小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

日本食の現地浸透にはすさまじいモノがある:

2013年12月15日 | 社会戯評
日本食の現地浸透にはすさまじいモノがある:
それにしても、鯖の塩焼きが大人気だったり、本場のタイのグリーン・カレーを差し置いて、日本のカレーも、大人気であるとは、、、、、、ますます、日本食(残念乍ら、和食ではない)が、現地で加熱してきている。しかも、広い世代が、或いは、階層が、更には、食に対して保守的であると云われている女性達にも、幅広く浸透・拡大しつつある。もうこうなると、本物と言わざるを得ないでしょう。それに伴って、サプライ・チェーンも発達してきて、それらを支えるインフラも当然、整ってくるものである。もはや、一部の金持ちや上流階級だけのグルメというものではない。本来あったタイ・スキの海鮮料理屋も、回転寿司ならぬベルトコンベヤーの上に、素材がグルグル廻ってきて、しかも、ロボット鮨や、点心、デザートもチョイスできて、食べ放題・飲み放題で、リーズナブルな値段である。もっとも、欠点は、「食い過ぎ」になることであろうか?ラーメンが、日本で独自の進化を遂げたように、きっと、海外進出した日本料理も、和食のユネスコ無形文化財登録とは異なり、きっと、現地化の一層の変容で、形を変えて想像もつかないような新しいモノに行きくことになるのであろうか?それは、カリフォルニア・ロールが、なんだかんだ言われつつも、鮨の国際化に貢献したように、そえは、やがて、現地で、現地化と言う新しい進化と変容を遂げて、「新しい食文化の誕生」を意味することになるであろう。それは、現地の人達にも、今度は、日本へ行って、本物の日本食を食べたいと思うであろうし、日本文化を、日本語を、日本人の考え方を知りたい、歴史を知りたいと思うようになるであろうことは、容易に想像されるし、現に、その傾向は、ビザの緩和に伴って、現在進行中である。もう、昔のような夜の蝶やダンサーといった出稼ぎとは異なる文化交流の芽が芽生え始めてくるのではないだろうか?そんな息吹を感じるほど、すさまじい勢いである。


長野県産農産物のタイ向け輸出が可能になりそうでである:

2013年12月14日 | 社会戯評
長野県産農産物のタイ向け輸出が可能になりそうでである:
昔、海外出張すると、現地の空港に降り立つと、その瞬間に、例えば、金浦空港であれば、キムチの臭い、台北だと、中華料理の油の臭い、さしずめ、タイであれば、グリーン・カエーの味だろうか、もっとも、羽田は昔、たくわんの臭いがしたとか?、本当だろうか?アレルギー性鼻炎の私には、よく分からないが、金浦空港では、納得したことがあるのを覚えている。もっとも、ODAなどの支援によって、巨大な近代的な空港の設備が整うのに従って、そうした独特の各国の臭いは、今や雲散霧消してしまったようである。それでも、街中の場末を歩いていると、こどもの頃に感じたような脳裏の片隅に残されたかすかな臭いが、香りではなくて、ある種の臭いであろうが、それに似たような感覚が蘇るのは不思議な話である。何でもかんでも、日本の食のオリジナリティーを自己主張して、世界基準にするのではなくて、国内のニーズと現地の異なるニーズを把握・共存させれば、相互補完作用も可能ではなかろうか?なかなか、今回は、面白い経験だったが、それにしても、「狭い世界」である。驚くべき程、奇縁と云うほかないアナログの人間関係である。詳しい話は、さておき、県産農産物の輸出が可能になる道筋だけは、どうやら、開けそうである。更には、これを利用して、ベトナム等へのタイからの供給も将来は、三国経由で、可能になりそうである。「もうそういう時代よねぇ!」と九官鳥に言われてしまいそうである。現地での輸入の手続き、非関税障壁など、これを一つ一つ、険しい「謎解き」をしてゆけば、極めて、ニッチな市場であっても、貿易が可能であることが、分かったし、どのようにすれば良いかと言うことが認識・紐解けた。謂わば、草の根の貿易ボランティアお手伝いである。取りあえず、数量は別にして、来年度は、おおいに楽しみである。年寄りの知的好奇心が刺激されよう。おそらく、生鮮果物だけでも、5-7種類をターゲットに、出来そうである。これに、時間を掛けて、加工商品を、着実に、加算して行ければ、十分、年間を通じて、ブランドとマーケティングをしっかり確立してゆけそうである。「小さな風穴」があきそうであることは確実であろう。もう、補助金などに、依存しなくても宜しいではないか?現地では、今年、小諸の読書の森に、海外ウーファーにきたFBのプーちゃんと逢えたし、又、何と投宿したホテルに、偶然、その幼な友達が働いていて、しかも、来春には、日本に、一年間語学留学するそうで、一緒に、一時の日本食を愉しむこともできたのは、嬉しい限りである。それにしても、いつも、女房殿から言われている、「いただきますを何故、食べるときに言わないのか?」というお小言を、まさか、タイ人から、同じことを指摘されようとは、実に、不覚であった。女房殿にそのことを話すと、「だから、言ったでしょう!」と大目玉を食らってしまったのは、おまけである。



久しぶりの海外:

