1月11日、フェルメール展に行ってきました。この展覧会、開始前から気にはなったものの、ネット検索をしてみると、フェルメール展と銘打ちながら、肝心の絵は9点、(少なッ!)それでも日本で公開される点数としては今回が最多だそうです。またフェルメール作品だけかと思いきや、フェルメール作品だけが展示されているフェルメール部屋がある、(他の画家の作品もあるんだ?)と、どうでもいいことに一人突っ込みをしたり、やっぱり見たいと予約サイトをポチッとすると、通常より高額チケットに若干の抵抗感があってグズグズしてしまったのでした。
肝心のフェルメールの絵は、描かれているモデル達の姿自体は、好きなタイプの絵ではないなという印象はありましたが、作品に盛られている物語性にとても興味が湧いていました。
行ってみて良かったです。好きじゃないと思っていた中に、好きになれるタイプの人物を一人発見できました^^
また同時代のオランダの画家たちの作品が同時に展示されていたのも、結果的にとても良かったです。よい絵が色々ありましたが、絵そのものではなく、見終えた後、特に印象的な点を少しだけ紹介します。
「ハールレム聖ルカ組合の理事たち」聖ルカ組合は芸術家の職業組合だそうで、画家というと現代では芸術家で、一匹オオカミ的な存在のイメージをもちますが、中世ではむしろ技術屋さん的なイメージの一つの職と考えられていたのかなとこの絵から想像してみました。
そして、フェルメールの弟子の作品かとも思った作品
「手紙を読む女」テーマも同じで、ネタバレになりますが、フェルメール作品に登場するのと同じある衣装が〜
「手紙を書く男」テーブルにかけられた物がフェルメールが好んで書いたもの(絨毯orタペストリー)と同じかな
鑑賞後はお昼は井泉でトンカツ午後のお茶は風月堂、どちらも友人の上野での定番コースだとか、私は初めてでした。お八つは最初に目に飛び込んできた正六面体のカステラ、「東京カステラ」というそうです。
毎日が日曜なのに職に着いていた頃から、日曜と云うとゆっくり起きる習慣が抜けず
遅い朝ご飯をたべながら日曜美術館を見るのが楽しみだ。もう一カ月以上前の事になる
がメアリーカサットが紹介されていた。
母子像を多く描いていると聞いて、どう云うわけか赤ん坊に眼の無い私は、まず
絵に描かれた子どもたちを見たいと思った。ついで画家が女性が職業画家として
生きる道が閉ざされている時代、親に反対されながらも自らの意思を貫いたという
プロフィールに、これは是非見に行こうと思いながら、色々な野暮用に時間を取られ
機会を逸していた。
母子像(とりわけ子供)を見に行くはずが、行った結果一番強く印象づけられた作品は
『桟敷席にて』であった。
着飾った男女の社交の場でもあった夜の観劇とは違い、昼間の劇場は純粋に舞台を
楽しみたい人が通うのだそうだ。それでもやはり女性の品定めを楽しむ殿方は当然
いるのだが、そんなの関心ないとばかり一心に舞台を見つめる女性の強烈な意志力!
画家の画業への欲求が絵の中の女性に現れたとも見られていると言うが、さも
ありなんと思われた。
女性が入学できる画学校が無い仏で、ルーブルに通っての模写が最初の修業時代だ
そうだが、それ以後も一定の画風にとどまらず印象派のドガや日本の浮世絵と出会い
常に新しい絵画表現にチャレンジし続けたそうだ。彼女の絵画への取り組み・生き方は
まさに強い意志力で達成されたものであろう。
画家は↓の如く、強い意志力を秘め聡明な美しさが引き立つ女性です。
2月10日いつものヨン友三名と村上隆の五百羅漢図展へ行ってきました。
村上隆は「現在国際的に最も高い評価を得ている現代美術作家のひとり」だ
そうですが、現代美術には全く目を向けたことのない私、その存在を知らなか
ったばかりか、先週の日曜美術館で取り上げているのを見るとはなしに見て
いながら、やはり関心を持つには至りませんでしたが、展覧会を良くご一緒する
友人の勧めで出かけることになり行ってみました。
私の好みが保守的なのかもしれませんが、絵自体には、やはり惹かれる
ところはありませんでしたが、美術史家の辻惟雄氏のお題に応えて描いた
という「ニッポン絵合わせ」という芸術新潮誌での取り組みはとても興味を
惹かれました。
また絵のスケールのでっかさや、そのでっかい絵を製作する、もはや絵を
描くと言うような言い方では表せない、製作方法などの詳細な記録も展示
されていて興味深かったです。
展示は既に3か月以上の長きにわたってされているようですが、いまだ多くの
人が訪れ人を避けて写すのに苦労しました。会期はあと一カ月程あるようです。
11月5日、本日2度目の投稿です。ランチの後、所要のある連れ合いと別れ
これもこの半月来楽しみにしていたニキ・ド・サンファル展に行ってきました。
展覧会に際して募集された「みんなのナナ!」
10月のとある日曜の朝、朝食のついでに見るともなしにみていたTVに眼が釘付けに!
