心の中のBYJと共に!

ようこそ!老年期まっしぐらのハルの韓国旅行時々国内旅行の記録です。最近は旅には出ても、報告アップが滞りがちですが…

声明ー“韓国は「敵」なのか”に賛同します

2019-07-27 | つぶやき

 昨今の日韓関係の悪化を憂慮する有志の方々77名が、インターネットを通じて声明を発表され、日本の市民に賛同を求めていらっしゃいます。
呼びかけ人の中には多少の意見の違いもあるそうですが、基本的な部分で一致し、悪化の一途を辿る日韓関係を憂慮し、何とかしたいと考えていらっしゃいます。

私は他ブログを訪問していてこの呼びかけを知り、早速賛同の意を表し、ここを訪れて下さる方々にもお知らせしたいと思いました。




https://peace3appeal.jimdo.com/




追記:記事アップが深夜だった為、賛同人を掲載し忘れていましたので、追記しました。




<声明>  韓国は「敵」なのか
 はじめに 
 私たちは、7月初め、日本政府が表明した、韓国に対する輸出規制に反対し、即時撤回を求めるものです。半導体製造が韓国経済にとってもつ重要な意義を思えば、この措置が韓国経済に致命的な打撃をあたえかねない、敵対的な行為であることは明らかです。
 日本政府の措置が出された当初は、昨年の「徴用工」判決とその後の韓国政府の対応に対する報復であると受けとめられましたが、自由貿易の原則に反するとの批判が高まると、日本政府は安全保障上の信頼性が失われたためにとられた措置であると説明しはじめました。これに対して文在寅大統領は7月15日に、「南北関係の発展と朝鮮半島の平和のために力を尽くす韓国政府に対する重大な挑戦だ」とはげしく反論するにいたりました。

1、韓国は「敵」なのか
 国と国のあいだには衝突もおこるし、不利益措置がとられることがあります。しかし、相手国のとった措置が気にいらないからといって、対抗措置をとれば、相手を刺激して、逆効果になる場合があります。
 特別な歴史的過去をもつ日本と韓国の場合は、対立するにしても、特別慎重な配慮が必要になります。それは、かつて日本がこの国を侵略し、植民地支配をした歴史があるからです。日本の圧力に「屈した」と見られれば、いかなる政権も、国民から見放されます。日本の報復が韓国の報復を招けば、その連鎖反応の結果は、泥沼です。両国のナショナリズムは、しばらくの間、収拾がつかなくなる可能性があります。このような事態に陥ることは、絶対に避けなければなりません。
 すでに多くの指摘があるように、このたびの措置自身、日本が多大な恩恵を受けてきた自由貿易の原則に反するものですし、日本経済にも大きなマイナスになるものです。しかも来年は「東京オリンピック・パラリンピック」の年です。普通なら、周辺でごたごたが起きてほしくないと考えるのが主催国でしょう。それが、主催国自身が周辺と摩擦を引き起こしてどうするのでしょうか。
 今回の措置で、両国関係はこじれるだけで、日本にとって得るものはまったくないという結果に終わるでしょう。問題の解決には、感情的でなく、冷静で合理的な対話以外にありえないのです。
 思い出されるのは、安倍晋三総理が、本年初めの国会での施政方針演説で、中国、ロシアとの関係改善について述べ、北朝鮮についてさえ「相互不信の殻を破り」、「私自身が金正恩委員長と直接向き合い」、「あらゆるチャンスを逃すことなく」、交渉をしたいと述べた一方で、日韓関係については一言もふれなかったことです。まるで韓国を「相手にせず」という姿勢を誇示したようにみえました。そして、六月末の大阪でのG20の会議のさいには、出席した各国首脳と個別にも会談したのに、韓国の文在寅大統領だけは完全に無視し、立ち話さえもしなかったのです。その上でのこのたびの措置なのです。
 これでは、まるで韓国を「敵」のように扱う措置になっていますが、とんでもない誤りです。韓国は、自由と民主主義を基調とし、東アジアの平和と繁栄をともに築いていく大切な隣人です。

