こんにちは日本共産党の渡辺みつるです

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共感広がる早朝宣伝!

2009年05月08日 13時38分49秒 | インポート

 ●●川の右岸(川側の歩道)を歩いていると、白鳥の親子に遭遇。最近生まれたばかりの雛3羽が親のあとに付いて泳いでいます。まだ川の流れが穏やかなので何とか(親鳥Img_05541 に)離れないように頑張っている姿が実に可愛らしい、と思います。(添付写真:左上)●●川が気に入ったのか、ここ数年すっかり住みつき、早朝ウォークで見かけます。今日もカメラを手にした多くの方々が写真を撮っていました。余り騒ぎ立てると「白鳥」がいなくなることが心配です。

 今朝は、早朝ウォークを止めて、久々に勤医協苫小牧病院付近の双葉バイパス通りの交差点で「朝宣(早朝の街頭演説)を佐藤昭子さん(党9区くらし・平和対策委員長)と4人の市議団で行いました。(谷本誠治議員が撮影:右下)ハンドマイク3台と「のぼり」10本を立てましたが目立ったようです。通学途上の小学生が「おしようございます」と元気な声であいさつしてくれるので、こちらが元気をもらいます。市役所に行くと職員から「議員!いつもの場所でやっていましたネ!(私の顔)見えましたか?」と聞かれましたが、正直通過台数が多い時間帯だけにすべてのドライバーの顔まで見えません。でも、手を振ってくれる方が非常に多いのには驚きました。佐藤さんの演説もたいへん整理され判りやすく共感のもてるお話でした。麻生内閣のバラマキ経済対策、消費税増税、そして平和問題など、どの問題でも苦しめられている国民の目線から見た内容ですが、聞きたくない方にとっては「また、批判ばかりして」と見る面がありますが、現実の生活実態・雇用不安などを日々の暮らしで体験している多くの市民は「その通り!頑張って」と共感の声と期待の広がりを強く感じました。

 私もマイクを握り、オバマ米大統領がプラハで行った演説の一部Img_05501 を紹介し、5/10付の日曜版一面に掲載している記事を持ちながら、「オバマ大統領は『米国は核兵器のない、平和で安全な世界を追求していくことを明確に宣言する』とのべたことに、一政党の野党の党首である日本共産党の志位委員長が歓迎の書簡を送った」ことを強調。一方で、麻生総理はベルリンで「核兵器縮減をめざす」という被爆国日本の代表が未だに「核抑止力」論にしがみついている実態を話しました。ここに、麻生内閣=自・公政治の平和問題が問われていると思います。

 午前中、2009年原水爆禁止国民平和大行進苫小牧実行委員会(5/21苫小牧入り~22)が開かれ参加しました。全世界に約2万発の核兵器が現存していますが、全世界から「核兵器をなくす」運動は、核保有国だけでなく北朝鮮の核兵器抑止論を孤立させる意味でも重要な喫緊の課題と考えます。


将来不安の解消を!

2009年05月07日 21時45分42秒 | インポート

 好天に恵まれた(人によっては長い?)ゴルーデンウィークが終わりましたが、今日は「苫小牧らしい」というか、そんな天候でした。私の連休期間は、小樽への電車での日帰りの旅、「レッドクリフPartⅡ」と「スラムドック$ミリオネア」を映画館で2本見て、自宅では「西の魔女が死んだ」(レンタルDVD)など映画鑑賞で、出来る限り「安・近・短」で過ごしました。TV報道ではETC効果を盛んに宣伝し、「高速道路の渋滞」の様子が流れていましたが、結局「ETC搭載者」は得をする、と言うことです。そもそも、高速道路は多額な国民の税金を投入して建設し、しかも利用料金を取っている。投資以上に利益を得ながら、いまでも「有料」であること事態がおかしなこと。「ETC搭載の有無」に関係なく「無料か、同額にすべき」内容と私は考えます。

 昨日の夜、NHKで「日本のこれから」と題する番組が放映されました。最後まで見ることが出来ませんでしたが、「10.000人の『35歳』を対象」にしたアンケート結果をもとに「20年後の日本はどうなるのか?」と現状から将来の日本の経済・暮らしのあり方を問う内容でした。私も「35歳」のとき、最初に学んだことは「年金」でした。65歳で年金受給権を得るには、最低掛け金300ヶ月(25年間)が必要であり、それが「35歳」でした。昨夜の番組では、現在の「35歳」は「団塊の世代」の子供たちで、年齢別に見た全人口の中では、「2番目」(1位は『団塊世代』)に位置しています。番組のなかである青年が、「婚約者がいたが相手の親から『(今の給料で)食べさせられるのか』と言われ結婚が出来なかった」と胸の内を明かしていました。「生まれたときはバブルがはじけた時。そして就職時は「超氷河期」。正社員になって、毎年給料は上がるものと思って、マイホームを建てたが、給料は下がり、いまその身分すら保障されない」と雇用不安を訴えていました。

