「共同警備区域・板門店」
映画「JSA」で有名な板門店。
韓国と北朝鮮の正に国境、境い目、38度線です。
ここは個人で簡単に行く事が出来ない場所です。
しかも韓国人は行けません。
パスポートを何度もチェックされ、しかも「ここで何があっても一切文句は言いません」と言う誓約書にサインまで書かされて、いよいよ板門店の中に入ります。
ここは南北休戦会談場の中です。
韓国兵が2名、微動だにせず立っていました。

このテーブルと、立っている韓国兵の間は決して通ってはいけないと、予め注意を受けていましたが、
うっかりな観光客が通ろうとして韓国兵に威嚇されていました。
うっかりさんは泣き顔でしたが、緊張の足りない日本人だなーと思って同情も出来ませんでした。
真ん中にあるマイクから向こう側が北朝鮮です。

窓から外を見ると境界線がみえました。
このコンクリートのラインが韓国と北朝鮮をわけているのです。
軍事境界線ですね。
この写真で言うと、右側が韓国、左側が北朝鮮になります。

このテーブルは北朝鮮側にあった物。

これには決して触ってはいけませんと言われました。
もちろん物を置くのもアウト。
もし、韓国側の人間が触ってこのテーブルに傷が付いたら、
北朝鮮側が喧嘩を吹っかけて来るかも知れないからです。
コワイコワイ。
韓国と北朝鮮の境い目に立つうちのダンナさん。

立ちましたよ、北朝鮮の地へ。
10分程で南北休戦会談場を退出。
本当に分刻みで動かなければなりません。
次は自由の家と呼ばれる展望台に登っての見学でしたが、
ここでの見学はかなりの緊張を強いられました。
ここにはバッグやポーチなどの持ち込みが禁止されています。
カメラ、ビデオカメラ、双眼鏡、望遠鏡の持ち込み、使用は出来ますが、
ケースは外して剥き身での持ち込みです。
ぴよこなど持ち込めるはずもありません。
こちらは北朝鮮側の板門閣と呼ばれる所。
入り口に北朝鮮の兵士が立って監視をしています。見えますかねぇ。

兵士だけでなく、この建物には沢山のカメラが設置されていて、こちらを監視しているそうです。
ここに向かって指を指したり、手を振ったりしてはいけないと注意がありました。
指を指すと「韓国に来た外国人が北朝鮮の悪口を言っているという証拠になるから」と言われ、
手を振ると「韓国に来た外国人達は北朝鮮に憧れて手を振っているのだと言う宣伝になるから」と言われました。
なんだかもう、子供の喧嘩の言いがかりのようですが、
そういう細かい部分まで注意を払っていないと、関係が悪くなるかも知れないという事だそうです。
それから走ってはいけないとも言われました。
走る事は両方の兵士を緊張させる事なのです。
見えているのは北朝鮮の村です。
ただ、人は暮らしていないそうで、
北朝鮮が対外的に見せるために作った宣伝村と言う所です。
立っている高い柱の先には、北朝鮮の国旗がはためいています。

横幅が32mもあるでっかい旗だそうですが、
残念ながらこのカメラごときではきちんと写すこが出来ませんでした。
ただ、オペラグラスを用意して行ったので、
肉眼ではハッキリ見る事が出来ました。
あちこちに韓国兵が立っています。
黒いサングラスをしているのは、北朝鮮側に視線を読まれないため。

バスに乗り込んで移動です。
ここからはバスからの撮影になります。

パンフレットには韓国兵と北朝鮮兵が
並んで警備をしている様子の写真がありますが、
「ポプラ切断事件」と言う事件の後は、
北朝鮮側に出入りする事が禁じられているそうです。
北朝鮮兵も板門閣の前に立っている人以外、
見る事は出来ませんでした。
そのポプラ切断事件のポプラがあった跡。

