名古屋でミーティング中の為、手短に書きます(少人数のミーティングをしながら書きました。きょうは函館ででも関係者と話をしたり、その後、飛行機や運転による移動していて、暇がありません)。
函館講演は、参加者が、あまりこうしたイベントに来ないタイプの方も多く(よく原発関連を企画されている主催者が普段見たことのない人が多数)、地元の年配の男性も多かったです。場所は、北海道教育大学での開催でしたが、若い人は少なかったです。
但し、話している最中も緊張感のある反応をしている人がとても多かったです。
函館には、福島避難者の方も多く、一年前に比べても、この問題に関しての意識が高まっているのがよくわかりました。
実際、取材も新聞社が三社入っていて、朝日新聞と地元の函館新聞で朝刊で記事になっていました。下記は2013/10/7 函館新聞の朝刊の記事。
主催者の中にいる福島からの避難者の方からも、ぞっとする話がありましたし、参加された中の福島避難女性からも深刻な相談がありました。
こうしたことは、可能になれば、お伝えしたいとも思います。
僕の知人カメラマンが福島取材もあり、白内障になった話はお伝えしましたが、これは50代男性でした。今回は、都内23区西部に在住し、都心で仕事をしていた30代前半の女性が白内障になったという報告です。電話でもお話しいたしました。
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疾患についての報告です。
本日、若年性白内障と診断されました。34歳の女性です。1年後に東京23区の西側から、非汚染地に移住しました。
都内にいた時は紫斑が出たり、上咽頭炎に伴う眩暈がありました(引越後は消失)。花粉用眼鏡で防いでいましたが、不十分だったようですね。自重します。
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彼女には、血液検査を精密にすることを、特にすすめました。
紫斑⇒喉の炎症⇒眩暈⇒白内障という流れは、厳しい話です。
彼女は、福島は通過しただけなのですが、岩手方面には震災の活動で行かれたそうです。
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残10枚程度 。 必要な方はお急ぎ下さい。
申込先⇒ http://my.formman.com/form/pc/MlyGAkw8YHAI9oUe/
DVD申込の詳細や注意事項は⇒http://bandazhevsky.jimdo.com/
申込後、直ちに自動返信メールで振込先等を案内します。
健康被害と思われる症状が、更に深刻化しています。 報告、相談はまずメールを下さい。nagaikenji20070927@yahoo.co.jp
事故発生当時の行動記録や数値データなどを細かく教えてください。問い合わせの内容も書いてください。健康被害の状態を皆で共有化し、事態の推移をあきらかにしていく作業が最も必要です。
「関東・南東北の被曝エリア(東京全域を含む大半のエリア)にいる皆さんは、放射性物質の少ないエリア、できれば愛知県から西のエリアに、移住するべきです。妊婦、子供、未成年、妊娠可能な女性は優先して移住すべきです。被曝から2年半が経過しています。初期被曝は深刻で、慢性被曝の影響がさらに危険です。食物、飲料のみならず、吸気による被曝は危険です。回避する方法は限定的です。あなたやあなたの家族の命が何よりも大切です。早く移住してください。」
甲状腺の検査、甲状腺のエコー検査、さらにふつうの血液検査のうち、血液像の検査(白血球、特に好中球)や異型リンパ球の確認、大人の女性はサイログロブリンの数値も確認した方が良いと思います。
私はもちろん、日本人、韓国人、中国人、ロシア人など、各国の友人たちもビザ更新の時期は憂鬱になりつつ、自分はこれからどこでどうやって生きて 生きたいのか、真剣に悩み考え結論を出します。ドイツに滞在したいのなら、本当に最後のギリギリまであきらめず行動し、期限が来て条件に満たなく ても、あきらめず外人局の役人を前に、自分の考えとすばらしさをプレゼンテーションして、ビザの延長を まさに勝ち取っています。
どう考えても、ビザ更新までに条件を満たしたり、延長してもらうのは絶対無理だろう、と友人たちの状況を見ていて私が思うこと度々でした。でも、 これまですべての友人が、その強い意志と行動力で希望を実現させてきました。見ているこっちがびっくりでした。
あきらめて、流されながら生きるのは楽だと思います。でも、自分がこうしたい!という思いがあったら、しっかり意見を述べて、行動していく!とい う生き方を、ドイツ滞在12年で、例えるならスパルタ式の教育法で身につけさせられました。
木下さんは、一週間様子を見ると言われたので、コメント欄への投稿で、私は自分の意思表示をします。その結果がどうなるのかは、コメント欄の場合 木下さんの判断です。ご自分の健康状態などを考慮されて決められた結果には、一読者には それ以上は言えません。
一人でも多くの命を救いたい!と思われてブログ記事を書いて頂いているのなら、有意義なコメントが集まることによってその効果は高まるに違いな い、と私は信じています。私の直感が、コメント欄への投稿を促すのでそうしています。
