「木下黄太のブログ」 ジャーナリストで著述家、木下黄太のブログ。

日本と世界のリアル状況確認と僕の思索を書き留めるブログ。
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市川海老蔵と小林麻央は顔がそっくり

2010-01-30 21:52:01 | その他
すいません。本当にどうでもいいことですが、
この二人を別々にきちんと見たことがあっても、
まったく気がつかなかったのですが、
婚約会見の並びのツーショットを
映像で見てはっきり分かったことは
この二人の顔が相似形であることです。

海老蔵&麻央が初ツーショットで婚約会見(日刊スポーツ) - goo ニュース

この二人、顔だけですが、あきらかに似ています。

僕はこういう感じの夫婦(まだこの二人は夫婦手前ですが)は、
何組か見たことがあります。
今は僕が数年前に絶縁した、
ある「有名」評論家夫妻もそうでした。

こういうこともありました。
僕主催の飲み会とかで
男と女を引き合わせたことがあって、
男は僕の後輩でしたが、
女は知人の学者の教え子で
この飲み会の日まで僕自身も彼女の顔は知らず
電話で話しただけで、飲み会を開催しました。
彼と彼女が僕の前の席に並んで座ったのですが
顔が男女の壁を越えて
そっくりだったのです。
僕はあんまりそっくりだったので、びっくりし、
「二人は絶対付き合う。そっくりすぎる」と
口走りました。

その通り、二人は付き合い、その後結婚しました。

血縁関係があるわけでもないのに
顔があまりにそっくりの男女には
他の人々には分からない共通点があると
昔から僕は思っています。

市川海老蔵のプライベートも
小林麻央のプライベートも
何にも知りませんが
ここまで顔の似ている男女は、
根幹に共通項があると思います。

これは本当に強い強い共通項だと思います。

これが海老蔵という役者の今後に
プラスかどうかは別として、
二人の共感の強さは比類なきものだと
僕は思いました。

たぶんどんな美女との浮名を流す人生よりも
根源のシンクロニシティというのは人は大きいものです。
そして、そういうことが起こることに
人間はある意味、大変に弱いものなのです。

抗うことはまずできないのです。




サリンジャー死去

2010-01-29 04:03:32 | その他
APなどによれば、
「ライ麦畑でつかまえて」が
代表作の作家、J・D・サリンジャー氏(91)が
死去したそうです。

サリンジャーは神秘主義や宗教感覚に
傾倒していったものの、
アメリカ文学の大きな金字塔を打ち立てた存在ですし、
一定程度の作品後、
沈黙に入ったことの不思議は、
現実との距離感ということで
文学を志す人々に大きな影響を与えました。

僕は、一時、かぶれたように読んだ時期があって
選集が家のどこかにあった気がしています。

このサリンジャー的な手法を大胆に取り入れ
日本の革命的な若者(今は無きです!)を
あざやかに切り取ったのが
庄司薫の一連の四色小説です(赤ずきんちゃんなど)。
そういえば、彼も経済活動は盛んですが
作家としては、ずっと沈黙を続けている感じですね。
ここもサリンジャーと似ています。

村上春樹もこのラインが
理想形だったと思うのですが
そうもいかなくなったのは
オウム事件の為だと僕は思っています。

「ライ麦畑でつかまえて」サリンジャー氏死去(読売新聞) - goo ニュース

とりいそぎ、2010年の長井健司賞が決まったそうです。

2010-01-28 23:59:53 | その他
2010長井健司賞は
ビルマ人ジャーナリストである、
Hla Hla Win 氏と Win Maw氏におくられたそうです。
前にご紹介した映画「ビルマVJ」でおなじみの
DVBで活躍していた
この二人のビルマ人ジャーナリストは、
現在はミャンマー軍につかまり、
刑務所にいるようです。
確か前回の受賞者もそうでしたね。
この国できちんと何か伝えるために
頑張って報じようとすると
最悪は、長井さんのように命を奪われるか、
あるいはまた、彼らのように獄に放り込まれる
という感じの状況が続いていることには
変化はないということです。

この受賞について、細かいことは
「2010 Kenji Nagai Award」などの
言葉でグーグル検索すると
いくつかの英文サイトがありますので、
興味のある方は是非検索してください。

