日々を綴る私のブログ

今日心に響いたことと好きな絵を、
気まぐれに描きながら続ける日記。

一番嬉しいことは散歩

2006-01-11 | 我が家で暮らした犬達

我が家で暮らした最後の犬、幸ちゃんは、16年間家族の一員でした。
亡くなる年の夏の終わり頃から、どんどん弱ってゆきました。
それでも、散歩にだけは行くと言って、何時もの散歩の時間が来ると
起き上がって待っていました、抱える様にして玄関まで連れて行き
ふらふらしながら歩きました。それも、だんだんと距離が短くなり、
オシッコもウンチも体を支えて上げないと転ぶようになりました。
とうとう帰りは、大きな体を抱っこして帰る様になったのです。
食事も、だんだんと食べなくなり・・水だけなめる程度の日も有りました。
そうして1週間もすると、体はすっかり力が無くなり、起き上がるのも
足が思うように立たなくなり・・ほぼ横になったままに成ってゆきました。
少しでも食べられる物をと、刺身や生肉など色々と与えてみましたが
それも、少~し食べるだけで、食欲は日に日に無くなってゆきました。
弱ってゆく幸ちゃんを見守ることは辛いことでした。
ただ救いは、息が苦しそうとか、体がしんどそうに見えなかったことです。
犬小屋で横になっている幸ちゃんに・・「幸ちゃん・・どう・・しんどい?」
と声をかけると、目を明けて頭を動かしてくれました。
私には、何時見ても、穏やかにすやすやと眠っている様に見えました。
命有るもの皆全て・・いつかは終わりの日が来ます。
辛いけど・・・最後まで優しく見守って上げたいと思いました。
続き・・又にします。
 
(写真・・今年の干支・・土鈴の犬と駒)

おばあちゃんに成った幸ちゃん

2006-01-10 | 我が家で暮らした犬達

病院通いも、血尿がどっと出た時に行く事にして、
出来るだけ幸ちゃんの嫌がる病院には行かない様にしました。
若かった頃の様な元気はすっかり無くなりました。
オシッコは、何度も何度も一日に10回でも行きました。
さっき行ったのにと思っても、残尿感が有るのでしょう、
もうダメでした、オシッコに連れて行ってーと鳴きます。
私が家に居る限り、鳴けばいつでも連れて行きました。
耳も遠くなって後ろから「幸ちゃん!」と呼んでも聞こえないらしく
体に触れるとビック!となって、あわてて振り向いていました。
その姿も、また可愛かったものです。
目も白内障になって白く濁っていました。
きっと、ぼや~と霞がかかったみたいだったのでしょう、
それでも、裏の庭から玄関に行く時など、途中に猫のフードが置いてあると、
ちゃっかり、むしゃむしゃとつまみ食いして通ったものです。
そんな幸ちゃんも、どんどんおばあちゃんに成って行きました。
誰も皆・皆・おじいちゃん・・おばあちゃん・・になるのですよね!
続きにします。
 
 (絵・・カトレア・・さつき画)

幸ちゃんも老いてゆく

2006-01-09 | 我が家で暮らした犬達

その後も、幸ちゃんは良くなったり、悪くなったりを繰り返していました。
そんな時家族で、だんだんと弱り衰えてゆく、幸ちゃんを見ながら
考えました、「もう長くは生きられないかもしれないね」と
そして、嫌がる仔を治療といって病院に連れて行くことが
本当に幸ちゃんにとって、ありがたい事なのか・・・
直る保障が無いものを続けてゆくことがいいことなのか
車に乗せただけで、病院が怖くて、もう体がぶるぶる震えている幸ちゃん、
昔は、犬・猫は病院に連れて行くことなどしなかった・・・。
大切に愛情一杯で育てて上げて16年生きてきたのだから、
最後に嫌な思いをさせてあげない方がいいのではと・・。
苦しそうに見えたり・辛そうだったら、勿論連れて行こうと思いました。
しかし、幸ちゃんは、見た目、そんな風には見えませんでした。
御飯はだんだん量が減り・昼も寝ていることが多くなりました。
其れでも、散歩は一番楽しみなことの様でした。
毎日散歩の時間が来ると、犬小屋から、ふらふらしながらでも出てきます
幸ちゃんの体調に合わせて上げて、ゆっくりゆっくり・気ままに歩きました。
「帰りのことも考えようね・・もう引き返そうか?」
と声をかけながら歩いたものです。
動物も人間も皆こうして衰え、老いてゆくんだな~と感じたものでした。
この後は、続きにします。

