫩軍記・・・舞台・桟敷一体

2012-05-06 | 信濃の国は 上田・佐久・東信濃
4月29日、信州東御市祢津(ねづ)の里の東町、日吉神社の境内で公演される農村歌舞伎台を尋ねました。

祢津小学校歌舞伎クラブによる・・・こども歌舞伎の次は東町歌舞伎保存会による「一谷嫩軍記」(いちのたにふたばぐんき)の三段目「熊谷陣屋の段」です。

あらすじは・・・平家物語でおなじみ、源氏方の武将熊谷次郎直実が平家の公達平敦盛と組討してその首を取るというところ(史実らしい)・・・芝居では討ち取った首は実はわが子であり、敦盛を逃がすためであったという筋になっています。芝居では直実はわが子を殺したことで出家しますが、史実でも出家して数々の寺を開基しています。直実の墓は晩年の庵であった熊谷市の熊谷寺(ゆうこくじ)にあります。

中央が熊谷次郎直実、右が敦盛の母藤の方、左が次郎の妻相模。ややこしい。
舞台の床の白いのはおひねりです。

熊谷次郎が見得を切る。

首実検にわが子の首を源義経に差し出す熊谷次郎、無常を知った直実は剃髪して出家の旅に出る。

終演の挨拶。舞台はおひねりの花盛り。

桟敷の光景です。

芝居見物の醍醐味は茣蓙(ビニルシートですが)をひろげての食事です。
草餅で作った餡、ゴマ、胡桃のおはぎ、瓜の粕漬、独活と油揚げの煮物。
ご馳走様でした


歌舞伎というものを見るのははじめてです。筋はわからなくても、義太夫がわからなくても、台詞がわからなくても・・・面白いものです。日本の古典芸能の伝統の力です。

いい1日でした。

東町歌舞伎の起源・・・東町歌舞伎保存会には「踊大小入 寛延4年(1751年)6月」と書かれた木箱が伝えられる。現存舞台建造(1817年)の66年前です。日吉神社の現拝殿再建の年だそうです。木箱は拝殿再建を記念して歌舞伎が興行されそのときの諸道具入であろうと推測されます。つまり東町歌舞伎は今から266年前以上にはじめられていたのではないでしょうか。(パンフレットより参照)

※祢津東町歌舞伎の公演は毎年4月最終日曜日?
※埼玉県秩父の小鹿野町の歌舞伎公演は→クリック小鹿野歌舞伎上演スケジュール
※有名な赤石山脈の麓「大鹿歌舞伎」の情報は→クリック大鹿歌舞伎⇒定期公演の最新情報


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