以上、取り急ぎのお知らせでした。

叶刑事の死去について

2010-01-27 23:49:20 | その他
特捜最前線の叶刑事役立った夏夕介さんが亡くなりました。
特捜最前線は夏さんが加入してから黄金期を迎えました。
叶刑事というキャラクターは若々しく、
社会の問題にまっすぐ向き合う、ある意味愚直なほど愚直な
若者を刑事として描き出していました。
刑事モノというよりも、
社会を問い続ける物語でした。
もちろん刑事ドラマは「太陽にほえろ」という
金字塔がありましたが、特捜最前線はそれ以上に
人や社会に考え込ませる物語をつむいでいましたし、
そのストーリーが勢いを持った新しいシンボルは
夏さんが演じた叶刑事に他なりませんでした。

このような社会性ある重厚なドラマが
多数の視聴者に届けられたということの
凄さが今あるのだろうかと
自問自答しています。

夏さんのご冥福をおいのりいたします。



夏夕介氏死去 俳優(共同通信) - goo ニュース


伊藤英明と四回も目線があいました。

2010-01-26 23:59:57 | その他
あんまり書くことがありません。

ある場所できょう四回も伊藤英明氏と目線があいました。
もちろん知り合いではありません。
一度目はぎょっとした感じ。
二度目は会釈され、
三度目は本人が座っていて。
四度目はトイレの出入りで鉢合わせになり
「すいません」と言われました。

友人で、遊び仲間の
海老蔵を見にきたようでした。
親しいのでしょうし、
たぶん自分の演技の視野を広げる感覚なのかと思いました。

彼に対して元々の先入観がいろいろありましたが
今日の感じだと
元々、思っている以上にかなり好印象でした。

人間は直接相対していないとわかりません。

さて、
さっき、あまりにも馬鹿馬鹿しい
僕にまつわる憶測を話で聞き
びっくりしました。(メールではなく声で聞き)
なんというか、こんないい加減な思い込みを
僕に対して勝手に思っていることを聞くと
「いい加減にしろ」と腹立たしいだけです。
まともな人間なら、思うはずもないことを
勝手に妄想していることに本当に気分が悪いです。
誰が敵で誰が味方なのか、
そういうことを誤認するようではどうしようもありません。

本当に気分が悪いので、
これからお湯でも飲んで寝ます。

バースディ鍋会の場所を探しています。

2010-01-25 23:34:47 | その他
二月中ごろに夜、鍋会を予定しています。
バースディ鍋会ですが
参加者が二十五人程度になったため
開催場所をさがしています。

キッチン付レンタルスペースの情報や
一日場所を貸してくれる方がいれば
メール下さい。

都心部に近ければ近いほうが望ましいです。
料金は相談させてください。

この日曜が最終日、渋谷の「村山槐多展」には行くべし

2010-01-23 01:27:45 | その他
渋谷区立松濤美術館で
あす日曜まで開催の
「ガランスの悦楽 没後90年 村山槐多」展は
必見です。

彼のおおがかりな展覧会は
首都圏では1982年に神奈川県立近代美術館であって以来です。
福島と三重では97年に開催されています。
渋谷で開かれているこの展覧会は
それ以来のものです。

描くための内的な動機に必然性が感じられない
作品が多い今日この頃の人々と異なり
村山は短い生の中で
自分を奥底から確かめるように
描き続けていたことが分かります。

芸術であれ書物であれ
なんとしてでもかかかなければという
その人物の強い内面の思いというのが、
最も大切なのに、
そうしたことが喪失しつつある世界に
残念ながら僕らはいたりします。

しかし、村山はそういう私たちを
すさまじく挑発するでしょう。

大正という時代の夭折を示す村山。
しかもこの展覧会、入場料はわずか300円です。

図録の出来もすばらしく
学芸員の力量と真摯な想いに共感するばかりです。

この土日まで。
観覧は約一時間あれば十分でしょう。
自宅から渋谷までの往復時間と
駅から美術館までの往復三十分が確保できるなら
ぜひ観覧されることをすすめます。

郷里(ごうり)大輔さんの死について

2010-01-22 03:13:52 | その他
僕がきょう聞くまで気づくのがかなり遅れたのですが、
声優の郷理さんが亡くなっていました。

直接、お目にかかることは少なかったですが
長く同じチームで仕事をさせていただきました。
色々報道されていますが
僕はただご冥福を祈るばかりです。

しかし年末からこれまで身近な人々の変化が
プラスもマイナスも激しいものが多く
本当すさまじいです。
(わずか三週間あまりなのに!)