2013年12月12日 | 社会戯評
久しぶりの海外:
あれ程、毎月の如くに、海外出張していたのが、まるで、嘘のようである。前回、いつ出たのか、想い出せない。人間の記憶など、いい加減なものである。いつも、持って行く旅行カバンに、いつも持参する必要なモノを纏めて、保管し置いてあるので、それを纏めるだけのことである。先日、海外の旧い友人のアテンドをしたときには、巨漢の彼氏が、何と、股関節が摩耗したのか、その痛さに、とうとう、車椅子で、ホテル内、最後には、成田空港、帰国後は、現地の空港も車椅子を使用せざるを得なかったとかで、メールで、MRIの結果待ちだと、連絡があったが、、、、、、。こちらも、杖をついて、果たして、大きな空港内を歩けるのかと、正直言って、心配である。何とか、空港内は、クリアしたが、サワナプーン空港は、馬鹿みたいに大きいから、それこそ、車椅子や電気自動車のサポートが必要かと思い、問い合わせてみれば、電気自動車は、現地で、その場でないと駄目とかで、車椅子は、事前予約が可能であるらしい。結局、歩くことにしましたが、、、、、、。それにしても、6時間の間、満席で、荷物をたっぷり機内持ち込み、おまけに、先に座って、他人のスペースに、平気でおくこの根性は、見上げたものである。どこの国の人間とは言わぬが、、、、、。受付でもパスポートをどっさり纏めて、チェックイン、並んでいようがいまいが、お構いなしに、後から来るグループのメンバーを平然と入れるその根性たるや、大したものである。(昔、ベトナムの空港で、一度、目の前に割り込んだから、大声で、注意したことがあるが、ソーリーと一言、注意しないと駄目な連中であるのは、何処の国も同じなのか?それとも、日本人が鷹揚で馬鹿な自己主張のない民族性なのかは分からぬが、、、、、、)今日でも、その傾向は変わらぬのであれば、今時の若い人達は、こういう人達と一緒に、仕事をしたり、競争し、共に生活してゆかなければならない訳だから、大変であると思いますね。それにしても、これまでの日本人ばかりの乗客ではなくて、もはや、東京発でも、日本人は、3分の1くらいだろうか?それ程までに、期間限定のフリー観光ビザの拡大の恩恵は、大きいものあろう。空港の待合室では、日本産りんごをしっかりと、お土産に、カバンに入れて搭乗である。四半世紀前に、米国から帰国したときには、やたら、中国人が、多かったのに驚いたけれども、今や、ASEANの観光客の来日は、止まるところを知らない。ハラルなどの食事対策をもっと、積極的に認定すれば、イスラム圏からの旅行者も、インドネシアやマレーシアなどに、止まることはないのでは無かろうか?それにしても、ASEANの熱きうねりは、すごいものがある。それを肌で、ひしひしと否応なく感じるのも事実である。ビジネスのAPEC・ASEAN域内のカードは、これ又、行動範囲、視野の範囲をおおいにアセアンのビジネス・マン、ウィメン達に、拡げたと云えよう。そんなこんなで、無事、到着致しました。



フリーペーパーの電子書籍版を読む:

2013年12月11日 | 社会戯評
フリーペーパーの電子書籍版を読む:
世の中、どんどん、進化しているようである。電子書籍も、まだまだ、普及するのは、時間がかかるかなぁと思いきや、長野県のフリーペーパー、日和の最新版の案内が、FBのグループから、紹介されてきた。一体、何処で、このフリーペーパーは、入手出来るのかと思案していたら、HPのURLをクリックすると、何と、これまでの特集の紹介やバック・ナンバーとか、PDFダウンロード版、フラッシュ版があるではないか?電子書籍版は、確かに、こういうフリーペーパーの拡販には、打って付けのツールであるかも知れない。自分で、刊行するのも、ある種のプラット・フォームを使用すれば、電子書籍は、今や、簡単に、しかも、コストが、それ程掛からずに、製作・刊行可能になる。観光・宣伝にも、こういうモノは、英文に翻訳すれば、そのまま、写真もペースト・再利用して、日本語・英語・中国語・韓国語・タイ語等のフリーペーパー版を作成できそうである。もうこういう段階になると、専門的な人間が、(まぁ、それはそれで、宜しいが、、、、、)情報を独り占めする時代ではなく、出版というモノも、今や、平等に、これからの若い人にも、自分で、言論・思想の自由を発信できることになるのかも知れない。その意味では、実に、画期的なことであろう。むろん、著作権、写真の版権とか、画像に関する権利関係も、ないがしろには出来ないけれどもであるが、、、、、、。それにしても、どういう情報の再活用、再利用が、拡大再生産が、どれ程、可能になるのであろうか?地方で、そこに行かなければ、物理的に、入手出来ないフリー・ペーパーが、今や、こうして、全国、いや、全世界に、何処に居ても、やり方一つで、入手出来て、読んで貰えることになるということは、大変なことであろう。しかも、これが、スマホにダウンロードされ、速やかに、外人観光客から、全世界にWi-Fiで発信されるようになったら、一体、地方観光の情報発信とは、これまでと、どれ程の違いが、生じることになるのであろうか?そして、その結果は?