道を切り開いていった友人たちは、皆 明るく前向きでした。現実は、まったくそれとは逆で見通しの立たない暗いものだったのに。放射線物質の寿命 は、こちらが分けてもらいたいくらい長いです。人間が生み出してしまったものとはいえ、こちらの寿命に比べてハンディキャップありすぎです。
被爆の影響とはもう無縁で生きられない地球の上で、貴重な人生の時間、各自が取り組むべき課題は衣食住に加え、人間関係などすべてにわたり長期戦 ですが、何事も すぐにあきらめるのではなく、今生かされていることに感謝しながら、行動していこうと思います。
もちろん、マスクをしたり、水は飲まないなど最低限の防御はしますが、一切の飲食をしないわけにもいきませんし、行く以上、防御しきれない現状です。
主人はどちらかというと、そういうのに敏感な方なんだと思いますが、そんな地に何千万人も住んでいる・・・あと数年したらどんなことになってしまうのか、すごく怖いし不安です。
一日50件のコメントのうちの一つを入れたくても、これといって、みなさんに役立ちそうな情報がなくて躊躇しているのは私だけではないかもしれません。
したがって、ささやかなことですが…。
①先日、広島市に来られた野呂美加さんの講演を聴きに行きました。野呂さんの一言一言が心に響きました。野呂さんもおっしゃっていましたが、一日2回行われたこの講演を、広島ではテレビのローカルニュースで紹介したり、朝日新聞でも地方版に予告の記事が載っていました。マスコミに失望していただけに、とてもうれしく思いました。
②野呂さんの講演後、司会をしてくださった、神原将さんが自費出版され、東京から広島県呉市にご家族で移住された経緯を書かれた本を買いました。この本の中でヒットラーの言葉として引用された「国民を守っても、国が破れて国の威厳がなくなってしまえば、どうせ国民は国民でなくなる」の言葉は、まさに現政権の思想そのものではないかと思いました。
③孫が公立小学校に通っています。広島市のHPでは毎月の給食で使われる野菜、肉類の産地が公表されています。「できるだけ広島県産を使うようにしている」とのことで少し安心しましたが、決して満足できる状況ではありません。電話やメールで市に訴える必要があると思います。
④広島市在住の方へ。 安佐南区大町の「とれたて元気市」には、地元の農家の方が持ち寄った野菜が安価でたくさん売られています。広島県産のりんご、原料が広島県産の豆腐やこんにゃくもあります。私は、グリーンコープに入っていますが、最近、カタログに産地を書いていない商品も目につき、「東北を応援しよう」と東北のお米も依然として扱っています。グリーンコープも、以前ほど信頼できなくなっていると感じます。
木下さんの「放射能汚染から一人でも多くの人を救いたい」との一心は強く伝わってきます。このような気持ちから発せられていない意見は自然淘汰されるのではないでしょうか。
昔、いくつも病気を抱えていらっしゃる当時30歳位の広島出身の方が 、やけに物忘れが激しい、ものを置き忘れて帰ってきたりとか、嘆いていました。その話を聞いた時は、そういう性格なんだろうと 、深く考えていませんでしたが、今思い返してみると、原爆の影響もあったのか?と。
北九州のがれき焼却開始直後、喉の腫れなど直ちにダメージを予想以上にくらいました。当時まわりでも、最近季節の変わり目のせいか体調悪い人が増えたね、というような世間話をしていました。救急車で運ばれた人も。
市長など、焼却始まってすぐは遠くに公務?に行っていたそうですね。
2011年の秋、頑丈で健康そのものの知人の若い医師は関西から関東にいき、珍しくひどい風邪をひいて帰宅、仕事をしばらく休みびっくりしました。なぜだか疲れやすいと言っていました。
それはちょうど東京で焼却開始した日でした。
健康被害の自覚がない人が多いのかなと思います。
そしてその大気汚染がひどい頃、ヘリコプターの音が朝から深夜までひっきりなしに聞こえていたのが不審でした。今は激減しましたが。大気の測定をしているのかもしれないと推測しています。
http://mphoto.sblo.jp/category/1117537-1.html
汚染地に人が住んでいられるのは、放射能が目に見えないから。
黒澤明の「赤富士」のように放射能に汚染された大気に色が付いていたりして目に見えたら、みんな急いで逃げ出します。
311後にレントゲンを撮ると点々がたくさん映って診断に支障をきたすほどだったらしい。
野呂さんが保養に来てもらう時には持ち物を最小限にして靴も新しいものを支給して保養所に持ち込まないようにしてもらっている。と言っていましたが、確かにこのスリッパのような衣服や車を避難先に持って行って生活をしても、被爆し続けてしまいますね。
避難所で集団で避難していた時も被爆し続けていたのかもしれない。
もっと適切に対処できていたら少しでも被爆を軽減できたのに。確か避難地域の人たちは、家財道具を取りに家に戻ったりしてましたよね。大きな袋1個分とか制限されてたけど。
このスリッパみたいなものも知らずに持ち出してしまった人がいるかもしれない。
せっかく移住したのに発病してしまうリスクのひとつに衣服や家財道具をどのくらい持って行ったかもあるのかもしれない。
首都圏の電車なども高い数値が出るという情報を見たことがありますが、このスリッパみたいな衣服・持ち物・靴の放射能キャリアが出入りしていたら、さもありなん、と感じました。
考えすぎですか?
