6月23日は「沖縄の日」・・・今年もまた、今日がその日・・・沖縄のこと・・・どれだけ知ってるんだろう。
わたしは沖縄のことを何もわかりません。
ここに一つの歌があります・・・2002年沖縄の本土復帰30周年を記念して、沖縄石垣島出身のアコースティックバンドBEGINが発表した曲です・・・
ウチナンチュウも「僕はどれくらい知ってるんだろう」と歌っています。歌詞は2番のみ抜粋しました・・・
島人ぬ宝(シマンチュウのタカラ)
詞・曲 BEGIN
僕がうまれたこの島の海を
僕はどれくらい知ってるんだろう
汚れてくサンゴも 減って行く魚も
どうしたらいいのかわからない
でも誰より 誰よりも知っている
砂にまみれて 波にゆられて
少しずつ変わってゆくこの海を
テレビでは映せないラジオでも流せない
大切な物がきっとここにあるはずさ
それが島人ぬ宝
※水彩画は「伊江島・タッチュー」2004年(M8号)。伊江島は・・・沖縄北部、本部半島の北西9km、周囲22km、人口4800人。
「沖縄)慰霊の日」・・・1945年(昭和20年)6月23日未明、日本国内で唯一の地上戦となった沖縄で日本軍守備隊最高司令官牛島中将が自決したといわれ、この日をもって日本軍とアメリカ軍の組織的な戦闘は終わりました。
1961年米軍統治下の琉球政府はこの日を「慰霊の日」として公休日と定め、1972年本土復帰。祝祭日から外され、1991年沖縄県条例で「慰霊の日」が復活。
「沖縄屈辱の日」・・・1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約、今年政府は「主権回復の日」と名づけましたが、沖縄では「沖縄県民屈辱の日」と呼んでいます。あの日、沖縄だけは米軍統治下に置き去りにされました、沖縄が日本国に復帰したのはその20年後の1972年、敗戦の日から27年後です。その復帰自体も県の大半が米軍基地のままという状態です。それから41年たった今も1945年のままです。
こんな本を読んでいます。心が重くなります。
山崎豊子著「運命の人 四」(文芸春秋社2009年刊)
全4巻21章からなる長編小説です。沖縄のことを知りたいと思うかたは第四巻(13章~21章)のみでじゅうぶんです。内容は省略して4巻の目次のみ紹介します。
13章沖縄、14章チビチリガマ、15章鉄の暴風、16章OKINAWA、17章土地闘争、18章少女暴行事件、19章ヌチドウ宝、20章米国立公文図書館、21章大海原。
チビチリガマは読谷村にある自然洞窟・・・この中に避難した住民140人余、米軍が投降を呼びかけたがパニックになり84人が死んだ。軍の集団自決教唆とは言えないがイクサさえなかったらこんな悲惨なことはなかったはずである。鉄の暴風では学徒兵のことを・・・旧制中学生で組織された鉄血勤皇隊、約1780人が志願という形で参戦、約半数が戦死。看護要員として動員された女子学徒隊は約500人、うち200人が死亡。「しらゆり部隊」と呼ばれるのは沖縄師範女子部、沖縄第一高女の生徒たちで組織され222名、うち123名が犠牲となった。沖縄国際大学キャンパスに墜落したヘリコプター事件、少女暴行事件で県民の怒りは10万人大集会に発展していきます。
苦渋の島・・・沖縄。シマンチュウのアイデンティティもずたずたにされた沖縄です。
終章で・・・で著者は主人公にこういわせています。
「沖縄を知れば知るほど、この国の歪みが見えてくる。それにもっと多くの本土の国民が気付き、声をあげねばならないが・・・」
沖縄はドコモ・・・人も海も美しい。
わたしは沖縄のことを何もわかりません。
ここに一つの歌があります・・・2002年沖縄の本土復帰30周年を記念して、沖縄石垣島出身のアコースティックバンドBEGINが発表した曲です・・・
ウチナンチュウも「僕はどれくらい知ってるんだろう」と歌っています。歌詞は2番のみ抜粋しました・・・
島人ぬ宝(シマンチュウのタカラ)
詞・曲 BEGIN
僕がうまれたこの島の海を
僕はどれくらい知ってるんだろう
汚れてくサンゴも 減って行く魚も
どうしたらいいのかわからない
でも誰より 誰よりも知っている
砂にまみれて 波にゆられて
少しずつ変わってゆくこの海を
テレビでは映せないラジオでも流せない
大切な物がきっとここにあるはずさ
それが島人ぬ宝
※水彩画は「伊江島・タッチュー」2004年(M8号)。伊江島は・・・沖縄北部、本部半島の北西9km、周囲22km、人口4800人。
「沖縄)慰霊の日」・・・1945年(昭和20年)6月23日未明、日本国内で唯一の地上戦となった沖縄で日本軍守備隊最高司令官牛島中将が自決したといわれ、この日をもって日本軍とアメリカ軍の組織的な戦闘は終わりました。
1961年米軍統治下の琉球政府はこの日を「慰霊の日」として公休日と定め、1972年本土復帰。祝祭日から外され、1991年沖縄県条例で「慰霊の日」が復活。
「沖縄屈辱の日」・・・1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約、今年政府は「主権回復の日」と名づけましたが、沖縄では「沖縄県民屈辱の日」と呼んでいます。あの日、沖縄だけは米軍統治下に置き去りにされました、沖縄が日本国に復帰したのはその20年後の1972年、敗戦の日から27年後です。その復帰自体も県の大半が米軍基地のままという状態です。それから41年たった今も1945年のままです。
こんな本を読んでいます。心が重くなります。
山崎豊子著「運命の人 四」(文芸春秋社2009年刊)
全4巻21章からなる長編小説です。沖縄のことを知りたいと思うかたは第四巻(13章~21章)のみでじゅうぶんです。内容は省略して4巻の目次のみ紹介します。
13章沖縄、14章チビチリガマ、15章鉄の暴風、16章OKINAWA、17章土地闘争、18章少女暴行事件、19章ヌチドウ宝、20章米国立公文図書館、21章大海原。
チビチリガマは読谷村にある自然洞窟・・・この中に避難した住民140人余、米軍が投降を呼びかけたがパニックになり84人が死んだ。軍の集団自決教唆とは言えないがイクサさえなかったらこんな悲惨なことはなかったはずである。鉄の暴風では学徒兵のことを・・・旧制中学生で組織された鉄血勤皇隊、約1780人が志願という形で参戦、約半数が戦死。看護要員として動員された女子学徒隊は約500人、うち200人が死亡。「しらゆり部隊」と呼ばれるのは沖縄師範女子部、沖縄第一高女の生徒たちで組織され222名、うち123名が犠牲となった。沖縄国際大学キャンパスに墜落したヘリコプター事件、少女暴行事件で県民の怒りは10万人大集会に発展していきます。
苦渋の島・・・沖縄。シマンチュウのアイデンティティもずたずたにされた沖縄です。
終章で・・・で著者は主人公にこういわせています。
「沖縄を知れば知るほど、この国の歪みが見えてくる。それにもっと多くの本土の国民が気付き、声をあげねばならないが・・・」
沖縄はドコモ・・・人も海も美しい。
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