女性としての生の苦悩の末に、アートという自己表現を獲得した女性の姿が写し出され
ていました。その表現は苦悩に満ちたものから、そこを突き抜け明るく軽快なNANAシリ
ーズへと変化して、一人の女性の鮮烈な生きざまを見ました。
少し重いかもしれないけれど、是非見ておきたいと思った展覧会でした。
そして鑑賞してみて、一人の日本人女性がニキと出会い、‘ニキは私だ’と並々ならぬ
情熱を注いでその作品を集めたということを知りました。
私にその作品を収集する経済力は、残念ながら無いし、又彼女らほど強烈ではありません
が、私もニキだと思いました。
晩年日本旅行後に触発されて創った仏陀(写真撮影可の部屋にて)
6月3日、旅の荷の片付けもまだ終えていないというのに、終了が迫っていると勘違いして
都立美術館で開かれている「大英博物館展」を見に出かけました。
不忍池近くの韓国カフェで昼食をとり、不忍池を見ながら行こうと池に近づくと
手を目の前に掲げて見つめるという行為を続ける不思議な(?)男性がいるので
しばらく様子を見てしまいました。手の先には花弁がつままれてい、そこを目がけて何と!
雀が寄って行くではありませんか!最多で3・4羽。あわててカメラを取り出した後は一羽ずつ
でしたが、何羽も交代するようにして引き寄せられていました。
花弁の上にパンくずでも乗っているのでしょうか?外国では人に近づいてくる雀が不思議で
見つけて眺めていたことはありますが、日本では初めてでした。小さな花弁なのに不思議です。
池を通って、ついでに前回見落とした上野の大仏様も見て~~なんてことをしているうちに
美術館へは3時を過ぎての到着となってしまいました。
「大英博物館展ー100のモノが語る世界の歴史」
人は物なしに生きることはできない。初期人類による最初の石器の誕生以来、人間はさまざまな
理由で物に依存してきた。問題を解決するため、あるいは地位を誇示するためにも、物は役立て
られ、神々に近づく手立てにもなった。物は私たちを挑発し、惹きつけ、喜ばせ楽しませる。
物は「物語」を語るのだ。多くの社会は後世に文字を残さなかったが、そのかわり人々の作った物が
彼らの体験を雄弁に語る。
展覧会の主旨にひきよせられる様に展示されているモノに食い入るようになって見てきました。
一つ一つのモノを単なる物としてではなく、それが私に訴えかけてくる声を聞こうとじっくり
解説を読み、展示物を見、どういう風に作られているか考え、単純な美しさや精巧な華麗さに
目を見はり~~
丁寧に見ていったら、閉館前30分のアナウンスが聞こえてきた時、まだ3分の一程しか見ていない
ことに気づき、残りは大慌てで一応見るには見たという感じになってしまいました。
印象に残ったモノは「オルドヴァイ渓谷の握り斧」‘左右対称に作ったところで、道具としての
性能が増すわけでもない’のにこだわったところに美へのこだわりが生まれたとみるのだとか。
「縄文土器(深鉢)」縁が若干欠けたこの土器、裏を金貼りされて茶道の水差しとして使われて
いたのが、シーボルトの息子を通じて博物館へ。土の中から出てきた遺物を水差しにした、たぶん
茶人の発想にただ!
「古代エジプトの化粧パレット」(エジプト)言わずとも・・「ムガル王子の細密画」(インド)描かれた
内容に感心、納得。「自在置物(ヘビ)」(日本)武具が必要とされなくなった時代に代わりに
作られた物、TVの鑑定番組に登場したのを見たことがあります。
「銃器で作られた「母」像」(モザンビーク)銃の部品を材料に作られています。
後半大急ぎに見たのが残念なので、機会を見てもう一度と思っています。