これは今夏7・8月の滞在時の未報告部分の報告です。説明抜きでどこどこへ
行ったといきなり書いてしまうことが多いので、現在進行形で韓国を旅してい
ると思わせてしまうこともあるようです。手抜きな書き方で失礼しました<(_ _)>
8月18日、語学塾を終えてソウル駅に急ぎ、ヨンチョンのオンニの家に2泊3日
で、遊びにお邪魔した二日目の19日は、この旅のメインイベントの日帰り旅行
に出かけました。
行き先は昨日オンニの二女、ジョンヒさんに希望(道東書院と文武大王陵)と
伝えたので考えて、決めてくれているはずです。
韓国に五大書院があるというのは、韓国旅行について書かれているブログを訪
ねていて得た情報ですが、五つとは安東の陶山書院、屏山書院、栄州の紹修書
院、慶州の玉山書院、そして大邱の道東書院だそうです。先の3か所には既に
行っているので、残るは玉山と道東の二ヵ所でした。
なので行きたいところを聞かれた時、道東書院か、去年計画しながら、雨で中止
した文武大王陵を希望したのですが・・・、一夜明けジョンヒさんが選んだ場所は
私の希望を尊重しつつも、ルートの効率性やランチの場所も考えて、道東書院に
替えて玉山書院、文武大王陵の代わりに浦項、そして玉山書院に近い良洞マウル
にも行く事になりました。
朝の少し長い散歩から戻り、昨夜のご馳走の残りで素早く朝ご飯を済ませ、ジョ
ンヒさんのマイカーで出発したのは9時半を少し回った頃だったでしょうか、既に
4か月もたって記憶も曖昧ですが、出発直前までオンニ丹精の庭を撮った写真で
おおよその時間を類推して見ました^^
一時間ほど走って目的地玉山書院に到着。山間の如何にも静かな、勉学のはか
どりそうな場所でした。駐車場に車を止め、第一番に目に入った建物を目指すと
そこには貼り紙があって「ここは玉山書院ではありません。書院へはここを左へ
~」と書いてありました。ところが、そんな張り紙などいちいち読まないオンニ
母子、立ち止まっている私に構うことなく中へ入ってしまいました^^;
違うと書いてあるのに…と思いながらもつられて入ってしまった私って・・・
入口すぐのところに、ちょっと強面のワンコが2匹日陰で気持ち良さそうに
寝ていたので、記念に撮らせていただきました^^

玉山書院は李氏朝鮮中宗時代の文臣李彦迪(1491~1553)が官職を離れ故郷に
隠棲した住いの近くに、その死後弟士たちが霊を祀り後進を育てるために建てた
ものだと言います。そして2年後には時の王宣祖から「玉山書院」の名前を与え
られ賜額書院となったそうです。朝鮮時代に数多く作られた儒学の研究所である
書院は、朝鮮後期に強大な政治力を振るった大院君(王の父)が、多くの書院を
廃止した時も、廃止されず残された由緒ある場所です。
書院の前は川が流れ、風水上の良い土地、確か後ろに山があり、前には川が流れ
という条件を備えた場所が選ばれていると感じます。川の中には大きな平たい岩
が幾つかあり、渓谷の風景に深い情緒を感じさせる場所のようでした。
岩には名前がつけられ(四山五台と言い周囲の四つの山、五つの岩場に名付けて
いる)その中でも洗心台が有名な様です。

岩場を幾つか写してきましたが、さてどれが洗心台だったのか、記憶が・・・



書院入口の亦楽門、意外に小さいと思いました。

門の内側には、風水上吉祥(?)とされる川を模したのか、人工的な水の流れが
造られていました。

こうした書院やお寺などには、良くいわれのある大樹があるようですがここにも
大切にされている2本の木がありました。


無辺楼:門の次に位置する建物、中に入ってから振り返る位置で撮りました。
背後に見える山並みが良いです。こういった楼閣は勉学後の息抜きの場所なのか
安東の屏山書院にも同じような配置で、周囲の景色が見渡せる絶好の位置に建て
られていました。景色を眺めながら友と語らったらとても癒されるだろう所です。