 前出で紹介した「スラムドック$ミリオネア」の映画を思い出しました。主人公はインド・ムンバイのスラム街出身の無学の青年ジャマール。過酷な育ちのなかで体験したことが、TV番組「クイズ$ミリオネア」に出場し、最終問題までたどり着き、一夜で億万長者となる人間ドラマ。中国の次は「インド」が発展する?と日本の大企業は進出しています。いつの時代でも、「低賃金・使い捨て労働」でもうけるのが大資本・大企業。将来不安の解消こそ、いま政治に強く求められています。

「にくきもの 減らぬぜい肉 増える税」の川柳は、まさに「バラマキ経済対策」の麻生内閣=自・公政治を良く見ています。「政治とカネ」に無縁の共産党の躍進で将来不安を解消できる政治へ変えましょう。


夢と現実!

2009年05月06日 11時24分42秒 | インポート

 見るからにお金をかけている、と思われる冊子が届きました。33年前に卒業した大学からの「同窓会報」と「校友会報」です。子どもの頃から「父(4歳のとき病死)は洋服の仕立職人で器用だったが、満も『左利き』だから父親のように器用かもネ」と母から言われ、子ども心に将来の「夢」は「エンジニア」志望でした。高校進学のときに札幌の「工業高校」を希望しましたが、経済的な問題で地元の普通高校へ進学。今とは比較出来ませんが、高校卒業時は「第1次オイルショック」で希望する就職は叶えられず、上京を決め、夢を捨てずに東京の2部の工学院大学電気工学科を選択しました。当時私の調べた範囲では2部で、しかも4年間で卒業できる大学は、工学院大学しかなかった、と記憶しています。同級生のほとんどが工業高校卒だったので授業についていくのは大変でした。昼間働き、夜は大学。そして、時には残業で「徹夜」したことも何度かありました。2年生の時、親友の薦めで当時としては完全週休2日制の会社に採用され、同級生の支えもあって何とか単位もとれました。生活防衛から学生運動=授業料値上げ反対運動(当時の年間学費は給与の4ヶ月分に相当)とサッカー(中学時代から)の運動にも参加しました。何とか4年間で卒業しましたが、将来も東京で生活する気持ちに不安をかかえ(第2次オイルショック)、兄に相談したところ「勤医協(北海道)に欠員が出たので受けたら」の一声で畑違いの医療従事者の職を選択し北海道に戻ることが出来ました。同級生やゼミの先生、お世話になった会社からも、「苦労して学んだ技術を生かしては?」との説得もありましたが、結局「左利き」の器用さは「畑違いでも努力すれば・・・」生かされる体験が出来ました。前出の「同窓会報」は「隆星」(りゅうせい)という冊子です。「隆星」の意味はわかりません。でも、いまの次期に「会報」が送られてくるのは、少子化問題で学生確保の面から、また厳しい大学経営も推測出来ます。冊子には、振り込み用の募金が同封されていました。

 ゴールデンウィークも今日で終わり、4月に就職した長男が「ゴールデンウィークに帰って良い!」と言っていましたが、「我慢する」ことを体験し「5月病」をクリア出来そうです。

 週末、「母の日」を迎えますが、「私が上京するときに、大変な苦労をして送り出してくれた」ことを思い出しながら、「感謝の気持ち」として、ささやかなプレゼントを用意しました。


小林多喜二文学碑

2009年05月04日 19時35分06秒 | インポート

 今日は、残り少ないゴールデンウィークですが好天に恵まれました。偶に電車に乗って観光地めぐり!と思い、次男に「(電車で)小樽に行かない?」と誘ってみたものの、「車で行くなら行っても良いけど、でも友だちと約束しているから・・・」とあっさり断られました。正直、ETC車なら片道1.000円で済みますが、(自家用車には)装着していないので電車Img_05361 行ったのも理由にあります。小樽にこだわったのは、まだ行っていなかった旭展望台(小樽市街を一望できる)にある小林多喜二文学碑を見たかったから。駅に着いて「旭展望台」のアクセスを調べると、歩いていくか、タクシーしか選択がなく、私はタクシー(片道1.000円弱)を選びました。道中で何人か歩いている方を見たので、「歩くと時間はどの位かかるのですか?」と訪ねると、「場所は駅の裏でも、この坂を上るにはかなり時間がかかりますョ」と言う通り、時間制限がなければ歩いて行ける場所でもありました。添付写真:左上