あまりの風の強さに
僕の姿勢をきちんとせねばと
強く思うだけです。

伊藤政行というとんでもない男について

2010-01-22 02:38:46 | 署名などの報告(会の活動報告)
まず過去記事をご覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/5afa0188858184206649bae38e7d6a0e

この記事にもあるように
当会の事を何の調査もせず勝手に誹謗中傷している
伊藤政行という人物がいます。
この人物は、全くきちんと調べず
当会の組織実態とは関係の無い嘘を垂れ流しています。
それは、ブログ上でも
引き続きなされているようです。
下記のような感じのガセです。
==============================
http://jiten4u.blog21.fc2.com/blog-entry-6661.html

しかし、「インターネット敵」はこれだけではありません。
日本にもいます。

例えば、ビルマで殺された日本人ジャーナリストなどを食い物にしようとする
偽ジャーナリストや元TVプロデューサーの偽アクティビストがいます。

彼らは、金儲けのためなら、いつでも裏切ります。
なぜなら、彼らの目的は金儲けで、「自由」は自分のためだけにあるからです。

でも、金持ちです。
「勝ち組」だと言っています。
武器商人と同じで、腐りきった人達かもしれません。

===============================
こちらが一度も発言していないことを
捏造する手口にはあぜんとするだけです。
「元テレビプロデューサー」だれのことですか?
元は少なくともいませんよ。
僕を批判するならきちんとやりなさい。

こんな人間がネット草創期には持ち上げられていて
マルチメディア事典なるものを朝日新聞が出していたそうです。

長井さんのことで
僕らがどう金儲けしたのか、具体的にいえるならいいなさい!
この活動で金儲けになるわけがないです。
何も調べずに
こういうまったくのデマを書く人間は本当に反吐が出ます。
きのう何気に検索していたら
偶然、ネット上に伊藤の個人データが
オープンに掲載されていたのを見つけましたので
ここにも載せておきます。

私たちからこの男には
訂正要求のメールは何年か前に出していましたが
こいつはずっと黙殺を続けています。

===========================================================
著作権者(Copyright) デジタル・クリエイターズ連絡協議会
(c)Digital Creators Conference
URL (http://www.jiten.com/) 〒151東京都渋谷区笹塚1-4-9
電話:03-3469-7958 Fax:03-3469-7959
============================================================

ちなみにこの男を
褒め称えた新聞記事が次にあります。
これは、読売新聞です。

===============================
「デジタル仙人」の初夢
 一年の計は元旦にありと言うが、都内に住む伊藤政行さん(58)の元旦は常にも増して忙しかった。

 朝7時半。いつものように世界中から送られてくる500通前後のメールに目を通して最新の情報を把握、興味深い項目をブログ(www.jiten.com)で紹介する一方、11年前からひとりで書き続けてきた「マルチメディア・インターネット事典」への最新情報の書き足しに没頭した。

 この日は、別に二つの作業があった。月1回行う画像版データベースの整合性チェックと、昨年1年分の画像版と文字版をDVD計8枚に保存した上、ハードディスクから削除するコンピューターの大掃除である。文字版は無料公開しているが画像版は一般には公開していない。しかし端然と作業を積み重ねる。

 独・マインツのグーテンベルク大学博士課程に5年間在籍し、書誌学を学んだ碩学(せきがく)。「過去の情報と新しい情報を重ねることで全く新しい発見が表面化する」というポリシーから、ネット上の情報をURLを明記して次々に追記の形式で積み上げていく。利用者はリンクをたどり、深く深く学べる仕組みだ。

 現在、事典は2万6000項目、印刷すれば「電話帳数十冊分」という膨大な内容で、追記は日々数百項目に及ぶ。単なる技術解説でなく、デジタルが関(かか)わるあらゆる事象が対象だ。

 めったに出歩かずパソコンと書籍に囲まれて過ごす。たばこは吸わず、酒も10年前にやめた。「現代の南方熊楠のような」と問えば、「楽しいから続けているだけ。自分の墓場をネット上に作っているようなもの」と。凡人には想像も出来ない境地か。知人は「デジタル仙人」と評する。

