小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

80歳になる天皇におもう:

2013年12月23日 | 社会戯評
80歳になる天皇におもう:
私の家は、父方の叔父が、タラワ島嶼で、海軍陸戦隊の一員として、(今で言えば、海兵隊に相当するものであろうか、遺骨も全くない)玉砕(?)戦死し、母方の叔父は、将校で、戦闘中に、大腿部貫通銃創を負い、戦闘指揮中に、自決している。従って、両親らの靖国神社への想いとは別にして、基本的に、私の戦争に対する考え方や皇室観というモノは全く、異なるものがある。しかしながら、今年、80歳になる天皇は、個人的には、皇太子時代からも、その「平和国家建設」や、「昭和天皇の負の遺産」を背負いながらの旅、とりわけ、75年の沖縄、91年の東南アジア諸国、92年の中国、95年のヒロシマ・ナガサキ、98年、00年の英国・オランダ、05年のサイパン島、あるときは、戦争捕虜への処遇への謝罪、アジア諸国民への加害の立場への哀しみを自ら表明するとか、象徴天皇制の下でも、一歩踏み込んだ、昭和天皇の名の下に、開始された戦争の惨禍を、自ら、平和国家の建設という、11歳の時に、焼け野原で感じ取った想いを、そのまま、表明したことは、おおいに評価されて然るべきではないだろうか?それは、日本国政府の威勢の良い。何処かの国による国内矛盾から目を背けさせるような狭小な反日・排外主義に対して、単純なこれまでのナショナリズムの高揚とは、一線を画するようなまるで、鏡の裏と表のような様相である。米国人バイニンガム婦人と小泉信三という家庭教師による戦後教育というモノも、天皇に対して、自らの行動は、自らが決めて初めて行動することこそが、人間の本質であるということを自覚させ、自分の結婚も、或いは、国内外に対する皇室の開かれたイメージの変化努力にも、これまで尽力したことにも、それは、現れているのかも知れない。それにしても、平成という時代も、いつまで、続くのかは分からぬが、自らの崩御を想定したようなエンディング・ノートも、既に、準備されているようであるし、これからの象徴天皇制は、現在の皇太子は、別にしても、その後は、どのように、継承されてい行くのであろうか、とりわけ、「負の遺産の旅」の想いは、どのように、これからの新しい世代の中で、発展的に、継承されて行くのであろうか?それとも、、、、、、負の遺産から、豊かなプラスの財産にするのには、どのような価値観と思想性が、皇室には、というよりも、国民の意識の中には、必要なのであろうか?