小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

あるウィグル族の名前を想い出す:

2013年12月18日 | 社会戯評
あるウィグル族の名前を想い出す:
新疆ウィグル自治区での反漢民族意識の高まりが、新聞紙上でもおおいに報道されているが、そう言えば、天安門事件の時の学生指導者の一人で、ウーアルカイシという名前が、出ていたことを想い起こす。何故、漢字ではなかったのか、思えば、当時から、辺境のウィグル自治区出身だったから、ウィグル族出身だったから、そういう名前だったのかと、当時は、それ程、気にもしなかったが、最近の一連のウィグル族や、チベット族に対する漢民族による抑圧政策のなかで、この人物の行動も、単に、民主化運動というだけではなく、その東京での中国大使館への侵入試みとか、老母への面会という大義名分での台湾から、香港への入境の試みと言い、未だ、政治的な試みが消え去られていないことも事実であろう。ましてや、その漢民族ではない、ウィグル族出身という特殊の立場も、今日、改めて、その価値が、民主活動家であり、ノーベル平和賞の劉暁波や、同じく天安門事件時との学生指導者で、後に、フランスに亡命した柴玲らも、同じ北京師範大学の出身であることは、単なる偶然の一致だけなのであろうか?それにしても、消そうと思っても消し去ることの出来ない歴史の汚点である天安門事件の記憶は、不死鳥の如く、何回でも、蘇ってくるものであろうか、とても、小さな記事で、人々の記憶の中にすら、いまや、忘れ去られようとしているこのウィグル族出身の名前を見るときに、様々な歴史的な史実を想い起こさせるものである。それに比べると何とも、つい先頃の記憶も、亡き妻の「死人に口なし」のせいにしてしまうような政治家の臆面もない行為や秘密保護法なるもので、ある種の政治的な事件を封印し、歴史的な検証すら出来なくしてしまうことは、明らかに、対極をなすところのものである。四半世紀にも今や、及ぼうとする歴史の闇の中に、来年は、その6月4日の記念日には、どのような行動をとるのであろうか?小さな名前であるが、新聞記事の片隅で、躍動しているように思えてならない。