小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

ネルソン・マンデラの和解に学ぶ:

2013年12月10日 | 社会戯評
ネルソン・マンデラの和解に学ぶ:
私が、こどもの頃は、その暗殺死したインドのガンジーによる非暴力・無抵抗主義の哲学を受けて、第三世界という非同盟主義国家のなかで、ネルーによる国民会議派の政治思想に影響されたことを想い起こす。インディラという娘の名前を冠したインド象が、来たことも忘れられないが、、、、、、、それにも増して、強固な意志と確固たる哲学、とりわけ、高い倫理観と哲学観を有した非暴力・無抵抗主義は、ある種の「融和と許し」を伴ったネルソン・マンデラによる思想にも、今日、共通するモノがあるように思えてならない。一寸、ボタンを掛け間違えれば、無慈悲な抑圧と差別と弾圧による憎しみが、復讐へと転化する危険性もあったにも拘わらず、その紙一重の危険性を、どのようにして、暴発させないようにしたのであろうか?当然、白人への黒人側からの組織的な無差別報復テロ襲撃の危険性はあったはずであろうことは容易に想像出来うるが、、、、、、。それこそ、「人間性」という生身の存在が、生きていたからこそ、機能し得たのかも知れない。その意味では、今日、残念なことではあるが、対極にある何処かの隣国とは、大きな違いなのかも知れない。1000年の後までも、間違いを、怨みを忘れないという被抑圧民族による国家民族的な滾るような反日、嫌日のうねりと、マンデラによる抑圧者への思いを巡らしたモチベーションとは、一体、「何処が、何が、違う」のであろうか?アパルトヘイトという悪魔のようなナチスを彷彿させるような非人間的な弾圧・抑圧システムを、決して、27年間にも及ぶ獄中生活が、柔だったとは、誰も思わないし、虫けらのように焼かれて、死んでいった人間を忘れることもないだろうし、その犯罪首謀者が、誰であったかも、分かっていることであろうものの、それを、事実は、事実として、究明するも、刑事罪には問わないとする倫理観を有するに至った過程とは、どのようにしたら、そんな高邁な思想・哲学が、形成されるのであろうか?そして、又、権力を握った立場になった後でも、報復の誘惑を絶ち、憎しみの暴発を抑止し得たのであろうか?何でも、獄中にいたときに、白人看守の使う現地の言葉を勉強して、意思疎通を図り、やがて、それはいつしか、抑圧者の側の立場をも、理解出来るような思想性に昇華するまでになった「メカニズム」は、まさに、現代のこの極東の島国で、領有権を巡って、或いは、お互いに、国の矛盾を狭小な排外主義や民族至上主義や大中華主義・似非小中華主義や、互いの歴史認識の相違で、隔絶している状況の中で、改めて、このマンデラの思いに我々は、想いを馳せる必要があるのではなかろうか?ガンジー、ネルー、まだ、こどもの頃は、その思想が、生きづいている雰囲気が現に漂っていたが、はたして、マンデラの思想は、どうなのことであろうか?原理主義の台頭と宗派対立・抗争と、、、、、何処まで行けば、人間は、マンデラの到達した心境に、至ることが可能になるのであろうか?教育なのか、人間性なのか、草の根の交流なのか?私は、彼の心境の変化のメカニズムを知りたいと思うが、、、、、、、、。今日の日本には、こうした思想性が、政治の世界でも、経済の世界にも、独自の何かが、欠けていて、創出され得ていないような気がするが、それこそが、今、一番、望まれることではないだろうか、、、、、、。