騙されたと思って、試しに、ご覧下さい:
日和-hiyori-Vol 97  : 東北信版 最新号:アナログ版は、小諸の旅カフェにあるそうです。
http://hiyoriweb.net/e-books/e-books2013.html


ネルソン・マンデラの和解に学ぶ:

2013年12月10日 | 社会戯評
ネルソン・マンデラの和解に学ぶ:
私が、こどもの頃は、その暗殺死したインドのガンジーによる非暴力・無抵抗主義の哲学を受けて、第三世界という非同盟主義国家のなかで、ネルーによる国民会議派の政治思想に影響されたことを想い起こす。インディラという娘の名前を冠したインド象が、来たことも忘れられないが、、、、、、、それにも増して、強固な意志と確固たる哲学、とりわけ、高い倫理観と哲学観を有した非暴力・無抵抗主義は、ある種の「融和と許し」を伴ったネルソン・マンデラによる思想にも、今日、共通するモノがあるように思えてならない。一寸、ボタンを掛け間違えれば、無慈悲な抑圧と差別と弾圧による憎しみが、復讐へと転化する危険性もあったにも拘わらず、その紙一重の危険性を、どのようにして、暴発させないようにしたのであろうか?当然、白人への黒人側からの組織的な無差別報復テロ襲撃の危険性はあったはずであろうことは容易に想像出来うるが、、、、、、。それこそ、「人間性」という生身の存在が、生きていたからこそ、機能し得たのかも知れない。その意味では、今日、残念なことではあるが、対極にある何処かの隣国とは、大きな違いなのかも知れない。1000年の後までも、間違いを、怨みを忘れないという被抑圧民族による国家民族的な滾るような反日、嫌日のうねりと、マンデラによる抑圧者への思いを巡らしたモチベーションとは、一体、「何処が、何が、違う」のであろうか?アパルトヘイトという悪魔のようなナチスを彷彿させるような非人間的な弾圧・抑圧システムを、決して、27年間にも及ぶ獄中生活が、柔だったとは、誰も思わないし、虫けらのように焼かれて、死んでいった人間を忘れることもないだろうし、その犯罪首謀者が、誰であったかも、分かっていることであろうものの、それを、事実は、事実として、究明するも、刑事罪には問わないとする倫理観を有するに至った過程とは、どのようにしたら、そんな高邁な思想・哲学が、形成されるのであろうか?そして、又、権力を握った立場になった後でも、報復の誘惑を絶ち、憎しみの暴発を抑止し得たのであろうか?何でも、獄中にいたときに、白人看守の使う現地の言葉を勉強して、意思疎通を図り、やがて、それはいつしか、抑圧者の側の立場をも、理解出来るような思想性に昇華するまでになった「メカニズム」は、まさに、現代のこの極東の島国で、領有権を巡って、或いは、お互いに、国の矛盾を狭小な排外主義や民族至上主義や大中華主義・似非小中華主義や、互いの歴史認識の相違で、隔絶している状況の中で、改めて、このマンデラの思いに我々は、想いを馳せる必要があるのではなかろうか?ガンジー、ネルー、まだ、こどもの頃は、その思想が、生きづいている雰囲気が現に漂っていたが、はたして、マンデラの思想は、どうなのことであろうか?原理主義の台頭と宗派対立・抗争と、、、、、何処まで行けば、人間は、マンデラの到達した心境に、至ることが可能になるのであろうか?教育なのか、人間性なのか、草の根の交流なのか?私は、彼の心境の変化のメカニズムを知りたいと思うが、、、、、、、、。今日の日本には、こうした思想性が、政治の世界でも、経済の世界にも、独自の何かが、欠けていて、創出され得ていないような気がするが、それこそが、今、一番、望まれることではないだろうか、、、、、、。



今時のアプリを初めて使ってみた:

2013年12月09日 | 社会戯評
今時のアプリを初めて使ってみた:
兎に角、多機能・高機能とは、機能が多すぎて、高度すぎて、年寄りには、うまく使いこなせない。PCならば、いざ知らず、タッチ・パネル上に、指で、アプリを起動させて、使用するのは、マウスでクリックするのとは訳が違う。従って、ある種スマホのアプリは、自分にとっては、宝の持ち腐れである。そうはいっても、折角、装備されている以上、勿体ないので、試しに、初めてゆくところまでの地下鉄の経路と時間など、マップも起動させて、トライしてみることにした。WiFiにすると、自動的に、GPSで位置情報が正確になり、歩きながらも、正確な位置が分かるらしい。まずは、行く場所の地図情報の検索と鉄道経路と出発・到着時間などの確認を行なう。成る程、いやはや、すごい機能、優れものである。徒歩の時間までも含めて、何処で、乗換すべきかも、幾つかのメニューが選択可能である。電車を降りて、再び、起動すると、今自分がいる場所が、分かるから、地図から、指で、ズームしたり、移動したりして、位置の再確認を行なうと、確かに、迷わなくて済む。いやはや、すごいことになっているものである。年寄りにも、使えることが分かった。すると、今度は、メールで、運動量のカロリー計算可能なアプリは、如何がですかと案内が、入ってきた。便利とは、裏腹に、すごいことになっていることが再認識された。アプリ慣らし運転中である。それにしても、選択オプションを選ぶと、色々な経路が示されるが、「人生」もそんなオプションが、幾つか選択肢が用意されていたら良いのになぁと思うのは、年寄りのひがみだろうか?便利な機能とは別に、GPS機能は、個人情報の管理・漏洩にも繋がると言われているが、一度、美味しい高機能の味を知ってしまうと、年寄りには、堪らない魔法のような誘惑であろうか、、、、、、、。次は、カロリー計算ですか?便利さを初めて知った人間には、まるで、それは、思考上のコペルニクス的な展開であった。