 その伊藤さん、今年の夢は「ウェブ情報を利用したタイムマシン」を作ること。過去から未来までカバーする多数の分野の年表群を作り、縦横斜め自在に飛び回れる知の仕掛けだと言う。十全な理解はもちろんかなわないが、画像版の公開と合わせて、仙人の初夢が実ることを切に願う。(ITジャーナリスト 島田範正)

(2006年1月10日 読売新聞)
================================

まともな人が情報を集め、努力されれば、まともな事典ができるでしょうが、
基本的な事実関係も確認せず
関係者の正当な抗議も無視し、
さらに誹謗するという行為レベルの人間が、
仙人風にどれだけ籠もろうとも
結果は想像ができます。
一般的な人々がネットに参加している状況である現在と比べ
草創期のネット関係者に
ひどいレベルの人々がいることがあるのは
僕にはずっと常識ですが、
この男の酷さにはあぜんとしますし、
こういう人間を褒め称える読売の元記者の感覚も
僕には理解できません。

このぎりぎりの三月までの会話

2010-01-21 02:25:26 | その他
特に書いておくのですが
このぎりぎりの三月までの攻防のために、
有楽町の日本倶楽部で、そのシンボルの方と
二年ぶりくらいにお話をしました。

もう十五年のときが過ぎているものの、
長井さんと同じく銃撃という
大いなる災厄に襲われた
この方は、
冬にはそこがやや痛むことはあるというものの
実年齢よりも五、六歳若く見えるほどお元気で
日本の救急医療というものの
すばらしさを
その人の現在の存在そのものが象徴しているのです。

僕からは特に中身がある話をした訳でもなく、
その始まりから十五年のときが過ぎ、
僕の試みからも十三年のときが過ぎ、
僕自身の人生の、恐らくは大きな転機が
迫っているであろう感覚の中で、
彼に対しての僕の人間としての覚悟を
伝えに行っただけで、
なんというか、年配の先達者に
自分の想いを聞いていただくために
無理矢理時間を空けていただいた始末でした。

本当にありがとうございました。
とにかく皆様にも頑張ることを誓うだけです。


追伸

全く別の話題ですが、
石川君の弁護に安田弁護士が登場したのは
僕にとっては
ことし最初の大変面白い「喜劇」です。
最初は冗談かと想いました。
佐藤優氏ラインなのは間違いないでしょうが、
元々自民中枢の小沢幹事長が
こういう際物路線に走っている様相は
小沢人脈の実態が実はどのくらいのレベルなのかを
示唆していると思います。

小沢さんと最も近しかったライターの
渡辺乾介さんが小沢を誉める最新作を
年末に読めば読むほど、
小沢さんの政治家としての政策的本質の微妙実態を
かなり感じていました。

小沢さんが2004年は民主党に入ってから
日がまだ経たず、
この党の中でパワーを持ち台頭したのは
実は数年後であるという時間的な感覚を
(僕の中では永田メール事件後です)
皆さん、もう一度踏まえるべきなのだと
僕は思います。

大野元裕が出馬する想いを綴った文章が面白い

2010-01-20 02:45:30 | その他
下記が大野さんからのメールです。
ご本人に確認して転載します。
私宛の内容などごく一部はカットしていますが
ほぼ全文です。



======================================
ご無沙汰しております。本年7月の参議院選挙の埼玉選挙区の候補者として民主党より公認されるとさいたま県連より発表がなされました。

当選の暁には中東研究者としては第一線から退かざるを得ないと考えており、大学もすでに辞任し、現時点ではど素人の候補者として、何をすればいいのかと暗中模索の状況です。



小生が立候補を決断した理由は以下の通りです。



1.政治の原体験

小生の最初の政治との出会いは、市長であった祖父でした。私は政治家としての祖父を尊敬しています。彼が入院していたころ、中学生であった小生は入院していた祖父に夜間付き添い、そこから学校に通う生活を続けていました。混乱していた祖父はしばしば病院を抜け出そうとしましたが、ある晩、祖父が病院を抜け出そうとしたのに際し、小生は祖父を押しとどめたところ、祖父から何発か殴られ、「今は議会中であるが、俺が行かなければどれだけの低所得者や母子家庭の方々が困るか分かっているのか」と怒鳴られました。それは深夜のできことであり、議会中でもありません。しかしながら、祖父の言葉はあまりに衝撃的で、祖父の身体を気遣う孫としては押しとどめたい一方、祖父の熱い思いを感じた一人の男としては、想いのままに行かせてやりたいと大いに迷い、頬を伝う涙がなぜ流れたのか、理解できませんでした。しかしながら、その時、子供ながらに「政治とは重いもの」との想いを強く感じたのを記憶しています。



