心の中のBYJと共に!

ようこそ!老年期まっしぐらのハルの韓国旅行時々国内旅行の記録です。最近は旅には出ても、報告アップが滞りがちですが…

ソジチョガットルのハルモニ

2018-10-22 | 私のハナヨ旅
又々随分と間をあけてしまいました。お待たせして本当に申し訳ありません
でした<(__)>

雪嶽山旅行、お昼を頂きに寄ったソジチョガットルで中断していましたが、
このソジチョガットルには、会えばきっと誰もがまるで自分の田舎のおばあ
ちゃんに久々会った時のような気持ちになれそうなハルモニがいらっしゃい
ました。





ソジチョガットルは江原道江陵にある韓食レストランで、古くからこの地方で
田植えなどで人手を集めた時に振る舞われたお膳を、伝統として今に伝えてい
ます。
ペ・ヨンジュンはこの伝統食を著書に掲載する為に取材に訪れ、ハルモニに
会うことになったわけです。

嫁いで70年を超える年月の間たった三度しか外出したことがないハルモニ、
訪問の時点でハルモニがペ・ヨンジュンを知っていたかどうかは分かりません
が、突如我が家に舞い降りた美しい青年に、きっとハルモニの心も浮き立った
ことでしょう。最初で最後のたった一度の旅行先に選んだ済州道に行ってきた
経験を、不思議な思いとときめきをこめ、几帳面、かつ正確に綴った日記を
取り出して来て、一文字一文字しっかり読んで聞かせてくれたそうです。

この時の印象を彼は「心地よいリズムに乗って低めのトーンが安らぎを与えてくれ
まるで母方の祖母に膝枕をしてもらって聞いているようだった。おばあさんの話す
声を聞けば、誰でもきっと気持ちが穏やかになるだろう」と言っています。

また「長い歳月の間、もどかしさや退屈さに打ち克ってきた忍耐にも驚いたが、
それにもかかわらず、一点の陰りもなく鮮やかに書き下ろした文章は、とても純粋
だった」とも。

その力となったものをペヨンジュンはしっかり発見していました。
ハルモニの箪笥の中をはじめ、毎日手の届く所帯道具のあちこちに、嫁いで来る時
お父様が、肝に銘じなければならない心構えや身持ちを、一つ一つ紙に書いて
くださったものを貼って、日々の規範とされていたらしいのです。
「おばあさんの純粋で清らかなお人柄の背景には、娘に対する父の愛が大きな役割を
果たしていたのだろう」と記しています。


ハルモニは初訪問の2011年7月にはまだお元気で、お昼をお店のスタッフさん達と
ご一緒されるらしく、住居からお店の方へ出向いていらっしゃいました。
食事を終えた私がハルモニについてお尋ねしたタイミングと重なり、会って
いらっしゃいと快く勧めていただき、お会いする幸運を得たのでした^^

その後の訪問時は足が痛いとお店に出向かれることはなくなったとのことでしたが
母屋でご息災でいらっしゃる旨をお聞きして、安堵の胸をなでおろしていました。
が7年目の今年、お暇間際のお支払いのついでに「ハルモニはお元気ですか?」と
問うと・・・・

お亡くなりになったとの返事!
詳しく話を聞こうと思ううちに、席を立つ前に電話をかけていただいて呼んでいた
タクシーが丁度来てしまい、亡くなられたのが今年とだけ聞いてそそくさと
ソジチョガットルを後にしなければなりませんでした。

お父様の愛に包まれて人生を全うされ、きっと安らかに往生されたことでしょう(合掌)

秋の韓国を楽しむつもりの旅NO10ー名人シン・ガンス茶

2017-01-19 | 私のハナヨ旅
2016年10月28日順天の葦畑をそれなりに楽しんだ後は、いよいよ今日の
最終目的地名人シン・ガンス茶を訪ねました。気に入ると同じ所へのリピートを
することの多くなる私、今回で4度目の訪問です。

