< 毎週金曜発行 > 配信済みの木下黄太メールマガジン第16号
【「福島への修学旅行」に取り込まれた岡山や台湾の高校生達、あからさまな狙われた理由 】
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主人が通勤できるギリギリの場所。。。 伊豆に引っ越しを決めました。
こちらにきてからは鼻血も出る事はなく、喘息の症状も出なくなり、アトピーも少しましになりました。
熱海や伊東のひどく汚染されてしまった事は知っていましたが、山を越えるとクールスポットになっているという情報を信じて決めました。
三島や函南、伊豆の国市などの測定ではあまり出ない・野菜についてはほとんど出ないという情報を見ていました。
ですが、静岡茶・伊豆市のしいたけなどから出る大きい値には愕然とします。
ですから、いつも、危険にはさまれているような気分になります。
千葉産や神奈川産より安全だろうと地元産の野菜も使っていますが、いつもどこかで心配しています。
地元の方の意識は薄く、釣った魚を頂いたり、海で皆さん泳いでいます。こちらの名物 しらすや桜エビ、きんめだいは子供達が大好きで
いつもとても困ります。
境であるという微妙な場所で、いつも不安に思っています。
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3年以上もの間、日々、貴重な情報をありがとうございます。
以前一度、親戚の子の循環器系の疾患についてお尋ねしたものです。
その節は、お忙しい中お返事ありがとうございました。 その後も原因不明ですが、震災後毎年春頃に心臓が痛むようで、今年も痛がっているようです。
6月1日に三島での講演会に出席する予定です。3年間、いつもブログやネット上の動画で木下さんの発信される声を聞いてきましたが、実は講演会は初参加でとても楽しみにしております。
<震災後、避難までの経緯>
3.11は第一子出産の3週間後で西の実家に滞在。出産後、体調不良でネットや本での情報収集をしておらず東京の現状把握が遅れる。 5月半ばに東京都東部へ戻る。
→東京に戻る不安はあったが、周りのママと情報交換して防衛できると思っていました。しかし、戻ると母親学級に参加しても9割はのほほんと普通に生活し子供も公園で遊ばせており、自分は体力が回復せず子供も小さかったため一度も公園遊びはさせず家にいることが多かったですが、少しずつ緊張が緩み、布団は外に干したり、関東の食材を買ったりしてしまいました。
2011.6月ー7月 情報収集。東京の現状把握
2011.7月ー2012.3月 主人と移住について話し合い(平行線)。
(2011.8月、12月、2012.2月などは1ヶ月単位で西に滞在)
2012.4月ー2013.5月 外国。
2013.5月半 三島移住。現在に至る。
<震災後、現状把握に至るまで>
2011.6月初に学生時代の友人から沖縄移住の話を聞き、それ程のことなんだろうかと初めて実際に受身ではなく自分で本やネットでの情報収集を行う。まだ、2,3時間おきに授乳中で常に睡眠不足の中、寝る間を惜しんで1ヶ月とことん推進論含め情報収集をしたら、心身ともにフラフラになりましたが(主人にも怪訝な顔をされていました)、ようやく自分の中で軸ができました。いかに自分で情報にあたることが大切か痛切に思い知らされ、今まで受けてきた教育についても愕然とした思いになりました。
今までも政府やマスコミが語ること全てが真実とは思っていませんでしたが、リベラル、保守の論調を読み比べたり、自分の信頼できる友人、先輩、家族などの意見を参考にしながら、偏らないように自由に考え(ていると思いながら)、何となくこの辺りが妥当な線に近いのかな等と思って暮らしてきていました。
しかし、震災後、政府やマスコミが絶望的にひどいことはさることながら、信頼する友人や家族の意見というものも、その人たちの自分に対する愛情、友情は信頼できても、真実を見抜こうとする眼があるかという点においては、自分と同じようにこの日本で、物事を懐疑的に見て、議論し、自分で調べ裏をとる教育を受けていない人たちである以上、そこから脱せれていない人の意見も(確かな裏づけや根拠があるものではなく)鵜呑みにできないことを思い知りました。
中国など国民がサバイバルを強いられ続けている国、あるいはドイツ等のように自治意識が高い国などでは盲目的に政府の発表を信じないということは当たり前で、自分で調べたり、信頼できるネットワーク筋の情報を確認したり、騙されないように防衛する国民が多いのだろうと思いました。
