小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

死に票を考える:

2012年12月18日 | 社会戯評
死に票を考える:
昔、英字新聞で、地滑り的な勝利という表現を、Land-sliding Victory とすることを知ったが、何とも、今回の選挙の結果は、全く、その言葉を想い起こさせるものがある。もっとも、自陣の大勝利といっても、むしろ、相手側が、深層崩壊で地滑りを起こして、或いは、地割れを起こして、結局、内ゲバで自滅してしまったという表現の方が当たっているのかも知れない。先般の米国大統領選挙でも、支持率が、拮抗していて、少しでも勝っていた方の陣営が、その州のすべての選挙人を獲得できる方式で、総得票数が、どんなに、接近していても、必ずしも、民意が、反映される仕組みではない。小選挙区制度が、その意図する二大政党による政権交代という理想的な方向性とは裏腹に、意図せざるところの多党化や支持政党無しという浮動票層を生み出してしまったことは、何とも、皮肉なことであろう。民主主義とは、多数決主義であるなどという訳の分からぬ理屈で、少数意見が、なし崩し的に、担保・尊重されることなく、葬むり去られるようであれば、それは、又、別の意味で、「民主主義の危機」であり、一発選挙万能主義の弊害でもあろう。投票さえすれば、或いは、投票至上主義で、ほんとうの民主主義の礎である民意の意思表示、直接民主主義的な行動を持続的・継続的に、起こさなければ、いつまでたっても、死に票は、報われることはないであろうし、決して、振り向かれることはないであろう。もっとも、その投票率ですら、若者を中心にして、低迷しているのも事実であるが、、、、、、、。決められない政治から、今度は、バンバン、どんどん、有無を言わさずに、死に票を投じた人間には、受け身で、「決められてしまう政治」へと、この国は、向かってゆくのであろうか?そうならないように、どのような行動をとったら良いのか、選挙結果を見ながら、考えてしまうが、、、、、、、。