野上 暁、「絵本で哲学」トーク・イベントに参加する:

2013年12月08日 | 社会戯評
 野上 暁、「絵本で哲学」トーク・イベントに参加する:
東京にいる間だから、一寸、2時間掛けて、柏市(東口側)のハックルベリー・ブックス主宰のイベントへ、FBの友達の紹介で参加してみました。西 周によって、明治期に、philosophy なる言葉が、「哲学」という言葉に、翻訳・集約されるようになったわけで、この哲学なるものを、絵本を通じて、正解のない答探しのような作業を、子供の時代、とりわけ、小学校4-5年生くらいを主対象にして、その親御さんも含めて、考え直してみようとする絵本のシリーズ、「考える絵本」9巻(大月書店)(こころ、死、人間、美、悪・ワル、こども・大人、愛、しあわせ、ことばメガネ、の各巻)の紹介とそれを考えるものである。解説に従えば、元々、日本には、古来から、鳥獣戯画などの各種著名な歴史的な絵巻物も含めて、それらの中に、或いは、赤本などのさるかに合戦でも、チャラクターが、その台詞と共に、ビジュアルに描かれていて、更には、カード形式のおもちゃ絵などに、「ユーモアや洒落」を、「自然に」、取り入れられていて、遊びながら、見ながら、読みながら、知らず知らずに、「何かを学ぶ」ことが出来ていたと、、、、、、。その後は、学習本や、躾の本やら、昭和17年になると、「キジノヒノマル」浜田廣介や、「ニッポンハツヨイ」等、所謂、「翼賛絵本」へと、変遷してゆくことになると、、、、、、。戦後のサブカルチャー論や、漫画文化論やアニメの隆盛のところまでは、時間が限られていて、触れられることはなかったが、又、日比野克彦・北川フラムによる瀬戸内芸術祭の話や、「明後日朝顔の種」による越後妻有の大地の芸術祭の話も、触れられていたりしたが、充分な時間がなかったのは、誠に残念であった。結論のない、模範解答のない、そうあるべきであるというのではない主題を、ビジュアルな絵本という素材とそれを読むきっかけを通じて、「自分の頭で考えること」を、習慣づけること、確かに、それは、何も、子供だけの話ではなくて、むしろ、今日の大人になりきれない「こども大人」にも、必要不可欠なのかも知れない。9巻のシリーズの中にある、(こころ、死、人間、美、悪・ワル、こども・大人、愛、しあわせ、ことばメガネ、)残念ながら、(中沢新一による、神さま)は、刊行中止になってしまったが、、、、、、。どれも、勿論、それぞれ、重い課題であることは間違いない、、、、、、、こどもにとっても、況んや大人においてもやであろう。原画展も、来年春には、開催されると、なかなか、面白いトーク・イベントであったと思う。

ハックルベリー・ブックスHP:
http://www.huckleberrybooks.jp/
大月書店HP:
http://www.otsukishoten.co.jp/news/n3052.html



通販宣伝での「思い込み」という罠;

2013年12月07日 | 社会戯評
通販宣伝での「思い込み」という罠;
何気なしに、新聞広告に目をやると、何やら、陳建一が、「今だからこそ、僕の中華を食べて下さい」と写真入りで、鉄人の称号を使用して、「晩ご飯はこれで決まりだ」とばかりに、本格中華の6品が、表示されていて、3品、6300円、何と最大、2835円お得であると、強調されている。よくよく見ると、すべて、冷凍品である。「僕の愛情が詰まった本格中華、是非、ご家庭でお楽しみ下さい。」と、いかにも包丁を握って調理しているように思える写真が、こちらに微笑みかけている。これが、レストランであれば、まあ、全部の料理工程を料理するわけではなかろうが、多少は、レシピーから、味付けまで、総料理長として、監修しているのであろうかとも思ってしまうが、流石に、冷凍食品となると、一体、全体、「何処で、誰が生産しているのであろうか?」販売する会社は、昔、取引のあった会社であり、社長の性格も、よく知っている。いやはや、宣伝の言葉というものは、魔法のようなモノで、面白いものである。ヒョッとしたことで、思い込みやイメージが、消費者には、すり込まれてしまうモノなのであろうか?余程、電話で、製造工場は、何処ですか?陳建一は、何処まで監修しているのですか?と尋ねてみたくなった。手抜きなんて言わせない!というキャッチフレーズも、なかなかなものである。「物事の本質を捉える」などと言うものも、これに似たものなのかも知れない。意外とある情報とある情報だけで、単純に、繋がってしまうと、まるで、手品のトリックが、注意を別の所に、意図的に、導く間に、サッと、取り違えてしまうかのようなモノなのであるのかも知れない。それは、まるで、オレオレ詐欺や特殊詐欺のようなモノなのかも知れない。どこかで、その情報を裁ち切って、一度、「自分を客観視するプロセス」が、介在しないと、そのトリックや罠に落ち込んでしまうのであろうか、、、、、、。この種の手法には、非常に巧みな思い込みを利用した販売マーケティングが、潜んでいる。外部委託工場で製造されているのに、「自家製」と表示されたり、「鮮魚」が、冷凍だったりと、表示の見直しではなくて、自分自身の中での情報との闘いを確立していないと、結局、どこかで、やられてしまうのかも知れない。新聞広告を見ていて、そんな思いがしたが、どれ程の人が、通販で購買するのであろうか?おまけに、購入者には、特典として、抽選で、陳建一によるスペシャル・ランチへのおもてなしのチャンスがあると書かれていた。



