心の中のBYJと共に!

ようこそ!老年期まっしぐらのハルの韓国旅行時々国内旅行の記録です。最近は旅には出ても、報告アップが滞りがちですが…

車椅子の同行者と楽しむソウルの旅NO11ーやってきてしまった最終日

2023-08-26 | 2023年春の韓国旅行

4月17日から5泊6日のソウル旅行について、やっと最終日をお届けします。

残る半日は、最初に訪れた工芸博物館を再訪しようと決めていました。

いつものように朝食を終え、部屋に戻ってお茶をしながら最終の荷作りチェック。持参したものも購入したものも、厳選し少量ですから意外に早く済みました。

博物館の開館には少し早かったんですが、9時半に出発。ホテルの曹渓寺側出入り口を出ると、ホテルの中庭があります。私が単独行動をしている間、夫が車椅子を杖代わりにせっせと歩行練習をしたところです。

 

 

こことも今日でお別れです。感謝と名残惜しさにシャッターを押しました。

 

ホテルの敷地を出て左へ数十メーターーで郵政路と栗谷路の交差点に出ます。

交差点の向こうが博物館ですが、時間が早いので周辺を散策します。

 

 

交差点を北上、徳成女子中学校と高校の間の道。三号線安国駅から三清洞へ抜ける道で、何度も通った大好きな道です。工芸博物館ができる前は駅からこの道に入ってすぐの部分も美しい塀に囲まれた、それはそれは雰囲気の良いところでした!

 

 

新しく標識ができていました。徳成女子中・高の設立者であり独立運動家として知られる女性と、その教えを受けて主体的に当時の運動に参加した女学生たちを讃え、鍾路区がこの一帯の道路440mを「女性独立運動家の道」と指定したあります。

 

韓国民衆の足跡を忘れずに残そうという取り組みは、また↓こんな事も共有されています。‘九回目の春ー記憶.約束.責任’

 

9年前多くの若い命が犠牲になったセウォル号事件.韓国の人々は何故あれほどの惨事になったかを深く記憶に留め、二度とそのような事態が引き起こされない事を祈念しているようです。

 

そろそろ開館時間かと博物館に向かいます。

 

 

今日は別な棟を見るからと、適当に見当をつけて入口を探しましたが、展示室には正面玄関から入らないといけないようでした。坂道を頑張って登ったウリナムピョン、また頑張って同じ道を引き返しましたが、途中にある子供博物館に展望台があるとわかって行ってみることにしました。(子供博物館観覧は子供とその付き添いの大人が対象で、大人だけの観覧は不可ですが、展望台はフリーでした)

 

 

展望台から鍾路360度の風景

 

東側(ビルの向こうに昌徳宮・宗廟方面)

 

南側(正面奥の方に鍾路タワー・鐘閣)

 

おまけ(宿泊したホテル)

                          ↓

 

西側(仁王山方面ーいつも見上げていた仁王山がほぼ同じ目線で、はじめはどこにあるか、わかりませんでした)下に見えている広場は、イベント広場とか書かれていたような気がします.今後どんなイベントが開催され、またこの広場がどんなふうに変わっていくかも、とても楽しみです♪

 

北側(北岳山ー王宮を前にしていないとイメージが違って別な景色のようです)

 

展望台からの景色を暫し堪能し、展示場へ。

第二棟の各種工芸品の制作技法を紹介する展示を、興味深く見ました。日本にも同様の伝統的な技術があるのでとても親しみやすかったです。写真は最近は全てタブレットで撮っているので、写りが悪いと承知しているので数は取らないことにしていますが、展示内容や様子をお知らせできるかと、一点だけ漆の螺鈿技法についてのみご紹介してみます。

まずは螺鈿を施す素材の木製の小箱の製作から(木を加工し小箱や家具などを製作する技術者を小木匠ーソモクチャンというそうです)

 

 

 

 

螺鈿の製作過程

 

 

見学を終えホテルに戻ったのは11時半を過ぎていたでしょうか。昼食は空港で摂ることにして、タクシーを呼んでもらって、12時には仁川へむかいました。小1時間、渋滞もなく快適なドライブでした。

 