求仁堂:勉強場所である講堂

講堂の奥には祠堂があり、通常は門を閉ざしているそうです。
右側からの祠堂部分全景

左側からの全景

行ったといきなり書いてしまうことが多いので、現在進行形で韓国を旅してい
ると思わせてしまうこともあるようです。手抜きな書き方で失礼しました<(_ _)>
8月18日、語学塾を終えてソウル駅に急ぎ、ヨンチョンのオンニの家に2泊3日
で、遊びにお邪魔した二日目の19日は、この旅のメインイベントの日帰り旅行
に出かけました。
行き先は昨日オンニの二女、ジョンヒさんに希望(道東書院と文武大王陵)と
伝えたので考えて、決めてくれているはずです。
韓国に五大書院があるというのは、韓国旅行について書かれているブログを訪
ねていて得た情報ですが、五つとは安東の陶山書院、屏山書院、栄州の紹修書
院、慶州の玉山書院、そして大邱の道東書院だそうです。先の3か所には既に
行っているので、残るは玉山と道東の二ヵ所でした。
なので行きたいところを聞かれた時、道東書院か、去年計画しながら、雨で中止
した文武大王陵を希望したのですが・・・、一夜明けジョンヒさんが選んだ場所は
私の希望を尊重しつつも、ルートの効率性やランチの場所も考えて、道東書院に
替えて玉山書院、文武大王陵の代わりに浦項、そして玉山書院に近い良洞マウル
にも行く事になりました。
朝の少し長い散歩から戻り、昨夜のご馳走の残りで素早く朝ご飯を済ませ、ジョ
ンヒさんのマイカーで出発したのは9時半を少し回った頃だったでしょうか、既に
4か月もたって記憶も曖昧ですが、出発直前までオンニ丹精の庭を撮った写真で
おおよその時間を類推して見ました^^
一時間ほど走って目的地玉山書院に到着。山間の如何にも静かな、勉学のはか
どりそうな場所でした。駐車場に車を止め、第一番に目に入った建物を目指すと
そこには貼り紙があって「ここは玉山書院ではありません。書院へはここを左へ
~」と書いてありました。ところが、そんな張り紙などいちいち読まないオンニ
母子、立ち止まっている私に構うことなく中へ入ってしまいました^^;
違うと書いてあるのに…と思いながらもつられて入ってしまった私って・・・
入口すぐのところに、ちょっと強面のワンコが2匹日陰で気持ち良さそうに
寝ていたので、記念に撮らせていただきました^^

玉山書院は李氏朝鮮中宗時代の文臣李彦迪(1491~1553)が官職を離れ故郷に
隠棲した住いの近くに、その死後弟士たちが霊を祀り後進を育てるために建てた
ものだと言います。そして2年後には時の王宣祖から「玉山書院」の名前を与え
られ賜額書院となったそうです。朝鮮時代に数多く作られた儒学の研究所である
書院は、朝鮮後期に強大な政治力を振るった大院君(王の父)が、多くの書院を
廃止した時も、廃止されず残された由緒ある場所です。
書院の前は川が流れ、風水上の良い土地、確か後ろに山があり、前には川が流れ
という条件を備えた場所が選ばれていると感じます。川の中には大きな平たい岩
が幾つかあり、渓谷の風景に深い情緒を感じさせる場所のようでした。
岩には名前がつけられ(四山五台と言い周囲の四つの山、五つの岩場に名付けて
いる)その中でも洗心台が有名な様です。

岩場を幾つか写してきましたが、さてどれが洗心台だったのか、記憶が・・・



書院入口の亦楽門、意外に小さいと思いました。

門の内側には、風水上吉祥(?)とされる川を模したのか、人工的な水の流れが
造られていました。

こうした書院やお寺などには、良くいわれのある大樹があるようですがここにも
大切にされている2本の木がありました。


無辺楼:門の次に位置する建物、中に入ってから振り返る位置で撮りました。
背後に見える山並みが良いです。こういった楼閣は勉学後の息抜きの場所なのか
安東の屏山書院にも同じような配置で、周囲の景色が見渡せる絶好の位置に建て
られていました。景色を眺めながら友と語らったらとても癒されるだろう所です。

求仁堂:勉強場所である講堂

講堂の奥には祠堂があり、通常は門を閉ざしているそうです。
右側からの祠堂部分全景

左側からの全景