それから約十年余、私は外交官としてイラクにいました。外交とは相手国に自国の考えるように動いてもらうことですが、その究極は戦争で相手国を跪かせることにあります。しかしながら外交官は、武器を使わずに相手国に影響を与えることを目的としており、つまり外交とは、「武器を使わない戦争」と考えてきました。ところが、小生の最初の任地であったイラクでは、末端の外交官にすぎないながらも、その努力は水泡に帰し、国際政治の中で翻弄されて戦争が始まりました。戦争が始まる際の外交官としての無力さと無念さは、言葉にできないほど大きなものです。日本人の中では最もイラクに親しんでいることを自認していながら、戦争を避けて帰国する際にイラク人に言われた言葉は今も忘れません。「お前は日本人だから出国できるけど、俺はイラクにとどまり、アメリカ軍の攻撃を待つだけだ。元気でな。」戦争がいやで、平和がいいのはどの国民も同じはずですが、私は無力でした。それにもかかわらず、今でも外交は戦争を予防することができると信じていますし、外交官としての限界も、政治家ならばある程度越えられるのではないか、再度チャレンジできるのではないかと考えたこともありました。



湾岸戦争から6年を経て再びイラクを所轄した私が目の当たりにしたのは、豊かで安定していたイラクが制裁下、大混乱していた様子でした。その後数年を経てイラクは、テロの巣窟となり、最悪で月に3千人が殺害される国となりました。79年に韓国とほぼ同額の一人当たりのGDPを記録し、石油の富の下で所得税すらなかったイラクが混乱へ突き落されたのは、政治家の判断の誤りと社会の混乱が原因です。独裁者が君臨しながらも、安定して宗派間の殺し合いはなく、犯罪は日本よりも少ないと感じられた国が堕ちて行ったさまを見るにつけ、今の日本の安定もはかないものかもしれないと痛感し、政治の重要さを思い知らされました。





2.現在の日本が置かれている状況

日本は現在、様々な意味で下り坂にあると思います。それを覆い隠してきたのは、小渕内閣以来、公的資金の投入と称して投入されてきた多額の金でした。前政権下で組まれた予算が執行されているにもかかわらず、これだけの不景気をかこっている現況は、日本の現況を如実に現わしていると思います。また、全国で6都県を除けば人口は減少に転じており、右肩上がりの産業育成策の継続は自ずと無理があるように思われます。その一方で社会も安定傾向にあるとは思えません。さらには、政治家も目先にとらわれ、ビジョンを失っているように思われます。



また、過去において日本が歩んできた正解の道も変更を余儀なくされているように思われてなりません。世界のGDPの50%以上を米国が占めてきた時代に構築された日米関係と将来の関係はおのずと変わることになるでしょう。その変化は、オール・オア・ナッシングではあり得ませんが、これまでの手法を見直すことは必須と思われます。



3.ヴィジョンについて

上記のような状況を鑑みるに、重責を担うはずの政治が日本の未来をいかに描いているのか、各党の衆議院選の際のマニフェストを見直してみました。自民党の描くヴィジョンは2.の問題意識にとうてい応えるものには見えず、賞味期限切れに思われました。みんなの党については、衆議院選前渡辺代表とも議論したのですが、千人当たりの公務員数が先進国の中で最も少ない我が国において、マニフェストの第一番目に「公務員天国」云々と取り上げることが、公党の主張として適当かについて疑問が残りました。民主党については、外交については疑問があるものの、右肩上がりを前提とせず、65歳以上の生活を保証する一方で、子供を増やして成熟した社会を支える経済的なパイを増やし、弱者に対するセーフティネットを構築する。その一方で、現役世代には苦労をかけるが、市民をして競争力のある産業を選択させる「組織を経由しない」金の流れを作るという手当の在り方、およびそこからこぼれてしまった弱者を救うというヴィジョンを提示していました。この民主党のマニフェストから読み取れるヴィジョンを、政治家たちが正直に総体として提示しないことは不満がらも、比較すれば最善と思われたのでした。



