小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

長労働時間の背景とは?:

2015年03月25日 | 社会戯評
長労働時間の背景とは?:
裁量制労働時間の採用により、或いは、特殊な職種の残業労働時間の撤廃とかで、働き方にも、様々な変化が生まれようとしているが、本当に、日本で、長時間労働が、克服されるのであろうか?労働者間同士での競争というような構図が、固定化されてしまい、それも、正社員と非正規労働者とパート・タイマーとかという形で、現在進行形であって、決して、同一労働、同一賃金、長時間労働というものが克服されようとは、到底、思えないのが、実情のようである。実際、日本では、仕事量の調整は、結局、被雇用者の数での調整ではなくして、所詮、個々の被雇用者、労働者の働く時間の長・短で、調整されてしまっているのであろうか?もし仮に、そうであるならば、生産性の向上とか、低下とかという基準ではなくして、チーム・ワークという一種の出来るリーダーの為に、その下に個々の労働者がグループで、昔の徒弟奉公のように、依然として、給与は、流石に貰ってはいるものの、実質的に、O.J.Tでもって、仕事のやり方を教わるような仕組みが強固に出来上がっているのかも知れない。契約社員は、一定の時間になれば、仕事を終了して、帰宅できるのかも知れないが、正社員と称する労働者は、どっこい、労働のミス・マッチから、なかなか、人手不足とも相俟って、労働時間が長めになるのでありましょうか?子育て支援の為の有給休暇の消化率の向上策といい、計画的な休みの取得といい、なかなか、課題が大きいと言わざるを得ない。労働市場の適正な流動化も、おおいに、問題である。既に終身雇用制度が崩壊していると云われているにも拘わらず、一方では、そうした労働の流動化とミス・マッチを、成長戦略や新たなベンチャー・ビジネスの成長がまだまだ、生かされずに、結局は、閉鎖的な労働市場という枠組みの中で、労働組合も今や、既得権者というような役割に、終始しているのかも知れない。労働者は、自らの専門的なスキルと職業的なノウハウを獲得できるような訓練に、自己投資しない限り、いつまでたっても、喰うために働くことから、抜け出せないのであろうか?現役の人は、本当に、大変な時代に生きているのかも知れない。