小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

高校が過疎を救うということ:子供を産める田舎の再生モデル

2012年12月17日 | 社会戯評
高校が過疎を救うということ:子供を産める田舎の再生モデル
先日、新聞で、「高校が過疎を救う」という島根県の離島・海士島(あましま)に移住して、地域再生の取り組みをしている離島魅力化コーディネーターを紹介している記事を読んだが、なかなか、示唆に富んでいて面白い。山村留学や離島留学を通じて、「人つなぎ」という観光ツアーでの街おこし、村おこしで、第一回観光甲子園グランプリを獲得して、今も、継続中であるらしい。離島の連絡船やバスの接続の悪さを解消するダイヤ改正を提案したり、生徒の少ないことを逆手にとって、学校での個別指導や、島の自然・文化・歴史を研究したり、キャリア教育を実施したり、Iターン誘致にも、積極的に関わって、提言やら、島民とのウチ・ソトの交流を図っていると、、、、、、。とりわけ、子供を産み育てる20/30歳代層に対するIターン策として、「教育と産業振興」が、どうやら、キーポイントであるらしいことが、分かってきた。刹那的な一瞬の愉しみではなくて、何世代にも亘って、持続可能な幸福を享受できる仕組みを作り上げることが、重要で、それを度台にして、「田舎センス」というものが、成り立つらしい。資源が乏しく、少子高齢化も急速に進行する島国では、田舎に昔からある「三方良し」という概念、都会的な競争に勝った、負けたと一喜一憂することなく、「なるべく、負けを作らない」伝統的な文化を、学校教育、とりわけ、高校での教育に取り入れて、外からの部外者と地域協同体の人間とが、協働してゆけば、未来の新しい文化の地平が、切り拓かれてくるのではないかと、、、、、、、、。大人達の諦めない、全力で何かに立ち向かおうとする姿勢と継続性・持続性を子供達に、見せてさえいれば、自ずと、子供達は、育ってきて、若者は、一度は、外へ出て行っても、再び、又、戻る人が増えてくるのではないかと、、、、、、。離島モデルとしてだけではなくて、全ての日本国中での過疎化、少子化対策にも通じるモノがあろう。確かに、子供を産めない、或いは、育てる環境に乏しい中では、結局、安い賃金で、働くことを余儀なくされ、ますます、高齢化と老齢化と少子化とのダウン・スパイラルに、陥ってしまうことになる。存外、産業振興と子育て環境の整備と高校の重要性とは、街おこしや地域振興の中では、盲点のように、見落とされてきたところがあり、行政の方でも、個別の縦割り行政的なものであるような気がしてならない。古民家の格安賃貸紹介・補助制度も、産業振興がなければ、或いは、学校教育も確保されていなければ、結局、一部の芸術家やITプログラマー・陶芸家のような特殊な職業の人間しか、移住できない仕組み作りになりかねないのが現実であろう。資本の論理で、勝ち組・負け組を峻別して、そうした貧富の格差社会までもが、一律に、田舎の地域の中にまで、持ち込まれてきてしまうのでは堪ったモノではない。そうしないと、一度、下り坂になろうものならば、ひたすら、国中が、疲弊して、右へならいとなり、それこそ、戦前の貧困と身売りを出しかねない。当時に比べれば、むろん、豊かになってはいるものの、まだ、高齢化と少子化と、そして、安心して、子供を産める、そして、育てられる、生活が出来る環境つくり、再生モデルは、まだ、構築されていない。美しい日本から、新しい日本へ、言葉だけ、変更されて、日本が、本当に、取り戻されるのか?こういう草の根の地道な取り組みは、確かに、もっと、もっと、評価・検討されてもよいのではないだろうかと思われるが、、、、、、、。小布施や湯布院とも、又、違った取り組みである。