今回の旅の京都の見学コースには、大山崎にあるサントリーのウィスキー工場も
予定したかったのですが、予約が取れず諦めました。その代わりに思いついた
のが灘の酒造りでした。
何故、ウィスキー工場見学をしたかったのかというと、それはNHKドラマ「まっさん」
の所為ではなく、ぺヨンジュンの訪問地を影踏みよろしく訪れるためでした^^
東日本大震災によって日本が甚大な被害を受けた時、いち早く10億ウォンもの
義捐金を送ってくださったヨンジュンさんに、日本政府が感謝状を贈ることになりました。
どういう経過で贈呈場所が、大覚寺になったかは分かりませんが、2011年10月
来日した彼は古都の秋を楽しみ、醸造文化や発酵文化に深い関心を持っている
関係からサントリー山崎のウィスキー工場見学もしたようです。
京都には、ここ数年は年1回程度は訪れていますが、まだ機会がなかったので、今回
行こうと思ったのですが、計画したのが遅すぎました。何しろ思い立って出かけるまでに
2週間ほどでしたから・・・。曜日によっては3カ月前でないと予約できないようです。
そんなわけで有馬温泉へ行くついでに京都を楽しみ、京都の山崎ウィスキー工場の
代わりに有馬への通り道、神戸にある灘を見学しようと思った次第です。
灘には海岸線に沿って今津郷、西宮郷、御影郷、魚津郷、西郷、いわゆる「灘五郷」と
よばれるたくさんの蔵元が軒を並べていたといいます。
機械化が進んだ今、昔の酒蔵は資料館や記念館として酒造りの様子を伝えて
くれています。三の宮から一番近い大石の「沢の鶴資料館」に行ってみました。
駅から海岸線へ向かい歩きはじめてすぐ、民家の軒先に小さな標識を見つけました。
西郷町道路元標
また少し(100m程)行くと、歩いている歩道の反対側にこんな標識が・・・
「旧西国浜街道」標識
現代の景色の中に、こんな古を思わせるものを見つけると思わず近寄ってしまいます。
今歩いてる道をあと数百メートル進めば海岸に出られる(昔なら)という場所にあります。
そして歩いている歩道の街路樹は、初めて見ました。松です。手入れが大変では!
そして↓ の標識が見えたら右へ進めば目的地「沢の鶴記念館」です。
戻れば大石駅、左へ行けば御影郷の標識
沢の鶴記念館(雨でレンズが曇ったようです?)
20年前の阪神大震災の折、この記念館も倒壊し4年後再建されたものが
現在のものだそうです。
ビデオでその再建の様子と酒造りの工程をざっと見てから館内を見学しました。
<酒造り工程>
酒米→精米→洗米→蒸米→麹・酛仕込→醪仕込み―熟成→しぼり
灘は、酒米の王様と云われる「山田錦」が栽培される播州にあり、加えて名水
‘宮水’に恵まれ、酒造りに申し分のない立地条件を備えているそうです。
時々聞くコメの精製度が何パーセントの言葉、そんなにそぎ落としてもったいない
と思っていた酒造りの不思議が今回判明しました。
精製してできる糠
精製度によってできた糠は和菓子、米菓子、味醂、飼料等の材料になるようです。
半切(はんぎり)
半切は酢飯を混ぜる時などに使う半切として現在も残っていますが、元は
酛仕込に使うため桶を半分の長さに切って使われた所からこう呼ばれたそうです。
酒樽
槽(ふね)
この槽(ふね)は樽の中で熟成された醪を絞る道具です。これを設置する場所は
槽場(ふなば)と云われるそうですが、沢の鶴の地下構造は作業がしやすいよう
造られた珍しいものだそうです。
槽場(ふなば)跡
その他さまざまな道具
見学を終えた後、ミュージアムショップの試飲でいただいた灘の原酒は、市販のもの
よりアルコール度数が高いそうですが、すっきりした切れ味が下戸の私にもおいしく
思えました。お土産にそれと、日本酒で漬けた梅酒を3月の娘の誕生日用に購入。
見学後は灘五郷の散歩コースを歩こうかと・・・
左側は酒造工場、右側は倉庫(?)塀の四角く囲われた部分には灘郷の説明文(?)
小雨降る中歩いていたら時間を経るにつれ段々雨脚が強くなったので一駅分歩いて
散歩は終了。
夕食は五時半で予約していたので、時間が近づくまで三の宮をブラブラして
新幹線の中で食後のデザートにいただくべくスィーツを手に入れました^^
夕食は大倉山のお寿司屋さん「植月」、眼の前の淡路の海で採れたものしか
出さないと、こだわりの姿勢を貫く親父さんが、お任せで握ってくれる新鮮な
お寿司を堪能。心行くまで海の幸を楽しんで帰りました。
↑うまく撮れなかったので店主の写真とお寿司を数枚だけご紹介
拙い報告をお読みいただきありがとうございました。
一月末にはそろそろブログ開始一周年になると意識していましたが、気づいてみれば
過ぎてしまっていました。
何時まで続けられるか分かりませんが、もうしばらく細々なりと続けて行きたいと
思っています。応援していただけたら嬉しいです<(_ _)>