小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

18才選挙権に思う:

2015年03月07日 | 社会戯評
18才選挙権に思う:
何でも、早ければ来年度の参議院選挙頃から、18才への選挙権の付与が、考慮されているそうである。確かに、世代間の格差と云われる事も考え合わせると、若い人達にも、自分たちの意見を主張しうる場というものが確保されて然る出来であるとも思われる。これも一つの考え方ではあろうか。もっとも、すべてに、諸手を挙げて、賛成ばかりという具合にはゆかないであろう。成る程、この動きの背景には、巧妙なジグソー・パズルが秘められていることは、間違いないであろう。とりわけ、現行法の少年法の弾力的な運用から、更に、一歩進めて、一挙に、改正までへと云うプロセス、とりわけ、今回の中学生に対するリンチ殺人事件に端を発した未成年者への処罰やネットで溢れていたと言われる実名公表の問題など、当の若い人達は、学校でも、家庭でもどのように議論されているのであろうか?そして、集団的自衛権とも絡む、将来での安保法制、或いは、第9条の憲法改正発議などのジグソー・パズルを考えると、一連のこうしたプロセスが、透けて見えてこよう。自分たち団塊の世代が、18才の頃には、自分の場合には、1966年であったから、丁度、ベトナム戦争反対、訪米阻止羽田事件の前年、或いは、同世代の中国では、「紅衛兵旋風」の時代であったことを、想い起こす。一方で、受験勉強をしながら、他方では、政治の季節の中で、何を考え、どのように過ごしていたのであろうかと懐かしく、想い起こされる。そんな学生時代の友人達とも、もう、50年、半世紀の付き合いである。昔の写真を眺めるとそこには、難しそうな顔をして、小生意気な面々が、一緒に、映り込んでいる。少なくとも、当時は、選挙権などは、むろん、付与されていなかったものの、「自分たちの手で、情況は変革しうるのだ!」と思っていた事だけは、どうやら、間違いはなさそうである。新しい時代に、若い人達に、期待したいところである。同時に、それは、大きな責任とある種の義務をも、反面、引き受けることになる訳で、大人の巧妙な罠を見破るだけの能力を培って貰いたいところである。老人は、いくらでも、限りなく、手助けを惜しみなくしたいところである。