下の丸い円が、同時のポプラの幹の大きさだったとか。
この橋は帰らざる橋です。

1953年の停戦後、捕虜達の交換が行なわれた際、
捕虜達は北か南かを選び、選んだが最後
2度と帰れなかったために付いた名前です。
これが通行パス。

常に服の一番目立つ場所に付けておかなければなりませんでした。
これを返して共同警備区域を後にしました。
本当に1日たっぷり、緊張のツアーでした。
映画「JSA」で有名な板門店。
韓国と北朝鮮の正に国境、境い目、38度線です。
ここは個人で簡単に行く事が出来ない場所です。
しかも韓国人は行けません。
パスポートを何度もチェックされ、しかも「ここで何があっても一切文句は言いません」と言う誓約書にサインまで書かされて、いよいよ板門店の中に入ります。
ここは南北休戦会談場の中です。
韓国兵が2名、微動だにせず立っていました。

このテーブルと、立っている韓国兵の間は決して通ってはいけないと、予め注意を受けていましたが、
うっかりな観光客が通ろうとして韓国兵に威嚇されていました。
うっかりさんは泣き顔でしたが、緊張の足りない日本人だなーと思って同情も出来ませんでした。
真ん中にあるマイクから向こう側が北朝鮮です。

窓から外を見ると境界線がみえました。
このコンクリートのラインが韓国と北朝鮮をわけているのです。
軍事境界線ですね。
この写真で言うと、右側が韓国、左側が北朝鮮になります。

このテーブルは北朝鮮側にあった物。

これには決して触ってはいけませんと言われました。
もちろん物を置くのもアウト。
もし、韓国側の人間が触ってこのテーブルに傷が付いたら、
北朝鮮側が喧嘩を吹っかけて来るかも知れないからです。
コワイコワイ。
韓国と北朝鮮の境い目に立つうちのダンナさん。

立ちましたよ、北朝鮮の地へ。
10分程で南北休戦会談場を退出。
本当に分刻みで動かなければなりません。
次は自由の家と呼ばれる展望台に登っての見学でしたが、
ここでの見学はかなりの緊張を強いられました。
ここにはバッグやポーチなどの持ち込みが禁止されています。
カメラ、ビデオカメラ、双眼鏡、望遠鏡の持ち込み、使用は出来ますが、
ケースは外して剥き身での持ち込みです。
ぴよこなど持ち込めるはずもありません。
こちらは北朝鮮側の板門閣と呼ばれる所。
入り口に北朝鮮の兵士が立って監視をしています。見えますかねぇ。

兵士だけでなく、この建物には沢山のカメラが設置されていて、こちらを監視しているそうです。
ここに向かって指を指したり、手を振ったりしてはいけないと注意がありました。
指を指すと「韓国に来た外国人が北朝鮮の悪口を言っているという証拠になるから」と言われ、
手を振ると「韓国に来た外国人達は北朝鮮に憧れて手を振っているのだと言う宣伝になるから」と言われました。
なんだかもう、子供の喧嘩の言いがかりのようですが、
そういう細かい部分まで注意を払っていないと、関係が悪くなるかも知れないという事だそうです。
それから走ってはいけないとも言われました。
走る事は両方の兵士を緊張させる事なのです。
見えているのは北朝鮮の村です。
ただ、人は暮らしていないそうで、
北朝鮮が対外的に見せるために作った宣伝村と言う所です。
立っている高い柱の先には、北朝鮮の国旗がはためいています。

横幅が32mもあるでっかい旗だそうですが、
残念ながらこのカメラごときではきちんと写すこが出来ませんでした。
ただ、オペラグラスを用意して行ったので、
肉眼ではハッキリ見る事が出来ました。
あちこちに韓国兵が立っています。
黒いサングラスをしているのは、北朝鮮側に視線を読まれないため。

バスに乗り込んで移動です。
ここからはバスからの撮影になります。

パンフレットには韓国兵と北朝鮮兵が
並んで警備をしている様子の写真がありますが、
「ポプラ切断事件」と言う事件の後は、
北朝鮮側に出入りする事が禁じられているそうです。
北朝鮮兵も板門閣の前に立っている人以外、
見る事は出来ませんでした。
そのポプラ切断事件のポプラがあった跡。

下の丸い円が、同時のポプラの幹の大きさだったとか。
この橋は帰らざる橋です。

1953年の停戦後、捕虜達の交換が行なわれた際、
捕虜達は北か南かを選び、選んだが最後
2度と帰れなかったために付いた名前です。
これが通行パス。

常に服の一番目立つ場所に付けておかなければなりませんでした。
これを返して共同警備区域を後にしました。
本当に1日たっぷり、緊張のツアーでした。