経済対策は何処へ行ってしまったのか:

2013年12月06日 | 社会戯評
経済対策は何処へ行ってしまったのか:
すっかり、秘密保護法案の採決の方に、目が行ってしまって、目玉だった経済対策やら、成長戦略の議論は、何処かへ、行ってしまった感がなくはない。小さな地方都市で、暮らしてみると、雇用の安定と就職の場がなければ、どんなにきれい事を並べてみても、なかなか、若い人の移住やら、定住、ましてや、労働の適切な流動化は、望むべくモノではないことが容易に理解出来よう。雇用と賃金の問題は、産業構造の変化に伴って、上から目線での「お上による官製春闘」で、問題が一挙に解決されて、経済の好転への起爆剤になり得るとも、現時点では思えない。むしろ、サラリーマンの増税感覚は、日に日に、募るばかりではないだろうか?2016年3月までに、6万人の新規雇用と3万社の処遇改善を狙った「地域人づくり事業」を新設したそうである。これによると、各都道府県の基金に、お金を配り、自治体の一定の裁量で、新規雇用や従業員の賃金アップに繋がる中小企業の取り組を後押しできるようにするという構想らしい。後押しではなくて、国家戦略的な成長戦略の具体的な戦術的、或いは、具体的な工程表を提示することこそ、必要なのではないだろうか?いつの間にやら、軽減定率の適用問題もないがしろになり、低所得者対策として、一人1万円を配るという、、、、、、。アメリカの副大統領に、働く女性の地位向上を訴えられたり、待機児童対やら、子育て支援も含めて、出生率の増加対策も、今や、もう、待ったなしの状況であろう。又、事業を縮小した企業が従業員を転職させやすいように、再就職会社に払う費用を助成する労働移転支援補助金を大幅に拡充すると謂われている。自分の身近な例を見ても、なかなか、労働の流動性と適切な移転は、お蔵入りした「解雇特区」の例をみても、なかなか、現実的には、難しい課題であることは、間違いなさそうである。それにしても、現役世代の人達は、これから、どのように、対応してゆくのであろうか?さあ、そろそろ、青色申告の準備をしなければならないが、、、、、、、。



電子書籍をDIYしてみる:

2013年12月05日 | 社会戯評
電子書籍をDIYしてみる:
世の中の技術的な進歩というモノには、目を見張るモノがある。出版というものも、ある種、特別なノウ・ハウと業界特有の閉鎖性とは云わぬが、独特の知的差別が、既得権化したようなところがなくはないが、、、、、、、、。もっとも、版権とか、著作権とかにしっかり守られていないとすぐさま、駄目になってしまうから、本能的に、自己防衛観念が発達してしまうことも理解出来ないことではない。ましてや、昨今の本を解体して、自らの手で、スキャンして、「自炊」してしまう行為やそれを専門にして、生業にする輩までも輩出されてくると、もうこれは、黙って傍観しているわけにもゆかないのは十分理解も出来る。若い人などで、音楽の世界では、既に、ソンガー・シンガーとして、独自に、オリジナルの曲を自ら作詞・作曲・編曲・演奏までこなしてしまう人間には、後工程の宣伝・販売・流通だけが、業界の専門家に委ねることが、可能になってしまったのは、随分と昔の事になる。むろん、音楽だから、録音の専門的な質やら、設備が問題ではあるが、DTMではないが、ある種のソフトを駆使して、PCで、作曲ができないこともないのが、これ又、現実でもある。自費出版にしても、高額な金額を詐欺紛いで取られてしまうような悪徳業者は別にしても、オン・ディマンド出版で、小部数でも、出版が可能になったかと思えば、更に、その先を行く「電子出版」での作成を促すようなサービスが、提供されるようになってきたのには、全く驚いてしまう。しかも、無料で、簡単に、作成も、画像の取り込み(一枚の画像の貼り付けは、2MB迄の制限はあるものの、デジカメやスキャンで充分であろう)や編集も、更には、オリジナル原稿のe-pub ファイルやPDFでの保存も、このサービスでは、クリック一つで、簡単に、出来てしまい、外部の電子書籍サービスに、連動させようとすれば、追加料金を支払うだけで、kindle等へも拡販が可能であると、、、、、、、、。
面白いことに、お試し読みのページの一寸見機能までもがついているので、好きなページを公開して、読者に立ち読みしてもらうことも可能である。又、無料でも、有料でも、自分の好きな販売価格をクリックで、設定して公開すれば、有料ならば、読者が気に入り、ダウンロードすると、サービス提供会社の手数料が引かれた残りの額が、自動的に出入金記録されるという仕組みである。これならば、これから世に売って出ようとする志しの高い漫画家の卵や、詩人・小説家志望者や、写真家などは、様々なジャンルで、腕試しが可能になるのではないだろうか?ブログを纏めて無料公開出版するのも、まずは、電子書籍で始めて、次に、オン・ディマンド出版で、アナログ出版するとか、選択肢が、随分と拡がってくるものである。これなら、素人でも、最低限のPC知識さえあれば、コピー&ペーストさえ出来れば、簡単に、電子書籍出版も、まずは、可能になるのではないだろうか?いやはや、大変な時代になったものである。最初は、web本棚だけかと思っていたが、今や、電子書籍・作成販売プラットフォームも、ここまで、進化してくるとは驚きである。興味のある方は、試してみるだけの価値はあるかと思われます。