チェックイン後は空港のレストランで最後の食事。何を食べたのか写真を撮らなかったので、全く思い出せないのがなさけないです。何となく、前日食べるつもりが違うものになった記憶が新しいので、ソルロンタンにでもしたような気がします。夫はキムチチゲだったそうです。

ここで写した写真が一枚だけあります。人に代わって出来上がった料理を運ぶロボットです。実際にお店で目にするのが初めてだったので撮ってみましたが、お膳の受け渡しのシャッターチャンスは時間切れで狙えませんでした。

 

出国は、成田での出国が地上の職員と機上の職員の連携が、とてもスムーズでどこもスイスイ進めたのに比べると、全然駄目で搭乗時にかなりの時間がかかった気がします。よくわからないので問題が解決するまでただ待っていただけですが、終わってわかってみれば、成田と仁川で車椅子の扱い方が違っていて、そのことに無自覚でいたことが原因のようです。成田で事前連絡したように仁川でも連絡していたら無かったトラブルかもしれません。何事も備えあれば〜です。

帰国時は、もう一つトラブルが起きました。出発時は成田までのバス移動を難なくクリアーした夫、帰国時のバスでは突然腰が痛みだし、狭い座席に身動きできない状態が苦痛で苦痛でたまらなくなってしまったという不幸が………(申し訳ない<(__)>
ドアーtoドアーのバス利用が、介助に一番楽そうだったので。思い返して見ればもう何年も前から、韓国内の地方旅などでも乗車中身動きできないバスより電車旅を好んでいましたね.すっかり忘れていました)

というわけで自宅にたどり着いた時は夫は体が、私は心がへとへとになっていましたが、無事(?)帰れた充足感にもみたされていました。やっぱり旅はやめられません!


車椅子の同行者と楽しむソウル旅NO10ー懐かしい人に会った五日目

2023-08-08 | 2023年春の韓国旅行

旅行も五日目、明日はもう帰る日です。丸一日滞在できる日は今日が最後!午後はセスクさん家に行きますから、午前中にホテルの近所にある大韓民国歴史博物館に行きました。‘歴史博物館’というと鍾路にもあるので、こんな近くに歴博が、どうして二ヶ所も有るのかしら?と思っていました。が18年にはじめて行ってみてすぐ分かりました。こちらは近現代の歴史を対象としているそうです。既に一通りの見学は済ませていますが、機会があればもう一度じっくり見なおしたいと思っていました。

幾度もの困難を迎えながらも、ただ黙って耐えてばかりいたのではなく、その都度民衆自らが立ち上がり権力と闘う動きがあったことに注目しています。そうした力が遂には、国民を蔑ろにする大統領を退陣させることへつながっていきます。

10時開館にあわせて到着。車椅子を押して一緒に観覧のつもりが、ペースが違うのですぐ別々に見ることに〜

待ち合わせ時間までに見られたのは第一展示室のみでした。残りは又別な機会に!

 

お昼はソルロンタンで検索して出た仁寺洞の安国コダ。行ってみたら若い人の多いカフェ風佇まいで、私好みではないのが残念でした。

私好みはパンチャンズラリ、おかわり自由なので〜^^;

頂いたのは夫はユッケ多めビビンバ、私はコムタン。お料理自体は普通に美味しくいただきました。

 

お昼の後は、昨日買えなかった孫のTシャツを求めて南大門市場へ。午後には店主が出勤すると聞いたので、そこをのぞいてから新村のセスクさん家に行こうと思います。

 

 

 

南大門市場は今日も人通りは今ひとつ。地元(韓国)の人っぽい人が通るのみで、観光客は居なさそうでした。日本人や中国人観光客でごった返しの見慣れた光景はまだまだ〜

 

一箇所だけ賑わいを感じた場所がありました。帽子屋さんです。

帽子は私も大好きで、一年を通して被っています。まあまあ買う方なのでわかるのですが、帽子って結構お高いです。でも韓国の帽子のこのお値段!二個で10000wは、一個500円強です。あり得ません!