(絵・・さつき画)


幸ちゃんは家族

2006-01-08 | 我が家で暮らした犬達

毎日、幸ちゃんの病院通い、頑張りました。
幸ちゃんの病気を治して上げたいから、
時々、検査もして頂きながら・・毎日ポケットにお金を入れて・・
ここの先生は凄く良心的な先生で、
けして無駄な治療をなさる方ではなかったので、治療費も
そんなに高くは有りません、が・・1ヶ月も続くとさすがに・・、
初めは毎日付けて、いくら遣ったか計算してましたが、
10万を出た辺りから、お金のことは考えない事にしました。
幸ちゃんは家族なんだから・・と思って・・
1ヶ月過ぎて、先生が「点滴を1ヶ月続けてみました、完全には直りませんので
点滴は止めましょう、明日から注射だけにしましょう」と
おっしゃって下さって、私の毎日1時間のお勤めは終わりました。
そうそう毎日幸ちゃんを治療台の上で1時間押さえていた頃、
私の右腕が重く痛く動か無く成ったことが有りました。
その時は「どうしたんだろう?・・50方かな」と思ったのですが
後で考えたら、幸ちゃんを1ヶ月間押さえ続けたせいでした。
幸ちゃんと通った病院治療それからも、何度か有りました。
続きは・・次回にします。

(絵・・椿・・さつき画)


幸ちゃんの病気

2006-01-07 | 我が家で暮らした犬達

我が家で暮らした犬の幸ちゃんは、とっても利口な優しい犬でした。
自分より小さい犬とは、けして喧嘩をしない、
自分より大きな犬には、勇敢に向かって行く、
人の言葉が良く分かり、理解できた。
などなど、シェパード犬に似たキリリとした顔だちで素敵な犬でした。
その幸ちゃんも、亡くなる2~3年前位から、病気がちになりました。
血尿が出始めて、病院に通う様になり
毎日かかさず一ヶ月も通った事も有りました。
その時は毎日、点滴と注射をしていただきました。
幸ちゃんにとって、点滴・注射をしている間はきっと地獄の様に思えたでしょう
嫌がる幸ちゃんを台の上で動かないように押さえるのが
私の毎日の日課に成りました。それでも、諦めたのか10日もすると
牙を出すのは注射器を挿して頂く時だけになり、私も少し楽に成りました。
でも途中で先生が、見にこられると唸ります。
その内、治療室に入ると先生が、私に椅子を貸して下さいました。
長い時間の点滴で立っているのが大変だからと、気を使って下さったのです。
毎日・・1時間・・幸ちゃんが動かないように押さえ続けました
今思うと良く続いたな~て思います
この続き長くなるので、次にします

 (絵・・雪囲いの牡丹・・さつき画)

犬の思い出

2006-01-06 | 我が家で暮らした犬達

今年は犬年、年賀状に犬の絵を入れたくて暮れに描きました。
なかなか思う様には描けませんでした
我が家に犬が居たら、きっとその子を写真に撮って入れただろうな~
我が家で最後に飼った犬、幸ちゃんは亡くなって、もう11年に成ります。
犬年にあたり、また、幸ちゃんのことを思い出しました
亡くなる2~3年前は、随分からだも弱り、病気がちになって
本人(本犬)の大嫌いな病院通いを随分続けました。
車で5~6分の所に有る犬猫病院なのに、行く途中に車の中で
オシッコをしたりウンチをしたりと私を困らせました
診察室に入って、台の上に上がると、もう大変でした
先生には牙を出してご挨拶、看護士さんにも声で脅す・・と
病院大嫌いな幸ちゃんでした、そんな思い出を、
また・・思い出しながら書いてみます
(絵・・さつき画)

