比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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信州・・・伊那の谷の花見紀行・・・高遠のコヒガンザクラの花見に行きました

2022-05-12 | 信濃の国は 伊那・諏訪
信州上田の・・・六文銭の写真帳から

信州桜紀行・・・信州・・・伊那高遠のコヒガンザクラ・・・です。

高遠城址に近い高台の上から高遠市街地、伊那の谷、木曽駒ヶ岳連峰を俯瞰してます。

市街地から高台を望む。

高遠町の中心部。

お蕎麦屋「華留連」さんです。
※撮影日は4月11日。
高遠そば・・・不思議なことに高遠そばという名は高遠にはなく、福島県会津地方にあって、江戸時代初期に藩主保科正之公が会津若松に転封のさい蕎麦打ち職人を連れてゆき、救荒作物として蕎麦の栽培を勧め食べ方を教え、それが現在に至るまで高遠そばと呼ばれてきて、最近里帰りしたものだそうです。基本は大根おろし絞り汁に味噌を溶かしたものが蕎麦つゆ?お蕎麦屋さんには普通の蕎麦もあり、胡桃蕎麦もあり、馬刺し、馬煮込みもあります。
高遠・・・伊那の谷から東、中央構造線の谷に沿った町。戦国時代は高遠氏、武田氏、織田氏の支配、信長亡きあとは無主状態に、保科家が興り高遠を支配、江戸時代に入り保科家が初代高遠藩主、鳥居家、内藤家と継がれ明治の廃藩まで。33000石の城下町、杖突街道、権兵衛街道など交通の要衝。物流の集散地。1875年武家町が東高遠町、城下町が西高遠町に、1889年東西が合併して高遠町に。明治の大合併時、上伊那郡下で唯一の町。2006年伊那市へ合併。合併時の人口6758人。
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