国松警察長官狙撃事件の
時効が近づいています。
来週の火曜日30日午前0時で時効となります。
そして今、僕はほとんど眠らない日々が続いています。
きょうは久しぶりにズボンのすそを
川の水に少しつかりながらその川を渡りました。
僕にとってはこの狙撃事件は
直接よく知っている
国松さんが撃たれたということで
許されない事件という認識もあります。
これは友達の長井健司が銃撃され殺害されたことと
同じような感覚です。
もちろん、治安機関の警察のトップが
狙撃され、一命は取り留めたものの
その犯人が逮捕されていないという意味で
大変衝撃的な事件であります。
警察のトップの狙撃犯を
逮捕できない警察が
僕たちの命の安全を本当に守ることができるのか、
問われている話でもあります。
さらに自分が国松さんを狙撃したと自白する
信者で巡査長だった人物の存在は
この事件を混乱の渦中に叩き込みましたし、
95年から97年にかけての
警察の捜査は混乱を極めていました。
何かを隠蔽しようとしたわけでは
もちろんないとする警察最高幹部の文言とは
裏腹にその出来事の一連の高まりは
何かを隠蔽しない限りありえない状況だったと
僕は感じています。
そして今もその当該人物は
深夜早朝問わず、
ありとあらゆる手段でとんでもなく逃げ続けています。
彼の確信がどこにあるのかは僕はわかりませんし、
事件の構造も僕が解明できたとは
とてもいえませんが、
この振る舞いを13年ほど、
彼が肉体的に大変な工場勤めをしながらも
続けていたことは
ある覚悟を持った人間の
本当のすさまじさを感じさせますし、
日本の捜査機関が結局のところ
彼のすさまじさを乗り越えることができなかったことは
あきらかだろうと思ってしまいます。
彼は確信犯的な感覚の持ち主ですし、
恐ろしく厳しい人生観で生きている人間です。
13年前に彼がなぜ話し、
その後話を変化させながらも
核の部分を押し黙る様は人間の業を感じるものです。
おそらく13年前の彼の語りは
彼の確信犯的な異言もあったでしょうし、
確信犯的な虚言もあったと、
今の現実の彼の振る舞いを見て
僕はその思いを深めています。
そして、
僕が突き止められなかったことは何なのかも、
13年前のビデオ放送に踏み切った
僕にだけ、課される重責だと思っています。
そこから逃げないことが
僕の僕なり人生の処し方を
示すことになるのです。
とすれば、東都より聞こえてくる
騒がしきことは
僕にとっては異様でしかありませんし、
何をほざいているのか、
正直、相当滑稽に見えております。
ただ、オウムによる地下鉄サリン事件がおき、
その後の長官狙撃という流れの中で
この大きな流れの将来的な端境期が来た時に
まさに僕の人生にとっても流れが変わるだろうと
漠然と思っていたことが
2010年のこの春に、明確な形を取りはじめています。
それは想定内のことばかりではありませんが
僕にとっては新たな人生への
実は新しい流れだとも思いますし、
そうしたきちんとした流れに
自分がどれだけきちんと乗っていくかが
仏教の本質とも考えている僕には
とても楽しみな状況でもあります。
僕は自分の戦いをもちろんそのまま進めていきますし、
それはいろんな大きな心にかなう振る舞いだと
確信しています。
さらに、東都の地にいて、
この地を避け続けている男の
哀れな末路は僕には本質的な関心がありません。
その文言の浅薄さと
どうしようもない人間関係には、あきれ果てているだけです。
時効が近づいています。
来週の火曜日30日午前0時で時効となります。
そして今、僕はほとんど眠らない日々が続いています。
きょうは久しぶりにズボンのすそを
川の水に少しつかりながらその川を渡りました。
僕にとってはこの狙撃事件は
直接よく知っている
国松さんが撃たれたということで
許されない事件という認識もあります。
これは友達の長井健司が銃撃され殺害されたことと
同じような感覚です。
もちろん、治安機関の警察のトップが
狙撃され、一命は取り留めたものの
その犯人が逮捕されていないという意味で
大変衝撃的な事件であります。
警察のトップの狙撃犯を
逮捕できない警察が
僕たちの命の安全を本当に守ることができるのか、
問われている話でもあります。
さらに自分が国松さんを狙撃したと自白する
信者で巡査長だった人物の存在は
この事件を混乱の渦中に叩き込みましたし、
95年から97年にかけての
警察の捜査は混乱を極めていました。
何かを隠蔽しようとしたわけでは
もちろんないとする警察最高幹部の文言とは
裏腹にその出来事の一連の高まりは
何かを隠蔽しない限りありえない状況だったと
僕は感じています。
そして今もその当該人物は
深夜早朝問わず、
ありとあらゆる手段でとんでもなく逃げ続けています。
彼の確信がどこにあるのかは僕はわかりませんし、
事件の構造も僕が解明できたとは
とてもいえませんが、
この振る舞いを13年ほど、
彼が肉体的に大変な工場勤めをしながらも
続けていたことは
ある覚悟を持った人間の
本当のすさまじさを感じさせますし、
日本の捜査機関が結局のところ
彼のすさまじさを乗り越えることができなかったことは
あきらかだろうと思ってしまいます。
彼は確信犯的な感覚の持ち主ですし、
恐ろしく厳しい人生観で生きている人間です。
13年前に彼がなぜ話し、
その後話を変化させながらも
核の部分を押し黙る様は人間の業を感じるものです。
おそらく13年前の彼の語りは
彼の確信犯的な異言もあったでしょうし、
確信犯的な虚言もあったと、
今の現実の彼の振る舞いを見て
僕はその思いを深めています。
そして、
僕が突き止められなかったことは何なのかも、
13年前のビデオ放送に踏み切った
僕にだけ、課される重責だと思っています。
そこから逃げないことが
僕の僕なり人生の処し方を
示すことになるのです。
とすれば、東都より聞こえてくる
騒がしきことは
僕にとっては異様でしかありませんし、
何をほざいているのか、
正直、相当滑稽に見えております。
ただ、オウムによる地下鉄サリン事件がおき、
その後の長官狙撃という流れの中で
この大きな流れの将来的な端境期が来た時に
まさに僕の人生にとっても流れが変わるだろうと
漠然と思っていたことが
2010年のこの春に、明確な形を取りはじめています。
それは想定内のことばかりではありませんが
僕にとっては新たな人生への
実は新しい流れだとも思いますし、
そうしたきちんとした流れに
自分がどれだけきちんと乗っていくかが
仏教の本質とも考えている僕には
とても楽しみな状況でもあります。
僕は自分の戦いをもちろんそのまま進めていきますし、
それはいろんな大きな心にかなう振る舞いだと
確信しています。
さらに、東都の地にいて、
この地を避け続けている男の
哀れな末路は僕には本質的な関心がありません。
その文言の浅薄さと
どうしようもない人間関係には、あきれ果てているだけです。