 

目指す子供服売場に店主は、今日も不在でした。ダメもとで周辺のお店の人に聞いてみると、もっと遅くに来るんだとか。仕方がない、時間があったら又帰りにでも寄ってみましょう。

 

午後2時過ぎ、さあいよいよセスクさん家に向かいます。今日は一旦ホテルの近くまで行き、そこでサジクロ(社稷路)から李大の前を通って新村路方面へ行くバスに乗換えます。地下鉄はもう何回か乗りましたし、昨日新村へ行った時も地下鉄でした。今日は車窓からの景色を愉しみながら行ってみようと思います。

主要な建物等は変わらないのでしょうが、4年ぶりの窓からの景色は初めてみるかのようで、ちょっと不思議な感覚を覚えました。

新村に着いてセスクさんのところへ行く前に、現代デパートで孫のTシャツを買いました。市場へ行かれなかった時の為に取り敢えずゲットしておきたくて〜^^

4年前、ワンルーム型賃貸に改装中だった家は、こんなにふうに様変わり↓

 

 

↑左側の建物が、一番最初にお世話になった部屋のある建物です。2階の窓が二つ並んだ階の手前の窓が私の部屋でした。ここは当時のままの外観です。

この二棟の間を入ると、セスクさんの住まいへの近道があったのですが、何故か塞がれていたので表に回り門前のインタホンをピンポンしました。鍵が開き入ると、玄関へ続く通路は整然と野菜や花が植えられ変わらないセスクさんを感じました。

もう何度も訪ねて、勝手知ったる〜のセスクさん家、玄関を入るとすぐ居間で、奥にキッチンとダイニングがありました。それが模様替えしたのか、居間のソファが消え、あとにダイニングテーブルがデーンと鎮座していました。

模様替えに多少の違和感を感じつつも、懐かしいセスクさんとの再会!それぞれの近況から子供孫、話はあちらへ飛びこちらへ飛び、その間近所のセスクさんのお友達(彼女はオンニと呼び、私も旧知です)が私来訪の気配を聞きつけ、今晩は歓待の会食になることを期待されカカオトークが入ってきましたが、残念ながら私はホテルで夫と自炊ですから辞退と相成りました^^;

 

たあいないおしゃべりにがひとしきり続いたあとセスクさんがふと「夫がね、亡くなったの」力なく言いました。少し耳が遠くて最近はトミに聞こえなくなっている私、聞き間違いかと聞き返してしまいました。思い切ってさりげなく伝えるつもりだったらしいのに、聞き返したために「死んじゃったの!」というとドット涙が溢れてあとは言葉にならず〜、私は私であまりに突然で、やはりなにもことばがでず〜、二人でしばらく沈黙してしまいました。

 

私がセスクさんを呼ぶ発音がおかしいと、それをネタによくセスクさんを揶揄ったと嬉しそうに話をしてくれたことがあります。ご夫婦で楽しむというよりは、それぞれが別なところで楽しむことが多そうなご夫婦でしたが、セスクさんは何かというと「ウリシンラン(うちの旦那様)」「ウリシンラン」と精神的な拠り所としてとても頼りにしていたようでした。このシンラン、漢字で書けば「新郎」で結婚したばかりの相手に対する呼称だと思うのですが、彼女のお連れ合いへの継続する初々しい愛情が感じられて聞くのが好きな言葉でした。

躁鬱症になり辛い時間が続いたそうですがお寺に通い、友人に旅に連れ出され、週日は娘さん宅の留守番役として娘さん親子と暮らすうちに少し元気を取り戻したそうです。

コロナで毎年受けていた健診の間を開けてしまった結果、分かった時はもう手の施しようがない状態だったそうで、治療の為の色々が、何もしてやれなかった事が、どうしても諦められない納得できなかったと。

 

死出の旅は、人間誰もが皆行く道です。突然の少し早いお連れ合いの死は悲しくて立ち直るのに時間がかかるのは仕様がないでしょう。1日でも速くセスクさんらしさを取り戻して生きている間は楽しく過ごしてほしいと思います。

 

 

<チンダルレを見に行きたかったのに見頃が終わったと聞いて諦めたというと見せてくれたセスクさんが育てたチンダルレ>

やはり見頃を過ぎていて、萎れかけているのを指してこれは私たち^^と

 

通りがかった人に撮ってもらった私たち