 現地には、既に何人かの家族連れがいましたが、その中には「東京から来ました」と言う高齢のご夫婦の方に出会いました。小林多喜二文学碑は44年前(1965年)に全国から寄せられた募金で建立したもの。旭展望台の入り口付近には、多喜二が学んだ小樽商業高校と小樽商科大学があります。事前に運転手さんに「帰りは現地にタクシーありますか」と伺ったところ、「自分で下る(歩く)しかない」と聞いていたので少しの時間待機して頂き、その後で「歴史建造物」と「小樽運河」を散策するために、「小樽オルゴール堂」まで直行しました。添付写真:右下

「さすが観光地」の名所(最近は旭山動物園の影響を受けていImg_05391_2 る、とタクシー運転手談)ということもあって、苫小牧では見られない群衆の数に驚きました。すれ違う人たちの会話にも外国語(特に台湾の人が多い?)が飛び交っていました。「散策中」に自家用車を見ると、旭川、釧路、室蘭ナンバーがあり道内各地から来ているようです。今日は、暖かいと言うより、「暑い」と感じましたが、たどり着いた「小樽運河」沿いにあった温度計を見ると「24.5℃」が表示されていました。

久々に自家用車を控え、徒歩による「観光地めぐり」で万歩計を見ると「12.000歩」を超えていました。明日は、映画鑑賞を考えています。


憲法記念日に思うこと!

2009年05月03日 11時37分26秒 | インポート

Img_05351  連休中、母にとっての楽しみは、デイ・サービスで通所仲間と会えること。そして、孫やひ孫が遊びに来ること。今日は、朝から曇りがちの天候でしたが、昨日買ってきた「都わすれ」「ミリオンベル」を庭先に植えました。特に、「ミリオンベル」は1年草ですが、日当たりが良い場所において、枝先を摘むと分枝が早く「花いっぱい」になります。早速、植えた花を見ながら「長生きすると、可愛い孫たちに会えるし、(見たくないものもあるが)Img_05341 綺麗な花、美味しいものが食べられるから幸せ」と満面の笑みを見せてくれました。

 新型インフルの感染国・感染疑いの例がある国が日々増えています。買い物に行っても安全と言っても「豚肉」(国産品)の買え控えが目につきます。地球規模の大流行=「パンデミック」対策は喫緊の課題だけに政府は「水際作戦」を展開しています。調べてみると20世紀に新型インフルは、1918年の「スペイン風邪」(H1、1957年「アジア風邪」(H2型)、1968年「香港風邪」(H3型)そして1977年「ソ連風邪」(H1型)と4回発生しています。今日のしんぶん赤旗の「潮流」を読んで、「スペイン風邪」に対する認識が変わりました。1918年は第1次世界大戦の最後の年。2000万人~5000万人(日本では「48万人?」)とも推計されている死者数。でも、発生したのは「スペイン」ではなく、「アメリカ」という説があるようです。ドイツ軍の攻勢に対し、「アメリカ」は急きょヨーロッパに兵士を送り込んで、軍隊内に広がり、同盟国であったイギリス・フランス軍、そしてドイツ軍へと拡大。「税金は戦費調達につぎ込まれ、対策が遅れたために全世界に広がった」と書いています。では、何故「スペイン風邪」なのか?当時「スペイン」は(戦争に)参戦していなかったので、「インフル」対策に税金を使い、社会不安を隠さなかったようです。戦争は、こうした問題にも影響しています。

過日、日本共産党の志位委員長が「・・・世界でただ一つの被爆国において、この地球上から核兵器を廃絶することを日本国民とともに求めてきた一政党を代表して・・・」とバラク・H・オバマ大統領に書簡を送りました。4/5でのオバマ大統領が「米国は核兵器のない、平和で安全な世界を追求していくことを明確に宣言する」と言及しました。核兵器廃絶の「一点」での友好と友情を求めた書簡だけに、私は感動しました。「憲法9条を守る」運動も国内だけでなく世界にも広がっています。新型「ウイルス」で尊い命が奪われることがないように、「生存権」が生かされる税金の使い方を過去の例から学ぶことが大切、と思います。