JCP市原時夫です

千葉県房総の睦沢町から、政治・経済・歴史・オペラ・うたごえを考えるgabuku@m12.alpha-net.ne.jp

うたごえ「ともしび」が「うたの世界第2集」を発行209曲

2014年01月03日 | Weblog


 昨日は、新宿の「ともしび」に行ってきました。
いつもながら、きちっとした、司会リードと雰囲気のうたごえでした。今まで使っていた歌集「うたの世界」に新たに「うたの世界209第2集」が発行されており、800円。買ってきました。
 「あの鐘をならすのは誰」「さよなら」(小田和正)など、ニューミュージック系なども加わり、ジャンルが広がっています。

たしか、レコードで聞いたことがありました。美輪明宏さん紅白で歌った「ふるさとの空の下に」

2014年01月03日 | Weblog


 美輪明宏さんが「赤旗」に登場。指揮者の池辺晋一郎さんと対談しています。
 NHKの紅白では「ふるさとの空に」を歌ってくれました。この記事をよんで、美輪明宏さん
の、憲法9条堅持、原発ゼロ、従軍慰安婦など、命と平和への思いが一貫していることを知りました。
 

生きる意味を問いかけてくれた、瞳みのるさんの人間の権利へのたたかい

2014年01月03日 | Weblog


 おどろきました。ザ・タイガースの眸みのるさんの今日の「赤旗」記事です。「所属事務所トップを堂々と批判しましたよ。『われの労働の対価はこれでいいのか』と。時には『搾取だ』という言葉も使ってね」「高校(府立山城高校定時制)では社会科学研究会や民青(民主青年同盟)にも入っていましたからね」
 と脱退当時のことをしっかりと語っておられます。
 そして『花の首飾り』の成り立ちに迫っている現在の生き方も。


「赤旗」1月3日付けより
ザータイヴ・・・スが復活しました。1960年代後半、洗練されたギター、ドラムと歌唱でグループサウンズの頂点に立った音楽バンド。5人がそろうのは実に44年ぶりです。師走の全国ツァー、27日の東京ドーム公演が打ち上げでした。
゛ピー゛こと瞳みのるさんのしなやかで澄んだドラムスが会場に響きました。
 「正直ほっとした。でもあの時ああ演奏しておけばという悔いも残る。5人公演はこれが最後かなという思いも頭をかすめる」
 京都市生まれ。65年、学校仲間たった岸部おさみ(現・一徳)さん、森本太郎さん、加橋かつみさんとタイガースを結成。少し遅れてボーカルの沢田研二さんが参加します。「 僕は小さい頃に手が凍傷気味になって、指が少し不自由。そんなこともあってドラムに。なあにスティックと、台の上に敷く雑巾さえあれば練習できますから」
 2011年の全国ツアーで演奏(瞳さん提供) でいいのか』と。
 66年秋に上京。直後から「シーサイドーバウンド」「花の首飾り」など立て続けに大ヒットを飛ばしました。
    ◆脱退・解散
 音楽路線をめぐる微妙な違いがきっかけで加橋さんが69年に脱退。瞳さんも、「かわいい子」調の歌ばかりでバラエティー番組でふざけさせられるという使われ方に、強い疑問を感じていました。
 「所属事務所トップを堂々と批判しましたよ。『われわれの労働の対価はこれでいいのか』と。時には『搾取だ』という言葉も使ってね」。ほぼ50年前を振り返り、こう付け加えました。「高校(府立山城高校定時制)では、社会科学研究会や民青(民主青年同盟)にも入ってましたからね」事務所との論議の決着がつかないなかで、タイガース脱退の決意を固めます。
 「僕はタイガースの生え抜きという自負がある。僕がやめるなら解散、ということでみんなに納得してもらった」
 71年1月の解散コンサートを終えた夜にトラックに荷物を積んで京都へ。猛勉強の結果、翌年に慶応大に合格し中国文学を専攻しました。「やるなら全く違う分野でと。定時制2年のときに中国語の授業があっだのが縁といえるでしょうか」
 その後33年間、慶応高校で漢文と中国語を教えました。「芸能界と縁を切り、本名の人見豊(みのる)に返ってのびのびと自由にやれた。生徒にはほんとに感謝しています。解散以後、ドラムのスティックはまったくさわらなかった」
    ◆今なら″と
 2008年、そんな瞳さんの耳に「ロングーグッバイ」という曲が聞こえてきました。岸部・沢田・森本共作で、瞳さんに向けて゛今なら笑って話せるだろう”と訴えかける内容でした。
  一世代30年、いやそれ以上たってる。もう時効かな、と」。少し照れくさそうな笑みを浮かべました。
 3人の呼びかけに応えてH年秋からの「沢田研二全国ツアー」に参加。しかしまだ加橋さんは顔を見せず。「僕も加橋と長時間話し合いましたよ。ようやく12年の秋に合意ができました」
「メンバーの誰にとっても、タイガースとは一生背負う大きな荷物”なんでしょうね」。その荷物の一つが、昨年12月に出た自著『花の首飾り物語』です。
68年のこの曲の懸賞募集作詞の女性を探しだし、その成り立ちに迫りました。さらに女性の出身地の町おこしに協力しようとしています。
 67歳で迎えた新しい年。 百中の音楽交流史の探求を進めたい。日中関係は複雑ですが、長期的な目で、国民レベルでの友好を強めていくことが何よりも大切だと思います」
     文  小寺松雄
     写真薪章彦