Puboo パブー: フェースブックやツィッターからも連携ログイン可能
http://p.booklog.jp/登録してから、右上の「本をつくる」をクリックスすると、使い方が分かります。
ブクログ:
http://p.booklog.jp/book/78347/read



トリプル世界戦の消化不良:

2013年12月04日 | スポーツ
トリプル世界戦の消化不良:
隠れ格闘技ファンを自認していたものの、何か、最近ではもう、スター性や、カリスマ性を兼備したような選手がでてこなくなってしまったので、 プロレスも、ボクシングも、テレビ中継を観ることがなくなってしまった。何でも、TBSが、一生懸命、トリプル世界戦の宣伝をしていたので、あの品のない亀田兄弟の次男・三男の闘いを観ることにした。長男は、それなりにビッグ・マウスと呼ばれたものの、有言実行で、それなりに、実力と実績を積み重ねてきたが、どうも、3兄弟でも、次男坊・三男坊は、今一、長男の威光の陰に隠れて、ファンの目から見ると、どうかなという疑問符が投げかけられてしまう嫌いが無きにしも非ずであろう。それにしても、WBA WBC WBO IBFとか、分かりづらいものである。会長選挙やプロモーターの利権によって、こうなってしまったのだから、仕方無いものの、世界チャンプは、本来統一されるべきモノであろう。もっとも、興行権との絡みがあるから、仕方ないと云えば云えなくもないが、、、、、、。もともと、ボクシングとか、サッカーは、民族主義的とでも云おうか、それとも、ホーム中心主義と呼ぶべきか、所謂、純粋な、客観的なスポーツ的な技術スキルを判定するという雰囲気が乏しく、それを割り引くと、余り好きではないのが、正直なところである。本能的な殴り合いと専門的なアート的近代ボクシング技術の融合が、ボクサーという俳優を通して、ボクシング演技に、表現されるべきモノではないだろうか?観客とは、そのパフォーマンスに、どれ程のカネを払って感動できるのかということであろう。その意味で、せいぜいが、今回は、高山くらいが、世界チャンプとしての表現が出来たくらいで、後の次男・三男は、如何なものでものであろうか?しかも、計量で、失格、ベルトを剥奪された元チャンプに、1対2の判定負けをしても、どういう訳か、前日の「敗れたら空位になる」という説明が一転、ベルトを維持、王座に残留できるとは、何とも、後味が悪いだけでなくて、ボクシングに、格闘技のアート美をパフォーマンスに期待したファンは、お金を払って見に来た観客には、随分と、失礼な話ではないか?何も、毎回、KOを望むだけが、ボクシングの魅力ではないが、こうした消化不良的な感じは、どうしたら、拭えるのであろうか?ハングリー精神に欠けてしまったのか、それとも、大金とベルトを手にして、ぬるま湯に浸かってしまったのか、はた又、技術的に劣っていたのか??? やはり、今週末の村田諒太のマッチに、期待する他はないのだろうか?通好みのレベルの高い試合を期待したいものである。プロになったからには、その技術的な進化と本当の真価が問われよう、、、、、、、。そう思ったのは、私一人だけだろうか?



カスタマー・フレンドリーと言う言葉を考える:

2013年12月03日 | 社会戯評
カスタマー・フレンドリーと言う言葉を考える:
4年に1度の時期が又、やってくる。といっても、別に、ワールド・カップのファンでも、ましてや、オリンピックのファンでもない。HDの寿命が来るであろうPCの買い替えの時期が近づいてきていると謂うことだけのことである。いつも、この時期になると不愉快な思いをすることになる。というのも、決まって、買い替えてから、新しいバージョンがアップ・グレードされたり、紹介されたりするからである。とにかく、周回遅れのPCには、振り回されているユーザーだからである。思えば、ワープロを使っている間は、それ程、問題なかったが、ひとたび、95以来、ハードとソフトのバランスが、全く悪く、いくら煮え湯を飲まされて、大枚をはたいてきたことか、、、、、、、。今でも、回収ゴミに廻されないで、技術の革新を信じ切って、書斎の片隅に、都会の宝のゴミの山と化しているハード機器が多いことか、、、、、、、、。フィルム・スキャナー、スキャン機器、ウェッブ・カメラ、トナー式コピー機、ファックス、XP仕様のラップトップとデスクトップ、等々、、、、、、、、、。いつか、画期的な技術が開発されて昔の機器が、スイスイ、使えるようになることを願っていますが、、、、、、、。そろそろ寿命が近づくと、別に、こちらは何も悪いことをしている訳では無いにも拘わらず、windows updateや、諸々の付随するソフトのアップデートや、不具合の度重なる修正の為のアップデートで、何処かに、ゴミでも溜まるのでしょうか?最近では、「作業ファイルを作成できません、環境変数を設定し直して下さい」等のエラー表示が出てくる度に、officeやwindowsのサポートやヘルプを参照しながら、修復をトライするが、うまく行かず、天国から地獄へと転落してします。おまけに、MSN等は、物理的な拠点がないから、ネットや電話対応しかしてくれず、メーカーの所へ相談しに行っても、もっとも、拠点自体がある所はまだしも、最近の合理化で、出張サービスに切り替えているメーカーなどは、申し込んでも、「直る保証はありません。その為のチェックに、出張費用と別途点検費用がかかります。」等と謂われてしまうまでである。何とも、これが、果たして、「カスタマー・フレンドリー」なのであろうか? 一体全体どうなっているのであろうか?秋葉原出掛けていってみれば、案の定、「ハードの問題であれば、チェックの上、せいぜいが、初期化の上、再インストールですね」と、すげなく、説明されてしまいました。それじゃあ、私は自分で、やることにするわ!やっぱりね!それでも、電話やネット対応よりは、まだましである。こんな感じでは、大都市ではなくて、中小の地方都市の場合には、一体全体、どうするのでしょうか?もうこの次は、みんなの意見を入れて、i-padにでもするとしようか?帰りに、運転用のメガネの度が合わなくなったので、新しいめがねを作ろうと眼鏡屋に立ち寄って、検査して貰ったら、ご親切にも、検査の結果、裸眼ギリギリの視力で、念の為、一度、専門の眼科医に検眼して貰ってから、その処方箋で、対応しましょうとアドバイスされて、運転用のメガネ・レンズを作り直すのを延期しました。こちらは、なかなか、「カスタマー・フレンドリー」でした。少々、考えさせられてしまいますね。全く、、、、、、。