2、日韓は未来志向のパートナー
 1998年10月、金大中韓国大統領が来日しました。金大中大統領は、日本の国会で演説し、戦後の日本は議会制民主主義のもと、経済成長を遂げ、アジアへの援助国となると同時に、平和主義を守ってきた、と評価しました。そして日本国民には過去を直視し、歴史をおそれる勇気を、また韓国国民には、戦後大きく変わった日本の姿を評価し、ともに未来に向けて歩もうと呼びかけたのです。日本の国会議員たちも、大きく拍手してこの呼びかけに答えました。軍事政権に何度も殺されそうになった金大中氏を、戦後民主主義の中で育った日本の政治家や市民たちが支援し、救ったということもありました。また日本の多くの人々も、金大中氏が軍事政権の弾圧の中で信念を守り、民主主義のために戦ったことを知っていました。この相互の敬意が、小渕恵三首相と金大中大統領の「日韓パートナーシップ宣言」の基礎となったのです。
 金大中大統領は、なお韓国の国民には日本に対する疑念と不信が強いけれど、日本が戦前の歴史を直視し、また戦後の憲法と民主主義を守って進むならば、ともに未来に向かうことは出来るだろうと大いなる希望を述べたのでした。そして、それまで韓国で禁じられていた日本の大衆文化の開放に踏み切ったのです。

 3、日韓条約、請求権協定で問題は解決していない
 元徴用工問題について、安倍政権は国際法、国際約束に違反していると繰り返し、述べています。それは1965年に締結された「日韓基本条約」とそれに基づいた「日韓請求権協定」のことを指しています。
 日韓基本条約の第2条は、1910年の韓国併合条約の無効を宣言していますが、韓国と日本ではこの第2条の解釈が対立したままです。というのは、韓国側の解釈では、併合条約は本来無効であり、日本の植民地支配は韓国の同意に基づくものでなく、韓国民に強制されたものであったとなりますが、日本側の解釈では、併合条約は1948年の大韓民国の建国時までは有効であり、両国の合意により日本は韓国を併合したので、植民地支配に対する反省も、謝罪もおこなうつもりがない、ということになっているのです。
 しかし、それから半世紀以上が経ち、日本政府も国民も、変わっていきました。植民地支配が韓国人に損害と苦痛をあたえたことを認め、それは謝罪し、反省すべきことだというのが、大方の日本国民の共通認識になりました。1995年の村山富市首相談話の歴史認識は、1998年の「日韓パートナーシップ宣言」、そして2002年の「日朝平壌宣言」の基礎になっています。この認識を基礎にして、2010年、韓国併合100年の菅直人首相談話をもとりいれて、日本政府が韓国と向き合うならば、現れてくる問題を協力して解決していくことができるはずです。
 問題になっている元徴用工たちの訴訟は民事訴訟であり、被告は日本企業です。まずは被告企業が判決に対して、どう対応するかが問われるはずなのに、はじめから日本政府が飛び出してきたことで、事態を混乱させ、国対国の争いになってしまいました。元徴用工問題と同様な中国人強制連行・強制労働問題では1972年の日中共同声明による中国政府の戦争賠償の放棄後も、2000年花岡(鹿島建設和解)、2009年西松建設和解、2016年三菱マテリアル和解がなされていますが、その際、日本政府は、民間同士のことだからとして、一切口を挟みませんでした。
 日韓基本条約・日韓請求権協定は両国関係の基礎として、存在していますから、尊重されるべきです。しかし、安倍政権が常套句のように繰り返す「解決済み」では決してないのです。日本政府自身、一貫して個人による補償請求の権利を否定していません。この半世紀の間、サハリンの残留韓国人の帰国支援、被爆した韓国人への支援など、植民地支配に起因する個人の被害に対して、日本政府は、工夫しながら補償に代わる措置も行ってきましたし、安倍政権が朴槿恵政権と2015年末に合意した「日韓慰安婦合意」(この評価は様々であり、また、すでに財団は解散していますが)も、韓国側の財団を通じて、日本政府が被害者個人に国費10億円を差し出した事例に他なりません。一方、韓国も、盧武鉉政権時代、植民地被害者に対し法律を制定して個人への補償を行っています。こうした事例を踏まえるならば、議論し、双方が納得する妥協点を見出すことは可能だと思います。
 現在、仲裁委員会の設置をめぐって「対立」していますが、日韓請求権協定第3条にいう仲裁委員会による解決に最初に着目したのは、2011年8月の「慰安婦問題」に関する韓国憲法裁判所の決定でした。その時は、日本側は仲裁委員会の設置に応じていません。こうした経緯を踏まえて、解決のための誠実な対応が求められています。