   初回  2012年5月21・22日 南部バスTより光陽梅農園経由
   二回目 2012年8月4・5日  KTX
   三回目 2013年6月7日    KTX


名人シン・ガンス茶は、我が心の人が旅と自国文化についてエッセー『韓国の美
をたどる旅』を書いた時、お茶の項に関連して、手作り茶を訪ね歩くなか出会っ
たお茶です。既に東アジア茶文化研究所の協力を得て、韓国の茶文化について製
茶体験も含め理解を深め、原稿執筆も全て終えていたと思われる時期、研究熱心
な彼が更なるお茶を求め出会ったのでした。

シン・ガンス先生は仙厳寺の住職だった父親の下で、1989年迄仙厳寺の茶畑を守
り、その後は順天の高地で在来種のお茶を、肥料はおろか水さえも与えない自然
栽培の方法で作っていらっしゃいます。

禅僧によって韓国にもたらされたお茶文化、修行の一環として受け継がれてきた
その流れは、李氏朝鮮の崇儒廃仏政策の結果、茶畑は放置され、その後再びお茶
が必要とされるようになった時は、大量生産用に開発された改良種のやぶきた種
が入ってきて、現在全国のお茶の木の90%以上を改良種が占めているそうです。

「改良種は主に肥料を吸収させて育てるため、直根よりは横根が発達し、深根性
の在来種に比べ根を深く下ろせない。しかし在来種のお茶の木は根が背丈の3倍
まで育ち、大地の精気を吸い取ることができ、それゆえ深い味が出るのです」と
シン・ガンス先生はおっしゃいます。

名人茶ホームページより

      
     在来種のお茶の木      改良種のお茶の木



シン・ガンス先生と出会い、在来種のお茶の精髄に触れた彼は、お茶を通じて
「私たちが子孫に継ぐべき文化遺産はまさに自然だ」と気づいていきます。

韓国は狭い国土にもかかわらず植物資源が豊富で、また自然環境は同じ植物に
非常に優れた薬性を持たすことができるといわれています。それは歴史ドラマ
の中で商人の中国との取引の中で高麗ニンジンが非常に珍重されることからも
信頼性が想像できます。

豊富な植物資源と言うと思い起こすのは、スーパーとかデパートなど無論コン
ビニも含めて近代的なショッピング場所がありつつ、その一方でソウル市内の
各町内には従来型式の市場があり、近郷から出荷されてくる瑞々しい新鮮植物
が山と積まれて売られている様子です。多分それは日本が高度成長過程で失って
しまった姿では無いかと思われます。


2012年になって初めて順天に出かけた私、彼が東アジア茶文化研究所で経験
した茶作りの過程を、追体験したくなり先生のお許しを得てやってみるという
幸せな機会を得ました。

その経験があったからか、元来乗りやすい性格のせいなのか分かりませんが、
その旅の最後にいただいた名人茶は、お茶は元々薬として用いられていた事を
自分の喫茶体験によって実感する鮮烈なものとなりました。

直前まで会食しながらシンガンス家自家製のお酒をいただいた私、アルコール
に弱いため、ほんの少量でしたが顔が真っ赤になっていました。食事を終え
喫茶室に向かう時、先生が私のその顔色を「お茶でクレンジングしてあげまし
ょう」とおっしゃったんです。

顔を、お茶で?クレンジング?、イメージが湧かずクエスチョンマーク一杯だ
った私、淹れていただいたお茶の一杯目を飲み干すや、顔の熱気がサ~ッと
ひいていました。

大地の英気を吸い上げ育った最高の茶葉を、名人の手でその茶葉に一番かなった
条件で仕上げたお茶… 12年・13年は、我が家にはちょっと贅沢品でしたが行く
度、ワンパックずつゲットして、少し離れて住む娘が帰る週末の一日などゆったり
お茶タイムを持つのが、無上の楽しみになりました。

丁度大切なお客様を迎えようとしていた16年の秋、図らずも韓国チングと順
天に遊ぶことになったのも、丁度良いタイミングと久し振りに先生のお茶をゲッ
トして、幸せなお茶の時間が持てるようにと願った次第です。



先生のお宅へは順天駅前1番バス乗り場から仙厳寺行き路線バスで向かいます。
バスセンターで入手した地図を片手に降りるバス停の名称をチェック、チェック。
しかと確認した筈なのに・・・、韓国人のチングも付いていてくれたというのに
どうもシン・ガンス茶を訪問する時は、決まって2停留所前で降りてしまいます。
余程停留所名が似ているのでしょうか!?