4.施策の在り方と人材

さてこのようなヴィジョンの比較では、民主党に共感したものの、施策の手法については疑問なしとはしません。たとえば外交は将棋ではなく囲碁のように、絶対的正義や完全勝利はなく、一定の目的に到達するまでには忍耐が必要です。仮に結果が同じであってもプロセスが重要で、91年の湾岸戦争の際に拠出した130億ドルが評価されない一方で、03年の50億ドルが評価されたように、売り方とその前の根回しが極めて重要です。しかしながら、現政権の外交手法にはこの点が欠けており、それを担う人材も不足しているように思われてなりません。



それでは、自民党が代替選択肢になり得るかと考えると、現状では10年は難しいかもしれないように見えます。麻生前総理が半年早く解散し、150議席を維持していたならば状況は変わったかもしれませんが、現状は暗いとしか言えないように思われます。それは、鳩山政権への支持率が低下しながらも、民主党への支持率が下がらない国民の見方とも通じているのかも知れません。



このような中で、本来政治家にあまり関心がなかった小生の中で、前述の政治の原体験に基づく疑問が湧きました。また、福沢諭吉先生のおっしゃる「立国は公にあらず私なり」という言葉がふつふつと沸いてきたのです。特に、数合わせのパワー・ゲームの中心ではなく、政策を練ることができる参議院は、小生の問題意識に応える場かもしれないと思ったのです。



以上が、決断までの経緯と理由ですが、政治家になるためには、その前に選挙を経る必要があります。政策はさておき、選挙についてはずぶの素人であります。そもそも、聴衆を前にして「私はこれだけ立派で、他の候補者よりも優れている」と述べることにすら抵抗感があります。このように候補者としては情けない自分ではありますが、国政の場という新たな戦場で貢献できますよう、お願い申し上げます。

**********************

(財)中東調査会 上席研究員

ゼネラルサービス 専務取締役

青山学院大学 非常勤講師

日本エネルギー経済研究所 客員研究員


     大野元裕

        
**********************


僕はこういっては何なのですが久しぶりに
面白い文章を読みました。
なんというか人間の真剣みが面白い域まで
達している感じです。

皆さんはどう想われたでしょうか。

大野さんは
政治家として活動していく中に
長井さんの問題解決も
当然入ると話しています。
外交交渉に能力と知恵をもつ彼が
政治家になれば
確かにぼくらの運動に力となるでしょう。

さて、本当にここのところ
毎日毎日僕の身の回りの人々のいろんな変化が
怒涛のように押し寄せてきています。
さらには、電話も次々ですし
夕方からでも深夜まで
元政党幹事長→ハイパーメディアクリエーター→元国連政務官との
会合が続きました。

どれもこの大きな流れから
派生しています。
この渦に僕がどうのような意味づけで対応すべきなのか。
実は、僕にとっても重要な局面と言えそうです。

呼びかけ人の大野元裕さん(イラク専門家)も参院選出馬へ

2010-01-19 08:15:42 | その他
長井健司殺害抗議署名の呼びかけ人を
務めていただいた、
イラク専門家として著名な、大野元裕さんが
地元埼玉の民主党から、参議院選挙に出馬することが
僕のアドレスにメールが届いていて分かりました。
まだ話せていないので、話せれば彼のメールを掲載したいと
思っています。

彼も政治家に舵を切ったのは認識していましたが
完全にフォローしきれていませんでした。
(正月にも新聞に観測記事は出ていたようですね)

本当にこの年末年始あたりから、僕の周辺にいる人々は
次々と大きく変化をしています。
最近その動きが強く加速しています。
これもその一つの顕われなのでしょう。

自分自身でも、いったい何がおきているのか
見定めねばと強く感じております。

これで長井健司のこの運動体関係者から
今回の選挙に出馬する方は二人目となります。
運動の中心である僕としては
いろんな対応を考える必要が出てきました。

いずれにしても、この記事は続報はまた後ほどです。
ご了解ください。

昨夜のTOSHIとの対話について僕が思うこと

2010-01-18 23:21:35 | その他
昨夜、本当に偶然に、
ホームオブハートでXJAPANのTOSHIと
六本木の高級ホテルのクラブラウンジで会って話をしました。