おわりに
 私たちは、日本政府が韓国に対する輸出規制をただちに撤回し、韓国政府との間で、冷静な対話・議論を開始することを求めるものです。
 いまや1998年の「日韓パートナーシップ宣言」がひらいた日韓の文化交流、市民交流は途方もない規模で展開しています。BTS(防弾少年団)の人気は圧倒的です。テレビの取材にこたえて、「(日本の)女子高生は韓国で生きている」と公然と語っています。300万人が日本から韓国へ旅行して、700万人が韓国から日本を訪問しています。ネトウヨやヘイトスピーチ派がどんなに叫ぼうと、日本と韓国は大切な隣国同士であり、韓国と日本を切り離すことはできないのです。
 安倍首相は、日本国民と韓国国民の仲を裂き、両国民を対立反目させるようなことはやめてください。意見が違えば、手を握ったまま、討論をつづければいいではないですか。

 2019年7月25日

呼びかけ人
 <呼びかけ>(*は世話人) 2019年7月26日 現在77名 
 青木有加(弁護士)
 秋林こずえ(同志社大学教授)
 浅井基文(元外務省職員)
 庵逧由香(立命館大学教授)
 石川亮太(立命館大学教員)
 石坂浩一(立教大学教員)*
 岩崎稔(東京外国語大学教授)
 殷勇基(弁護士)
 内海愛子(恵泉女学園大学名誉教授)*
 内田雅敏(弁護士)*
 内橋克人(評論家)
 梅林宏道(ピースデポ特別顧問)
 大沢真理(元東京大学教授)
 太田修(同志社大学教授)
 大森典子(弁護士)
 岡田充(共同通信客員論説委員)*
 岡本厚(元「世界」編集長)*
 岡野八代(同志社大学教員)
 荻野富士夫(小樽商科大学名誉教授)
 小田川興(元朝日新聞ソウル支局長)
 大貫康雄(元NHKヨーロッパ総局長)
 勝守真(元秋田大学教員)
 勝村誠 (立命館大学教授)
 桂島宣弘(立命館大学名誉教授)
 金子勝(慶応大学名誉教授)
 我部政明(琉球大学教授)
 鎌田慧(作家)
 香山リカ(精神科医)
 川上詩朗(弁護士)
 川崎哲(ピースボート共同代表)
 小林久公(強制動員真相究明ネットワーク事務局次長)
 小林知子(福岡教育大学教員)
 小森陽一(東京大学名誉教授)
 在間秀和(弁護士)
 佐川亜紀(詩人)
 佐藤学(学習院大学特任教授)
 佐藤学(沖縄国際大学教授)
 佐藤久(翻訳家)
 佐野通夫(こども教育宝仙大学教員)
 島袋純(琉球大学教授)
 宋 基燦(立命館大学准教授)
 高田健(戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会共同代表)
 髙村竜平(秋田大学教育文化学部)
 高橋哲哉(東京大学教授)
 田島泰彦(早稲田大学非常勤講師、元上智大学教授)
 田中宏(一橋大学名誉教授)*
 高嶺朝一(琉球新報元社長)
 谷口誠(元国連大使)
 外村大(東京大学教授)
 中島岳志(東京工業大学教授)
 永田浩三(武蔵大学教授)
 中野晃一(上智大学教授)
 成田龍一(日本女子大学教授)
 西谷修(哲学者)
 波佐場清(立命館大学コリア研究センター上席研究員)
 花房恵美子(関釜裁判支援の会)
 花房敏雄(関釜裁判支援の会元事務局長)
 羽場久美子(青山学院大学教授)
 平野伸人(平和活動支援センター所長)  
 広渡清吾(東京大学名誉教授)
 飛田雄一(神戸学生青年センター館長)
 藤石貴代(新潟大学)
 古川美佳(朝鮮美術文化研究者)
 星川淳(作家・翻訳家)
 星野英一(琉球大学名誉教授)
 布袋敏博(早稲田大学教授・朝鮮文学研究)
 前田哲男(評論家) 
 三浦まり(上智大学教授)
 三島憲一(大阪大学名誉教授)
 美根慶樹(元日朝国交正常化交渉日本政府代表)
 宮内勝典(作家)
 矢野秀喜(朝鮮人強制労働被害者補償立法をめざす日韓共同行動事務局長)
 山口二郎(法政大学教授)  
 山田貴夫(フェリス女学院大学・法政大学非常勤講師、ヘイトスピーチを許さないかわさき市民ネットワーク事務局)
 山本晴太(弁護士)
 和田春樹(東京大学名誉教授)*