今年1号の失敗

2006-01-05 | 日々つれづれ

 あ~あっ!やっちゃいました
 掛けていた雪景色の色紙額がしっくりしなくて、椿の絵に替えて、
 外したその額を別のところへ掛けて2~3分後・・「ガシャーン・・」 
 大きな音です・・二階の廊下から階段の下までガラスが飛び散りました
 掛けたピンが抜けかかっていたのです
 色紙額を壊してしまいました、今年1号の失敗で~す
 もう1つ・・12月分の請求書をまだ出していませんでした
 何時もは、31日に全部封筒に入れて準備して
 年が明けたらすぐ一番に出すのですが、
 すっかり頭から請求書のことは消えていました
 おまけに、まだ一軒出来てない請求書も有り・・直で作りました
 まーっ風邪引きだったのだから・・「許していただこう!」という事にしました。
 やぁ~!今年もいろいろ有りそうな私です



今年の目標

2006-01-04 | 日々つれづれ
 
 今年の目標と言っても・・はっきりと浮かびませんが
 まずひらめいた事は・・
    
    1・・仕事は今までと同じく頑張る
    2・・我が家の要らないものを捨てる
    3・・新しい私の作品に挑戦する
    4・・ブログを続ける

 この4ッを目標に頑張る事にします 。

  1は・・歳を重ねたため、少し動きにもたつきが有り体を鍛える事。
          経理では、これも赤線が増え、集中力をつける様にする
  2は・・貧乏で育ったのでシッカリ貧乏性です、何でも捨てられません
          でも、今年は思い切って、捨てる事を心がけます。
  3は・・今日、本屋に行き、雑誌を見ていて、ひらめいた物が有ります
          さあ~っ・・作ってみたい・・いいもの出来るかな?
  4は・・これは続けられると思います。
          写真を撮るのも、絵を描くのも楽しいから。

 昨年のままの様にも思えますが、
 正直言ってどれも・・もう・や・め・た・い・と思う事有ります。
 去年までは、こうして文字にして目標を決めた事は無かったので
 初めての私の挑戦です・・ふふふっ・・頑張れるかな~
 
     皆・・


育てたパイナップル食べました

2006-01-03 | 日々つれづれ

2006年1月2日、とうとうあの・・パイナップル・・食べました>

何しろ我が家で育てた、パイナップルなので、
なかなか食べがたくて、お正月に皆で食べる事にしていました。
写真がそのパイナップルです。(小さいです)
皆でワクワクと心して頂きました。味は甘くて、良い香りがしました
お店で買ったパイナップルの葉から、食べられる実が出来るなんて
信じてなかったので、こうして食べることが出来たのは、
昨年の喜ぶべき出来事でした
もしかして、あの異常気象が良かったのかも知れませんね!
ともあれ、この実の葉もTさんは又、植えて見るそうです。
今年も成るといいな~

(写真・・我が家で育てた・・パイナップル)

お雑煮

2006-01-02 | 日々つれづれ

私は毎年お正月に、必ずお雑煮をつくります。
材料は、鰹・昆布出しに、ハマグリ・椎茸、白菜・三つ葉・などの野菜・
そして、蒲鉾・焼いた御餅を入れてつくります。
お雑煮をつくりながら、何時も思い出すことが有ります。
私の古里は、広島県の山間部で、島根県堺に近い田舎です。
その田舎で、お正月の決まり事として、変わった習慣が有りました。
元日のお雑煮は、男性がつくる、と言う習慣です。
もちろん、材料の準備や下ごしらえは、女性がするのですが、
元日の朝、一番に台所に立ってお雑煮をつくるのは男性に決まっていました。
父だけの年とか、兄と男二人でつくることも有りました。
そう言えば・・何故そうするのかは・・聞いていなかった・・・?
きっと・・大晦日まで忙しく働く女性に、労いの気持ちを込めて・・
そうしたのではないかなと・・私はず~っと思って来ました。
父や兄が忙しそうに、白い割烹着を付けて、
雑煮をつくり皆の前に並べてくれた時、
それを見る、母の嬉しそうな笑顔を私は、今も覚えています。
戦後のまだまだ厳しかった時代、粋な優しい習慣だな~と思います。
もし願いが叶うなら、もう一度、あの父のつくってくれたお雑煮が食べたいです
 
 (写真のお雑煮は・・さつきのつくった雑煮)