当時僕のチームで彼のことをよく取材し、報じましたが
僕自身は初対面です。

新聞報道されている
きょう午後の会見で話した内容とほぼ同じ中身について
二時間程度話をしました。

ホームオブハートという教団と教祖から
彼が距離を置いたことは、
少なくとも現時点では間違いないようです。

ただし現在彼を支える関係やその背後は
僕にはよくわかりませんでしたし、
破産しているはずの人間が高級ホテルに泊まっていることは
とても不思議なことでした。

彼の話している内容や
被害者や子供たちへの認識にも
僕が思うことは色々とありますが
それよりも僕がとてもとても気になったのは
彼の人としての本質的なものです。

大変書きにくいことなのですが、
問題のあるカルトグループから
離脱しようとしているという
前向きな話しをしている彼の人としての本性が
僕の触覚的にとても気になる感じということです。
言葉にしにくいのですが
なんとも言いがたいもやもやした感じとでも言うのか・・・

いずれにしても僕が追った、あの事件は丸五年を過ぎて
恐らくはピリオドになる様相でしょう。
ただ、自分が報じた相手の
今の姿に、解決まで長引いているこの事件の
根源の一つが確実にあることを
僕にはまた認識していくことになった対話でした。



X JAPANのTOSHIさん自己破産「だまされた」(朝日新聞) - goo ニュース

APFと長井健司

2010-01-17 03:02:47 | その他
僕がそもそもAPFの山路さんと知り合ったのは
長井さんの紹介です。
長井さんの紹介がなければ
彼と僕が知り合うことは、多分なかったような気がします。

今でも新宿のホテルに長井さんと一緒に来た
山路さんの背の高い姿を僕はよく覚えています。

それからものすごく多く一緒に仕事をしたわけではありませんが、
長井さんが生きていたころまでは
APFとは、オウム取材など、いくつかの良い仕事はしています。

長井さんがなくなってからは
逆に仕事の関係は消えました。
長井さんのビデオカメラとテープを取り戻す活動を
僕がはじめたことで
その活動をはさんでの協力関係でした。

一部のメディア関係者で
誤解している人がいるので明言しますが
この「ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」の
発足と署名活動は、
完全に僕個人が単独で決めてはじめたものです。

これをスタートさせるための相談も
僕が、事前に僕の周辺数人にしてはいますが
APFの山路社長やAPFメンバーには相談していません。
「やる」という連絡を直前にしただけです。
彼は当時それどころではありませんでしたし。

また呼びかけ人を追加していく過程で
APFに「誰かいないの?」と問い合わせました。
APFより紹介されたのは
鳥越氏と田丸さんの二人です。

この会の活動とAPFとは最初の一年間は
ゆるやかな協力関係にあったというのが実態です。
ただし、お互いに完全に独立していました。

署名や講演などで部分的な協力関係がありました。
講演会では、東京での最初の講演会と
APFがセッティングした仙台講演会。
さらに提出する署名用紙のコピーなど。

しかし2008年9月の一周忌以降、具体的な協力関係は
実は、ほとんどなかったような気がしています。
実際、APFの担当者とのメールのやりとりなどを
さっき確認しましたが、なんと数回だけでした。
ほんとに事務的な情報交換が三回
(長井さんのカメラの種類確認とかバンコクホテル住所確認など)。
そしてこちらからの三回忌(まる二年)の連絡位でした。
そして当会が2009年9月に
四谷の真成院で開催したこの三回忌には
APFメンバーはどなたもいらっしゃいませんでした。

山路さんとも去年の前半に、
数回は携帯で世間話をした記憶はありますが
最近はほとんど話をしていません。

テレビの仕事では、
僕は少なくとも二年以上、何も一緒にやっていないので、
今回なぜ、彼らがこのようなやり方の取材をおこなったのか
実はよくわかりません。
しかし、APFのメンバーはかなり少人数です。
また今回のことが下っ端のADによる
単独行為というレベルではないのです。

また、郵便物の無断開封はどういう理由にせよ、
許されることではありません。
僕はよく「取材はギリギリまで」と言いますが、
僕のギリギリの感覚の中に
郵便物の無断開封は昔から全くありません。

