労働分配の不平等性:「ロボットと泥棒男爵」
08年に、ノーベル経済学賞を受賞したPaul Krugman教授のコラム記事が、一寸、面白かったので、引用してみる。嘗ては、労働分配率の不平等性は、圧倒的に、労働者対資本家という旧来の図式であったが、むしろ、労働者間での分配の不平等性で、高学歴労働者と低学歴労働者の格差とか、金融部門などの一部の超高級所得者や、正規雇用・非正規採用労働者という差別(日本では)などをベースに、議論されてきた。企業所得は、一方、成功をもたらすはずのスキルを持つような労働者を含めて、労働者全般を犠牲にして、企業所得は、増加をしてきたと、、、、、、。何故、このような議論が起きたかという原因に関する説には、二つあると云われる。ひとつは、技術が、労働者を不利な状況に追いやったとする説、もうひとつは、独占力の急拡大の影響を目にしているのだというもの。機械やロボットが、実際、人の労働を奪い、必ずしも、安価な労働力を求めて海外に生産拠点を持たなくても良いという傾向も、業種により、確かにあるかもしれない。(アップルの事例などの国産化、マザーボードの組み立て作業のロボット化等)、技術に取って代わられる労働者が、単純作業労働者だけではなく、高度なスキルを有する労働者も又、その限りではない。言い換えれば、技術に取って替わられつつある雇用の多くが、元来は、高度なスキルを要し、且つ、高い賃金を得られる仕事であると言うことである。革新と進歩とは労働者全般に打撃を与え得ることになるのであろうかとも、、、、、、。産業革命初頭期には、実際、資本集約的な新技術が労働者の暮らしを悪化させ得るということもあったようであるが、、、、、、、。では、それならば、(ウォール街の)金融泥棒男爵達は、どうだろうか?独占や訳の分からぬ規制緩和によって、寡占が一層進み、結局、労働力需要の低迷を招いた重要な要因であるという議論もある。そう考えれば、労働者派遣法や、非正規雇用労働者の採用を、途上国による低賃金労働への唯一の対抗措置として、喧伝され、製造業も、教師も、聖域無き適用拡大の結果、アップルのような個性的な商品開発に、遅れを執ってしまったのは、一体、何処の国であろうか?技術革新や独占・寡占だけで、現在進行中の労働価値の切り下げが、どれ程、説明出来るかは、定かではないが、韓国の財閥を代表とする富の分配に於ける偏重と、国や会社だけが富んで、万骨枯れる式の経済運営と、今日、何とも不可思議な光景が、何処の国でも見られるが、、、、、、。今や、スキルや教育で、労働価値が決定されるのではなく、労働者の犠牲の上に、企業利益が増大する下で、金融独占資本で、所得格差が決まるような世界に、後戻りしてはならないと、クルーグマン教授は、コラムで、訴えているが、相続税の軽減措置とか、富の相続に対する危惧や、法人税の低減とか、に対する懐疑は、まるで、マルクス経済学者も目を丸くして、驚くような論旨で、アメリカの経済学者は、なかなか、面白い主張をするものである。日本の官製学者も爪の垢を煎じて飲んで貰いたいところである。原文が検索で見つかったので、読み返してみたが、長くないので、是非、原文を読まれることをお勧めします。自分自身の労働付加価値は、一体、どれ程の価値があるのであろうか?改めて、考えさせられるが、、、、、、、、、。
原文:http://www.nytimes.com/2012/12/10/opinion/krugman-robots-and-robber-barons.html?ref=paulkrugman&_r=0
08年に、ノーベル経済学賞を受賞したPaul Krugman教授のコラム記事が、一寸、面白かったので、引用してみる。嘗ては、労働分配率の不平等性は、圧倒的に、労働者対資本家という旧来の図式であったが、むしろ、労働者間での分配の不平等性で、高学歴労働者と低学歴労働者の格差とか、金融部門などの一部の超高級所得者や、正規雇用・非正規採用労働者という差別(日本では)などをベースに、議論されてきた。企業所得は、一方、成功をもたらすはずのスキルを持つような労働者を含めて、労働者全般を犠牲にして、企業所得は、増加をしてきたと、、、、、、。何故、このような議論が起きたかという原因に関する説には、二つあると云われる。ひとつは、技術が、労働者を不利な状況に追いやったとする説、もうひとつは、独占力の急拡大の影響を目にしているのだというもの。機械やロボットが、実際、人の労働を奪い、必ずしも、安価な労働力を求めて海外に生産拠点を持たなくても良いという傾向も、業種により、確かにあるかもしれない。(アップルの事例などの国産化、マザーボードの組み立て作業のロボット化等)、技術に取って代わられる労働者が、単純作業労働者だけではなく、高度なスキルを有する労働者も又、その限りではない。言い換えれば、技術に取って替わられつつある雇用の多くが、元来は、高度なスキルを要し、且つ、高い賃金を得られる仕事であると言うことである。革新と進歩とは労働者全般に打撃を与え得ることになるのであろうかとも、、、、、、。産業革命初頭期には、実際、資本集約的な新技術が労働者の暮らしを悪化させ得るということもあったようであるが、、、、、、、。では、それならば、(ウォール街の)金融泥棒男爵達は、どうだろうか?独占や訳の分からぬ規制緩和によって、寡占が一層進み、結局、労働力需要の低迷を招いた重要な要因であるという議論もある。そう考えれば、労働者派遣法や、非正規雇用労働者の採用を、途上国による低賃金労働への唯一の対抗措置として、喧伝され、製造業も、教師も、聖域無き適用拡大の結果、アップルのような個性的な商品開発に、遅れを執ってしまったのは、一体、何処の国であろうか?技術革新や独占・寡占だけで、現在進行中の労働価値の切り下げが、どれ程、説明出来るかは、定かではないが、韓国の財閥を代表とする富の分配に於ける偏重と、国や会社だけが富んで、万骨枯れる式の経済運営と、今日、何とも不可思議な光景が、何処の国でも見られるが、、、、、、。今や、スキルや教育で、労働価値が決定されるのではなく、労働者の犠牲の上に、企業利益が増大する下で、金融独占資本で、所得格差が決まるような世界に、後戻りしてはならないと、クルーグマン教授は、コラムで、訴えているが、相続税の軽減措置とか、富の相続に対する危惧や、法人税の低減とか、に対する懐疑は、まるで、マルクス経済学者も目を丸くして、驚くような論旨で、アメリカの経済学者は、なかなか、面白い主張をするものである。日本の官製学者も爪の垢を煎じて飲んで貰いたいところである。原文が検索で見つかったので、読み返してみたが、長くないので、是非、原文を読まれることをお勧めします。自分自身の労働付加価値は、一体、どれ程の価値があるのであろうか?改めて、考えさせられるが、、、、、、、、、。
原文:http://www.nytimes.com/2012/12/10/opinion/krugman-robots-and-robber-barons.html?ref=paulkrugman&_r=0