心の中のBYJと共に!

ようこそ!老年期まっしぐらのハルの韓国旅行時々国内旅行の記録です。最近は旅には出ても、報告アップが滞りがちですが…

無為に過ぎた開設2周年記念日

2016-02-25 | つぶやき

2月20日は本ブログを開設してちょうど2年が経過した日でした。

1年前の一周年の時も、記念のご挨拶を残すでもなく何事もなく

過ごしてしまったので、2年目こそと思いつつ、改めて何を・・・・と

思うと考えがまとまらずまたもや、アップすることなく過ごしてしまい

ました。

 

この所何をするでもなくただ毎日幾つかの韓国ドラマを見、その

合間合間に家事や読書、週末には私たち両親のご機嫌伺いに

来てくれる娘を迎えて共に過ごし、また次の一週間が始まる。

 

時折このように無為に過ぎる時間を、これでいいのだろうかとじたば

することもあります^^;多分何度行っても止められない韓国訪問は

そのあがきなのかもしれません。

 

しばらく行かないと、もぞもぞ動きだしたくなる私の韓国の旅への欲求、

家をほおって、というより夫に任せて一人出かけて行くことが申し訳なく

韓国語を忘れないためにとか、国同士の関係が悪化するばかりだから、

せめて個人のレベルでの親交を深めたいとか、なにか理由づけしたく

なります。

 

でも、何のとりえもない平凡なハルモニの私に、何が出来るということもなく

韓国まで出かけても、やはり無為に過ごしていることには変わりなく、なら

わざわざ出かけることもない無いではないかと・・・・暇にまかせてごちゃごちゃ

考えて落ち込んだりします。

 

ところで、気になって‘無為’という言葉の意味を調べてみました。

そしたら‘無為’とは、中国古代の道家(どうか)思想の術語で

「処世のうえでことさらな作為をしないこと、自然にあるがままのふる

まいでいること。世事にとらわれ私欲にひかれて、人間的なこざかしい

知恵を巡らすところに、かえって人間の不幸が生まれると考え、現象の

奥にある根源的な「道(どう)」の立場に立ち返って、その絶対的な理法

性に拠(よ)り従い、人間的なさかしらを捨てた自然なあり方に従うことに

よって、個人的な平安と政治的な成功が得られるという。「無為であれば

すべてが成し遂げられる」「為政者が無為であれば民は自(おの)ずから

に治まる」などといわれる。「無為を為す」ということばもあるように、文字

どおり何もしないことではなく、ことさらなしわざの跡を残さないあり方を

することである。「自然」「無知」「無欲」などの語と連用され、また人間を

超えた「道」や「天」の働きとして、無私の公的な性格において理想化して

説かれる。〈無為〉とは人為の否定を意味するが、けっして何もしないと

いうことではない。それはいっさいの人間的営為を〈偽〉として否定した

うえで、天地自然の理法にそのまましたがった真の〈為〉を実現すること

であり、正確には〈無為の為〉なのである。

 

最近の自分の日常が、何事も為すことなく漫然と過ぎていくことを自嘲して

思い浮かべた言葉でしたが、深い意味を内包する言葉でもあるようです。

 

 

まあごちゃごちゃ思うことは相変わらず時々思いますが、お隣の国への

関心がまだ衰えずあること、行きたいときにすんなり行かせてもらえる

環境にあることを単純に喜ぼうと思います。(감사해요, 우리 딸 우리남편^^)

 

 


粛々と訪韓準備中

2016-02-19 | 日記

3月の訪韓について、当初は月が変わり次第すぐにもとチケットも

取っていましたが、事情で中旬まで出られなくなりました。ならば

遅れついでに旧暦端午の日開催の江凌の端午祭りも見てみたい

と、ビザなし滞在3か月の期限内で行けるように、3月14日に出発

することにしました。

 