僕の勤務先の仕事仲間に誰に聞いても「当然アウト」です。
法的には刑法の信書開封罪(133条)に
該当する話です。

まず去年12月にAPFがTBSで報じた詐欺事件の内容が
ある意味、取材によって犯人が逃げたような内容に
放送が見えたらしく
視聴者がBPOに問い合わせて
BPOが動いているらしいことが
半ばオープンになっていました。
いつかはそのことを多少はブログに書くべき必要が
有るや無しやを僕は色々考えていましたが、
とりあえず先延ばしにしていました。
そしたら今週になって
突然TBSが郵便物無断開封を
夕方のニュースで報じたので、かなりびっくりしたのです。
「なんで長井さんが死んでまだ二年なのに
こんな馬鹿なことをするのか」という憤りが
こみ上げてきました。

それでも、いろいろ情勢も確認したかったですし、
元々の報道特集NEXTが番組で詳しく伝える
可能性も考えましたし、
APFから万が一、何か連絡があるかもしれませんし、
記事にあげるまで数日待ちましたが、
結局連絡も特になく、
TBSのテレビでの説明もかなりさらっとしたものだったのでした。

こういう事態を受けて、僕としては色々な思いが
心の中にはあるのですが、
やはりこの長井さんのビデオカメラとテープを取り戻す活動を
きちんと続けていくためにも
スタンスを明示することが大切だと思いました。

この会の活動は常に荊の戦いが続くのですが
更なる重石を背負わされても
戦い続けるしか道がないことを
また確認した次第です。

しかしながら、なぜ彼らが死んだ長井さんの遺志を
損なうような行為をしたのか、
本当に情けなく思うばかりです。

悲しいです。


追伸

『〈ミャンマーで銃弾に倒れた写真家一人あなたの勇姿で我が夢決まる〉。
千葉県の高専1年中島武忍(たくま)さんの歌だ。
長井健司さん(享年50)は帰らぬが、若者の心に多くを残した。』

おととい金曜の朝日新聞天声人語の記述です。
どんな状況でも
僕も想い続けなければいけないと感じています。

「APF通信社の郵便物無断開封」に対する見解

2010-01-17 00:13:50 | 署名などの報告(会の活動報告)
以下は「ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」の公式見解です。

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「TBS報道番組におけるAPF通信社の郵便物無断開封について」

 長井健司さんが所属したAPF通信社のスタッフが、TBSの報道番組で放送した内容の取材過程で、関係者の郵便物を無断で開封したという事態を引き起こしていることがわかりました。去年12月5日の「報道特集NEXT」とさらに12月8日の「イブニングワイド」で放送した詐欺事件の取材過程で、無断で開封したということです。
 当会ではTBSの報道により、この事態がおきたことを初めて知りました。長井健司さんの取材への志を受けとめ、彼のビデオカメラとテープの返却を求めている当会としては、長井さんが所属していたAPF通信社がこのような明白に取材倫理を破る行為をおこなったことに驚愕しています。今回の事態は、長井さんの遺志や命がけの取材活動に対する裏切り行為であるとも言えると思います。当会はこれまで長井健司さんのビデオカメラやテープの返却を求めるための署名活動などの一連の活動について、APF通信社とは協力的な関係でした。しかしながら、今回のようにジャーナリズムの根幹に関わる内容について、ある意味、今は亡き長井さんの名誉を傷つけかねないような重大な出来事を、APF通信社がおこしたことを鑑みて、当会とAPF通信社との協力関係を見直すことに致します。
 なお、当会は長井健司さんのビデオカメラとテープを取り戻す活動は責任を持って今後も継続していきます。さらにミャンマー政府などに対しての返還を中心とした具体的な要求、日本の政府当局に対しての働きかけも続けていく所存です。このため、当会の署名に応じていたただいている皆様、当会の活動に協力していただいている皆様、長井健司の銃撃を許せないと思われている皆様、2007年9月27日のミャンマーでの事件に関心を寄せていただいている日本国民また世界中の皆様、引き続き「ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」の活動にご協力いただき、長井さんのビデオカメラとテープを取り戻すことにご助力いただきますように、重ねてお願い申し上げます。

                            2010年1月17日
               
                  「ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」
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取材過程で郵便物を無断開封 TBS系番組の特集(共同通信) - goo ニュース