選挙の投票の為一昨日(7/16)帰国しました。

2019-07-18 | つぶやき
9泊10日のソウル旅から一昨日、無事に戻ってきました。2年前の帰国便で発病し、到着
するなり病院に直行、そのまま手術を受けるという経験をしたことがあります。
以来毎回出かける度に、今回で最後になるかもしれないと思いつつも大好きな韓国気儘
暮らしを楽しんでます。

暮らすというからには、一週間程度ではそんな感覚は持てませんから、最低1ヶ月は滞在
したいところです。でも今回は参院選があるので短い滞在で我慢しました。

この国にどうあって欲しいのか、自分の意思を示せるところは、選挙の投票に棄権せず
自分が理想とする国のあり方を、実現してくれそうな候補者・政党を選ぶ事でしか示せ
ません。

今日本の民主主義は風前の灯状態にあると思われるのですが、危機意識を持ち、何とか
しようと行動に移す国民は本当に僅かです。とりわけ若い人が少ないです。
極たま〜にですが、集会に行く事があります。会場に向かう最寄り駅からの道、周りは
私と同年輩の人ばかりが目立ちます。

若い人が政治に関心を持つようになって欲しい。選挙の投票を棄権しないで欲しい。
切に願っています。

知っている若者に日曜は投票に行く様呼びかけましょう。

なんの手段も力も持たない私、せめて自分のブログに言いたいことをつぶやいてみました。
お読みいただきありがとうございました。

至福のランチ

2019-07-15 | 2019夏




昨日、至福のランチを食べて来ました。5月だったか、もう6月に入っていたかは
忘れましたが、BSNHKで「さすらいのシェフ」というドキュメンタリー番組を
見ました。寝るには早く、他に面白い番組もないという理由だけで漠然と見ていた
番組でしたが、途中で慌てて録画ボタンを押しました。

自然界にある植物を利用して料理を作ることを大切にする、その料理人の‘食べ物’に
対する考え方や姿勢は、私が食べ物に求めるものと同じでした。

今回思い立って旅行を決めた後、番組でそのシェフの経営するレストランが江華島
にあると言っていたことを思い出し、録画を見返してシェフの名前を確認、ネットで
レストランの名前や住所をチェックしてきました。

ただどうしても電話番号が探せず、予約してこそ食せるシェフお得意のコース料理は
次の機会にして、今回は軽く下見のつもりでした。
バスを乗り継ぎ遥々訪ねて行ったので、バスを降りレストランが見え、周りに並ぶ
たくさんの甕を見たときには、これから出会う料理に期待が膨らんで、ドアに辿り着く
までの数百メーターの道がとても楽しくてたまりませんでした。





いただいたのはサンダン定食、数えてみるとパンチャンの小皿が10種以上にメインが
焼き魚と焼肉の二種類付く韓定食です。韓定食は二人以上でないと注文できないお店
が多いので、入店を断られることもあるだろうと覚悟の上での訪問でしたが、お一人様
OKでした^^










テンジャン(味噌汁)はしっかり煮干しの出汁が効き、具沢山で、立派な一品料理ですね。


白菜キムチは、運んできたお兄さんが「海辺で作ったキムチです」とわざわざ告げて
いました。海辺で作ることにどんないわれがあるのか、聞きそびれて残念でしたが、お
味はもちろん美味しかったです。ヤンニョムが濃厚な感じでした。



お肉やご飯を巻くためでしょうか、種類の違う青々とした葉っぱが何枚も出ました。
食べきれずずいぶん残しました(もったいない!)。


タラの内臓の塩辛と思われるもの(チャンジャ↓の写真の小皿料理中一番左、上から2段
目)も、今まで食べたどのチャンジャより深いコクがありました。ただ、しょっぱいのと
お酒のつまみにしたわけではないので、これは残してしまいました。



サラダの彩りをみてください。何かのお花の花びらがのっています。可愛くてテンショ
ンが上がりました。。




お肉の左隣にもサラダ風のものがありますが、それはエイのお刺身と生野菜の和え物で
した。
ご飯は白米を始め黒米など数種の雑穀入りでこれまた滋味ありげにツヤツヤ光っていました。



締めはご飯のお焦げで作ったスンニュン(写真はありません)。
お腹に優しい気がしましたが、消化にもいいのかしら?
おいしくいただきました。ごちそうさまでした。

そして、誰もいなくなった!