カスタマー・フレンドリーと言う言葉を考える:

2013年12月03日 | 社会戯評
カスタマー・フレンドリーと言う言葉を考える:
4年に1度の時期が又、やってくる。といっても、別に、ワールド・カップのファンでも、ましてや、オリンピックのファンでもない。HDの寿命が来るであろうPCの買い替えの時期が近づいてきていると謂うことだけのことである。いつも、この時期になると不愉快な思いをすることになる。というのも、決まって、買い替えてから、新しいバージョンがアップ・グレードされたり、紹介されたりするからである。とにかく、周回遅れのPCには、振り回されているユーザーだからである。思えば、ワープロを使っている間は、それ程、問題なかったが、ひとたび、95以来、ハードとソフトのバランスが、全く悪く、いくら煮え湯を飲まされて、大枚をはたいてきたことか、、、、、、、。今でも、回収ゴミに廻されないで、技術の革新を信じ切って、書斎の片隅に、都会の宝のゴミの山と化しているハード機器が多いことか、、、、、、、、。フィルム・スキャナー、スキャン機器、ウェッブ・カメラ、トナー式コピー機、ファックス、XP仕様のラップトップとデスクトップ、等々、、、、、、、、、。いつか、画期的な技術が開発されて昔の機器が、スイスイ、使えるようになることを願っていますが、、、、、、、。そろそろ寿命が近づくと、別に、こちらは何も悪いことをしている訳では無いにも拘わらず、windows updateや、諸々の付随するソフトのアップデートや、不具合の度重なる修正の為のアップデートで、何処かに、ゴミでも溜まるのでしょうか?最近では、「作業ファイルを作成できません、環境変数を設定し直して下さい」等のエラー表示が出てくる度に、officeやwindowsのサポートやヘルプを参照しながら、修復をトライするが、うまく行かず、天国から地獄へと転落してします。おまけに、MSN等は、物理的な拠点がないから、ネットや電話対応しかしてくれず、メーカーの所へ相談しに行っても、もっとも、拠点自体がある所はまだしも、最近の合理化で、出張サービスに切り替えているメーカーなどは、申し込んでも、「直る保証はありません。その為のチェックに、出張費用と別途点検費用がかかります。」等と謂われてしまうまでである。何とも、これが、果たして、「カスタマー・フレンドリー」なのであろうか? 一体全体どうなっているのであろうか?秋葉原出掛けていってみれば、案の定、「ハードの問題であれば、チェックの上、せいぜいが、初期化の上、再インストールですね」と、すげなく、説明されてしまいました。それじゃあ、私は自分で、やることにするわ!やっぱりね!それでも、電話やネット対応よりは、まだましである。こんな感じでは、大都市ではなくて、中小の地方都市の場合には、一体全体、どうするのでしょうか?もうこの次は、みんなの意見を入れて、i-padにでもするとしようか?帰りに、運転用のメガネの度が合わなくなったので、新しいめがねを作ろうと眼鏡屋に立ち寄って、検査して貰ったら、ご親切にも、検査の結果、裸眼ギリギリの視力で、念の為、一度、専門の眼科医に検眼して貰ってから、その処方箋で、対応しましょうとアドバイスされて、運転用のメガネ・レンズを作り直すのを延期しました。こちらは、なかなか、「カスタマー・フレンドリー」でした。少々、考えさせられてしまいますね。全く、、、、、、。



久しぶりの英字新聞Japan Timesに思う:

2013年12月02日 | 社会戯評
久しぶりの英字新聞Japan Timesに思う:
現役の頃は、仕事柄、必ず、日本経済新聞、朝日新聞、英字新聞のJapan Timesを自宅で、購読していて、必ず、目を通して、電車の中で、文庫・新書本を、そして、会社では、業界紙に目を通すということが、一種の日常的なルーティーンになっていたが、今や、老眼鏡のお世話にならないと、ままならない状況に陥り、なかなか、読書すらも、難渋する始末で、全く情けない。先日の海外クライアントとのアテンドでも、アイ・パッドの指先での活字の拡大は、全くありがたいモノで、次は、いよいよ、内心、「これだな!」と思った次第である。英字新聞というモノも、昔は、分からない単語を辞書で引いて、それを単語帳に書き出したものであるが、今では、電子辞書やら、携帯電話で、簡単に、分からない単語を翻訳して、おまけに、発音までしてくれる機能がついているのには、流石に、驚いてしまう。ますます、世の中、便利になりつつある。ホテルに一緒に、投宿していたので、朝、英字新聞がドア越しに、配布されていた。昔は、長い時間の飛行距離の時には、英字新聞も暇つぶしに、或いは、その国の新聞が、日本のことをどのように観ているかを知るために、機内でよく読んだものである。もっとも、ものの30分もしないうちに、気が付くと、うたた寝をしている自分に、ガッカリさせられるものであったことは、これも又、事実であるが、、、、、、。それにしても、たまには、日本の新聞が書いていないことが、結構、掲載されていて、単語を覚えるだけでは必ずしもなさそうである。テレビとは、又、一味違うモノがありそうである。興味深い記事を見つけた。小平学校と呼ばれる、旧中野学校にそのルーツを遡る防衛省内の諜報機関が、実は、総理大臣の知らないうちに、海外へ、とりわけ、ロシア・中国・韓国・ポーランドなどへ、要員を派遣して、インテリジェンス活動を行っていたと、報じられている。GSDF (=Ground Self-Defense Force) sent spies abroad without oversight: source. Prime Ministers not informed about military’s intelligence-gathering…………. 成る程、アメリカによる盗聴だけでなくて、お互い様に、ドイツもイギリスも、同様に、防諜活動をしていたわけだから、何も、日本での海外諜報員の活動に対して、同様に、日本側も、似たような活動を行っていることがこれからも容易に、確認される。もっとも、本当に、総理大臣が本当に知らなかったのかどうかは、実際には、額面通りには受け取れないが、、、、、、さもなくば、シビリアン・コントロールと言う言葉自体が、成り立たないことになるが、、、、、、、、。日本語の「防空識別圏」とは、Air Defense Identification Zone と表現されていた。勉強になりました。ピアノの指先の練習と、英字新聞をたまに読むことは、果たして、呆け防止になるのでしょうか?



無料映画、「蘇る金狼」を観る:

2013年12月01日 | 映画・テレビ批評
無料映画、「蘇る金狼」を観る:
スカパーの販売促進一環での無料映画鑑賞である。日本映画専門のベスという番組である。随分、昔の話であるが、1979年制作の所謂、角川映画、メディア・ミックスを謳った当時の一連の角川春樹が提唱した「本と映画」の相乗効果を狙った作品である。既に、大藪春彦による原作は、友人の勧めで、と言うよりも、当時、ハードボイルドが好きだった友人が、「野獣死すべし」も含めて、原作を読むことを勧められた経緯があったことを想い出す。従って、映画は、製作時点では、観ることがなかったが、何故か、米国駐在時代に、ベータ版でのビデオを購入して、観た記憶があるが、今にして思えば、随分と、製作後、恐らく5年ほど経った後のことである。それにしても、若い時には、我々の世代は、学生時代、銀座・並木座で、高倉健主演のヤクザ映画や様々な映画を観たものである。その延長線上から云えば、主演の松田優作は、謂わば、この映画の中での演技は、多少、癖のある、大げさな仕草も含めて、鼻持ちならないものがなくはないが、それでも、遺作となってしまった「ブラック・レイン」での鬼気迫る演技の原型は、この作品でも、すごみのある演技を、コミカルな演技とは別に、見てとれる。今、存命していたら、アウトレイジ・シリーズを凌ぐような迫真のヒットマンの演技が、観られたのではないだろうか?その点では、おおいに残念でもある。考えてみれば、脇役陣も、曲者ばかりの俳優が、随分とみられなくなってしまったが、、、、、、、、ここにも、顔を見せ、しっかりした演技をしていることは見逃せない。ヤクザ映画でも常連だった、安倍徹の総会屋役、佐藤慶の社長、成田三樹夫、小池朝雄、そして、久米明、待田京介、他、千葉真一、岩城滉一、風吹ジュンなどは、未だ、この頃は、ひよこ同然であろう。ヒッチコック監督なみに、後ろ姿で、出演している未だ若い頃の角川春樹も、今にしてみると、こうした手法も懐かしい限りである。あんなに鍛えていた肉体も、結局、大腸癌という病には勝てず、後年、ハリウッド進出を眼の前にして、スクリーンから消えてしまったが、こうして、再び、松田優作の勇姿を観ることが出来ると、当時の想い出やら、懐かしい臭いまでもが、記憶の片隅から、蘇ってくるような気がしてならない。今度は、ブラック・レインでも、ビデオを借りてくることにしようか?二代目の石原裕次郎と目されて選ばれた俳優も、その後、パットしないし、アクションでも、演技でも、しっかりと出来るような体育会系のアクション・スターは、出てこないのであろうか?それとも、もはや、時代は、そんなタイプの役者は、必要とはしていないのであろうか?映画は、所詮、時代の臭いと背景・ニーズを反映しているものなのか?そして、俳優も、結局は、そういうモノなのであろうか?俳優を通して、時代が透けて見える。