今回も手前で降りることになってしまいましたが、1・2キロ歩けば着くと分かって
いますから、余裕で秋の風景を楽しみながら歩きます。バスを降りて歩く道は↓
こんな道です。山間の長閑な所ですが整備されていて歩きやすいです(この写真は
翌日撮影)


この看板のある所を右へ入って行くと黄金の実りの向こうに先生ご一家の住む
韓屋が見えます。



入口を入り案内を乞うと先生・奥様が出迎えて下さいました。挨拶を済ませると
先生はすることがあるからと席を外されましたが、奥様が心をこめて、何杯も
お茶を淹れて下さり話し相手になってくださいました。4度目にして初めてお目
にかかった奥様は、シャイな先生と違い気さくに親しくお話してくださる方で、
一しきりおしゃべりとお茶を楽しんだあとは、ご紹介いただいた民宿へ移りオン
ドルの入った部屋でゆっくり休みました。


  左側にある韓屋が宿泊した民宿  中央の水色っぽく見えているのが製茶工場


  民宿からみたシンガンス茶の全貌(左:民泊用韓屋、中:勝雪軒、右:居宅)


翌日は昨日用事があって不在だったお嬢さんに会い、お久し振りの挨拶をし、お茶
をワンパックゲット^^遠路ようこそとお茶の花を乾燥させ小さな瓶に詰めた物や
お嬢さん手作りの、心のこもったプレゼントをいただき満ち足りた思いで名人茶を
お暇したのでした。

山一面の梅の花ーチョン梅農園

2016-01-24 | 私のハナヨ旅

今日日本全国は寒波に包まれていますが、暖冬の今年既に梅の花は

あちこちでほころんでいるようです。

日本より北に位置する韓国では、早い地域でも3月に入ってからでしょうか~

今日は山一面に梅の花が覆う全羅南道光陽の全梅農園をご紹介します。

 

 

訪問日 2012年5月21日、2013年3月20日(写真はこの時の物です)

交通   ソウル南部バスターミナル発 河東(ハドン)行き ハドンからはタクシーですぐ

訪問地 全羅南道光陽市チョン梅農園

 

春のチョン梅農園は壮観です!麓からてっぺんまで、開き始めた梅の花で

全山霞がかかったような景色です。 (ブログを始める前の訪問なので

その様子を写した写真が無いのが残念です。)

 

チョン梅農園は、現在の代表ホンサンニさんが嫁ぐまで義父によって栗と梅が

栽培されていました。ホンサンニさんは結婚して初めて味わう、農作業の肉体

労働や義母の叱責のつらさを梅の花や香りに癒された経験から、畑を梅畑に

転換することを提案。

 

当時韓国では、お米より高価に取引され珍重されていた栗と違って、酸っぱく

渋い梅は、食べることも活用することもできない実だと思われていたそうです。

 

反対する周囲を、日本での徴用経験のある義父が梅の薬効をご存知で、転換が

実現。長い努力の末に、住む人以外人が訪ねてくることが無かった山中の畑に

まず花を見に人が訪ねて来るようになり、ついで梅製品を試行錯誤の末開発し

国の食品名人の指定を受けるまでになられたということです。

 

3月には梅花祝祭として光陽市あげての観光資源にもなって、1ヶ月間農園を

訪れる人には梅ビビンパや梅ジョンなどの食事の提供もされ賑わいます。

 

ホンサンニさんのご飯は、ご当人「美味しくないご飯」と謙遜しておっしゃいます

が、化学調味料を一切使わない自然なすがすがしい味に、ペ・ヨンジュンの手は

話している間もしきりに食べ物に伸びていたそうです。

 