2019-07-14 | 2019夏
下宿は、集まっていた古くからのリピーターの女性たちが一人減り二人減り、最後の人が
昨日帰ってとうとう一人になりました。まだ米、台など三人残っていると聞いていますが、
私の部屋のある二階は誰も居なくなりました。オーナーご自身も下宿として運営してきた
この建物を売ってしまったので、今月20日には引越しするそうで忙しくされています。

というわけで昨日の夜ご飯は近所の提携の食堂で、好きなものを食べてと成りました。海
鮮純豆腐(へムルスンドゥブ)チゲにしたら、小さいワタリ蟹が入っていてとても良いダシが
でていました。付け合わせのモヤシのナムルも美味しくお代わりをお願いしてしまいました。
明日は日曜で食事は元々お休みですが、残る月曜はさあどうなりましょうか?

ところで、その月曜夜に私が会いたかった人が、一旦6月末で帰られたのですが、また3日間
だけ来られるそうです。11年前私が初めて語学堂に入った時、隣の教室で勉強されてた方
です。若い人ばかりの私の教室と違い、中高年の方が四名もいた彼女のお仲間にしていただ
き、たのしい留学生活の助けになった方です。

私は火曜の朝早くに出発ですから、お会いできるのはほんの一瞬程度。積もる話をする間も
ないでしょうが、4月にこちらを紹介されてその時もソウルにいらしているはずが、生憎
地方に旅行に出られているということですれ違いでしたから、一瞬でも顔を合わせられる
のは嬉しいです。彼女は既に10・11月をソウルで暮らす予定と聞いています。思い出話は
追い追いできるでしょう。

帰る前夜だというのに月曜が楽しみです^^

7月11日(城郭歩きの後)

2019-07-12 | 2019夏
三清公園正門に出るとそこは三清洞、レストランやカフェ街まですぐです。
お昼は目についたお店に入りコングッス(お豆の冷たいスープに素麺を入れた
様なものをイメージしてください。)で済ませ、一刻も早く下宿の部屋に落ち
つきたいと帰りました。
新村迄来て、疲れがどっとでそうだったので、下宿の人たちが良く行くマッ
サージ屋さんを教えてもらって、既に8日に体験していたので今日も行って
見ました。お客さんが居たら予約だけして帰るつもりでしたが、居なくて空
いていたのですぐ施術してもらうことができました。
使用前使用後ではないですが、今にも倒れそうにフラフラだったのが、普通に
疲労感はあるものの随分体が軽くなりました。

夜は何度目かの下宿のオーナーと日本女性達のお別れ食事会、というとおおげさ
ですが、お別れを惜しんで日本から駆けつけた彼女達に、ご馳走したいオーナー
の音頭で女性たちで外食です。私は今回が初めての利用なのですが、セスクシを
通じて何となく古い知り合いみたく扱かわれ、声をかけて下さるので、図々しく
参加させてもらっている次第です。








牛肉と野菜の和え物、緑豆のジョン、三枚肉をゆでたボッサム、マンドゥ〜
等次々運ばれる料理にお腹いっぱいなのに、レー麺の美味しいお店なのに
レー麺を食べないでどうする?!と、写真はとりませんでしたが締めにムル
レー麺とピピンレー麺を二つ、みんなで分け合っていただきました。

その後、ご自分が経営する卓球場に寄るというオーナーに、まだ行った事が
ないでしょと、私だけ卓球場に連れていかれました。






いつしかオーナーも一人で来たお客さんと





卓球場のオーナーだから当然かもしれませんが、中々上手いです!

日本の卓球事情は、30年前の愛ちゃん登場以来人気があるので、卓球人口は
多いかなと思っていますが、韓国は中高年にやる人が多く、若い人は軍隊やら
勉強やらで忙しく、卓球どころでは無いとか。また、場所が新村の学生街にあり
住宅地に近くないからお客さんは少ないとか〜〜,なかなか大変そう!
それでも麻浦区で一番古くに始めて、何十年も続いているそうですから、頑張っ
ていらっしゃると思います。