今でも手探りですが、情報発信する人のバックグラウンド、どんな利益を得ているのかなどを探り、考えながら、せめて、日本以外の国で一般的なレベルの防御ができるよう学び、子供にも伝えていかなければと思っています。
<体の症状などについて>
私自身は東京在住時、口内炎が恒常的にできていたり、お腹がしくしくしたり、2011-2012冬は子供も自分も何週間も風邪を引き続けて辛かったです。外国、三島では、風邪が長引くことはなく、子供も1晩で熱がひくことが多いです。
<三島について>
避難目的で選びましたが、コミュニティが暖かくよい町だと感じます。家族以外の生身の人と被爆について語り合うことは諦めかけていて、そんな日々にも慣れていたのですが
最近、何名かの避難者、また、三島在住で被爆意識のある方とお知り合いになれて、ごまかすことなく被爆について語り合えて張っていた気持ちが少しリラックスして癒されました。0ベクレルではなく、食べ物なども(もちろん全国どこにいても)注意は必要ですが、東京に暮らしていた時のことを思えば、食材も選択しやすく、子供を部屋に閉じ込めておかなくてもよく、落ち着いて次の展開を考えられるようになりました。
東京でご夫婦の認識が一致せず悩みながら暮らしていらっしゃる方も多いと思いますが
どうしてもご主人が転職をしたくなかったり、すぐにはできなかったりする場合に、三島であれば東京に通い続ける事は可能ですので(震災以前から三島から通う人は多くいることを知り、実際に毎日通勤してみて、その多さに驚きました)三島を考慮されてもよいかと思います。(もちろん、0に近い場所に越せればそれに越した事はありませんが)。平均値として20−30ベクレル程度(0は少ないですが、一桁もあり、50ベクレルあれば多いほう)ですので、ここからまた1年、2年と関東で過ごし、ご家族(特にお子さん)に多大な被爆を積み重ねられるよりは、次の展開までの避難地としてもよいかと思います。
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今回の講演主催者は次のように話しています。
《土壌セシウム合算20ベクレルのクールスポット三島で、講演会を開催します。新横浜から新幹線で最短26分。従来から東京・横浜へ通勤している人が多い地域です。私自身も、首都圏への通勤圏内ぎりぎりの場所で、少しでも汚染度が低いところを探し、2012年始めに移住しました。10か月におよぶ母子避難に伴う別居を解消できました。都会のきらびやかさはないものの、数社のスーパーやショッピングモールが点在し、西日本の食材が比較的、簡単に手に入ります。自然も豊かで、子育てがしやすい環境です。私が所属する地元のグループでは土壌や食品の放射能検査をしながら、勉強会や情報交換をしています。事故後、首都圏から移住してきたかたもいらっしゃいます。被ばくへの関心がある人が少ない中、貴重な交流の場となっています。同じ感覚の人たちと話題選びに遠慮したり躊躇することなくフランクに話すことができることが大変心地よく、安心感を覚えています。》
来週日曜日開催! ご参集下さい!
【6/1(日) 木下黄太講演会 in 三島 チェルノブイリの今を通して見る食の安全】
静岡県・三島市や沼津市エリアでの開催です、是非ご参集下さい。
13時15分開場、14時~16時30分終了予定。
(静岡県駿東郡長泉町下土狩1283-11)
沼津駅から二駅のJR御殿場線下土狩駅隣接。新幹線三島駅よりは1.5キロで、徒歩19分。駐車場有。
終了後、情報交換会があります。
申込&詳細⇒http://kokucheese.com/event/index/171965/
また、下記のメールアドレスでも申込を受け付けています。
氏名、連絡先電話番号、郵便番号、必要枚数 をお知らせください。
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みなさん、数十万人に見せましょう。リンクを10人にメールして!
岡山の地元テレビ局夕方ニュース特集。今、岡山に首都圏から放射能移住者が急増との内容、三田医院も冒頭登場。
ksb瀬戸内海放送
⇒http://www.ksb.co.jp/newsweb/index/1349#feature
⇒http://youtu.be/Fvp-bE_k_Lk?t=2m58s
東京で語られないことが、普通に岡山でニュース特集になっている。首都圏の人に見せたほうが良い。認識を変えるために。