その日をにらみながら家事の整理や送る荷物の準備などをして

います。今までは必要最低限を吟味し、大型スーツケース一個に

全てを詰め、何とか自力で転がして行っていたのですが、今回は

さすがの私も自力のみで運ぶのはもう無理と、春物衣料や日用

品などを少し別送することにしました。

 

今日はそれを近所の郵便局で発送してきました。船便10キロ以下

3750円也。

 


村上隆の五百羅漢図を楽しむ

2016-02-12 | 展覧会(国内)

 

2月10日いつものヨン友三名と村上隆の五百羅漢図展へ行ってきました。

 

村上隆は「現在国際的に最も高い評価を得ている現代美術作家のひとり」だ

そうですが、現代美術には全く目を向けたことのない私、その存在を知らなか

ったばかりか、先週の日曜美術館で取り上げているのを見るとはなしに見て

いながら、やはり関心を持つには至りませんでしたが、展覧会を良くご一緒する

友人の勧めで出かけることになり行ってみました。

 

私の好みが保守的なのかもしれませんが、絵自体には、やはり惹かれる

ところはありませんでしたが、美術史家の辻惟雄氏のお題に応えて描いた

という「ニッポン絵合わせ」という芸術新潮誌での取り組みはとても興味を

惹かれました。

また絵のスケールのでっかさや、そのでっかい絵を製作する、もはや絵を

描くと言うような言い方では表せない、製作方法などの詳細な記録も展示

されていて興味深かったです。

 

 

 展示は既に3か月以上の長きにわたってされているようですが、いまだ多くの

人が訪れ人を避けて写すのに苦労しました。会期はあと一カ月程あるようです。

 

 

 

 

 

 

 


東寺五重塔ー過去どんな地震にも倒壊しなかった日本の匠の技術力

2016-02-09 | 国内旅行

先週関西に出張の娘が、用が済み次第土日は京都見物をするという

ので便乗して出かけてきました。京都は暮れに一泊で出かけましたが

見足りない感もありましたし、何より娘と女子旅の楽しみへの期待感が・・・^^;

 

事前にこの時期ならではの特別拝観を検索したら、東寺の五重塔で

初層内部を公開しているというので早速チョイス。

 

五重塔の内部に入るのは初めてです。意外に狭いその内部は中心部に

心柱と心柱を取り囲むように4本の柱(四天柱)が立てられています。

 

柱で囲まれた内部には、心柱を背に4体の仏像と8体の菩薩様が安置され

四天柱には諸仏の曼荼羅、剥落しているため痕跡だけですが、そして

四方にある扉の左右の柱には火を呼ばないようにというのか龍王図、壁上段

に空海初め真言八祖像、下段に蓮が描かれ、格天井の一つ一つの格子の

中は更に小さな格子に組まれ模様が描かれています。その繊細な仕事のされ

方は感動すら覚えました。

 

創建時にはさぞや絢爛豪華だったことと想像されますが、今は顔料の剥落や

かすれが却って荘重な雰囲気をかもしている気がします。

 

この五重塔、火災で焼失すること度々だったそうですが、過去のどの地震にも

倒壊したことは無いそうで、その工法はスカイツリーの耐震設計に応用されて

いるそうです。塔の各層は揺れる時それぞれ違う方向に振れ、土台から塔の

天辺まで貫きながら各層とは遊離して設置してある心柱は、各層の揺れ幅を

小さくする働きをするそうです。

 

そうした構造が地震に強いと、現代の建築家ならばアカデミックに学ぶことも

できますが、古の匠たちは経験と勘でそれらの技術をものにしていったことで

しょう。木材の性質、日本の気候条件など建築物を取り巻く現実を十分検討し

その土地に合った工夫をし、それらの技術は人から人へ伝達されて・・・。

 

数字や機械に頼っているうちに、時に胡麻化すためにその数字を操ることまで

しでかすことのある現代の建築を生業とする人々の存在と何という差だろうか!

 

先人たちの技術の確かさ、凄さをこうして目の当たりに見ることが出来て今回の

五重塔初層拝観はとても幸せな経験でした^^