ハナヨ出版後組まれたツアーでは、農園を訪ねホンサンニさんの「美味しく

ない料理」をいただけるコースの設定もありましたが、日韓の関係悪化後は

ツアーも無く、ホンサンニさんのご飯を頂く機会はこの祝祭の時だけです^^

 

      熟成を待つチョン梅農園のチャンアチの甕(梅農園H.Pより)

 

                取材中のホンサンニさん

 

【韓国の梅】 ホンサンニさんの梅製品だけを見て韓国の梅はこうだ、と語って

しまうのは間違いかもしれないが・・・もう少し広げて、インターネットなどの情報

検索を含めて考えても・・・韓国では、日本のような、いわゆる梅干しという調理

法の梅はないようです。ホンサンニさんが作る梅製品にも、熟した梅を塩漬け

して作る物はみられず、青いうちに収穫した梅を塩漬けし、さらに甘い味を加え

たものが多いようです。

 

 

 


松林に抱かれた江陵(カンヌン)のソジチョガットゥル

2016-01-22 | 私のハナヨ旅

訪問日 2011年7月30日、2013年6月9日、10月19日

交通   ソウル 東ソウルバスタミナル発高速バス

訪問地 江原道江陵市 ソジチョガットゥル

 

畑の向こうに松林に抱かれるようにたたずむ草ぶき屋根がソジチョガットゥルです。

田舎のお祖母ちゃんの家に帰るような気分で、お店へと続く道へ足を踏み入れました。

 

ぺ・ヨンジュンがここを訪れたのは、ソジチョガットゥルが伝える農村の伝統的な

食体験の為です。文化は人々が生きていく日常の中にこそあると考える彼は

執筆に当たって、いちばん身近な「家庭料理」から項を起こしていきました。

 

栄えある第一番に取りあげられたテーマが、ここソジチョガットゥルだったのです。

この家は古くからの旧家で、農繁期には多くの働き手が手伝いに入ります。

田植えが終わると、働き手たちにはご馳走でいっぱいのお膳が用意されました。

 

チルサンというそのお膳は、普段の生活をとことん切り詰め、働き手たちが

満足感を味わってしっかり食べてられるよう、準備されたそうです。それだけでは

チルサンが伝統食として伝えられることはなかったでしょう。お話の続きがあります。

 

働き手の中にとても親孝行な息子が居て、チルサンがふるまわれるその嬉しい日に

中風にかかって身動きのできない母の姿が目に浮かび、彼はご飯も食べられずに

いた。

そんな彼の為に、この家の女主人が毎回料理を別に準備して持たせて帰らせた・・・

 

そんな逸話があるチルサンを、必ず伝えていかなければならないと、国がここに仮小屋を

建て、住んでいた家も広げてくれてチルサンが今に続いているのだそうです。

               食堂ソジチョガットゥルの全景

 

お料理の一つ一つは、季節の野菜の天麩羅だったり、ジャガイモの煮付け、山菜や

野菜の醤油漬け、~~素朴な家庭料理ですが、その季節のありとあらゆる食材を総

動員して準備するのだろうと想像できる品数の多さです

調味料までも自家製と思われる自然で素朴な味や、一年を通じて豊富な食材を

きらさない様工夫した食材の多様さに、深い満足感が得られました^^

 

お店に入った時点で午後2時近く、お昼はとっくに過ぎていましたが、田んぼの中の

一軒家的なこの食堂にまだ8割方の座席が埋まっていましたし、私たちの後から

も2組程入って来ました。本当に永く根付いて人々に愛されているお店のようです。

             韓紙にアレンジした押し花が素敵です

 

         田んぼの向こうにソジチョガットゥルの全貌を見る

 

 

               2回目訪問時に食したチルサン

 

夏の一回目には見つけられなかった「先の尖った棘に鬼神も逃げていく針桐」は

多分これ ↓ ではないかと~

 

既に新芽の時期はとうに過ぎた6月の訪問でしたが、わずかに上部の葉だけが

残る姿に、この木がそうなのだろうと~。