そのくらいこの写真はコワイ。
このような可視化の試みって必要だと思いました。
首都圏の物はどうなんだろう?
私の周りでは、東京ですが赤ちゃんが口唇裂だったという方を2人ほど聞きました。
身なりを気にしている女の友人の何人かが、とても太ってしまったり、風邪がなかなか治らないとか、芸能人でも、体調不良や死因が書いてない死亡記事など増えた気がします。この2年半、きっと気づかないふりをすれば、できるのかもしれないけど、(多くの私の周囲の人々同様に)でもちょっとあれっということが起こっている気がします。
でも、やはり初老だから…と受け止められていましたが、救急車のサイレンが途切れない住宅街、葬儀場が一杯という事が不気味でした。
そして、初老、老人ほどでありませんでしたが、若い方々もやはり突然亡くなる事が増えました。
特に同じく多摩地区に住む妹の周りで幼児をもつ世代の男女の突然の訃報が増え、残されたご家族を思うと胸が痛かったです。
ここ一年程はそんな話題も落ち着いていました(訃報自体はあるものの、急に亡くなる、とか若い方々ではなかった)数日前に私の知り合い(初老に近い)と今朝、また妹の知り合い…地区で同じ趣味をしていた仲間…若いお母さんです…が脳溢血のような(詳細は不明)症状で亡くなりました。
夏に久しぶりに再会した方に「ご家族はいかがお過ごしですか?」と聞いたところ20才代の息子さんが二年前に急に心臓発作を起こされ大手術をしたそうで…。一命を取り留め今は仕事に復帰されていると聞き、ホッとしましたが…。
みな同じエリアの身近な人々です。
私共は木下さんのお陰で関東・東北からは離れた地に移住しましたが、この東北・関東からは遠い土地、私の家族の通う中学でも夏休み前日に「朝起きてこないから起こしに行ったら亡くなっていた」女の子がいました。
夏休みになった為、詳細も聞けないままですが…。
また職場で若い方々が「最近なんか物忘れがひどくてさー!年かな???」「あ、自分もです。」という会話が。
早い時期、近い地域では健康状態が不安定な方々に、
そして今、遠いこの土地ではゆっくり食などからなにかが忍び寄っているように思えてなりません。
これは全くの気のせいかもしれませんが、「なんだか目が痛い」などと思っていると、福島付近の線量が高い日だったりして、
そしてその数日後、いくつもご葬儀場の案内板が出ていることが幾度もありました。
本当に気のせい、または他の理由かもしれませんがまさに「何かを実感」しています。
葬儀場や葬儀に必要なものを準備びされる業者さん(看板屋さんなど)に一度聞いてみたいな、などと思ったりもします。
とりとめのないコメントで申し訳ありません。
しかし、今こそ木下さんのブログを気にかけていらっしゃる皆さんも内部被曝について再度周囲に声をかけてもいいのかな…と強く感じています。
小さな声でも発し続けましょう。
自分が後悔しない為にも。
お忙しい日々のブログ、またコメント欄、ありがとうございました。
観てきました。
「明日は我が身」
につきる一言です。。。
小さな会場でしたが、その割には動員していた感じでした。高校生カップルや子連れも目立ちました。
隣の一人で来た中年男性は、途中何度も泣いていました。
私も泣きました。
この映画が過去の話ではなく
近い将来を描いているから。
祖母は、ヒロシマの原爆で帰ってこなかった自分の父親を探しに、原爆投下の翌日から広島市内に入り、一日中歩き回ったそうです。私の曽祖父にあたる、祖母の父は、爆心地からそんなに遠くない場所にいたので、原爆の強烈な閃光と爆風で判別が難しいほど全身焼けどをしていて、他の遺体と一緒に山積みにされていた中から、祖母が歯の治療の跡で人物特定をして発見されたそうです。地獄絵図だった当時の様子を、祖母が話してくれました。
通常の爆弾なら、翌日探しに行った祖母の健康は影響を受けなかったはずですが、やはり原爆による二次被爆の影響からは逃れられませんでした。私がものごころついてから記憶している祖母は、いつも何がしかの病気をしており、入院したり通院したり、こんなに病気ばかりしていてはかわいそう、と母と一緒に祖母のために嘆いていたのですが、当人は何事もあまり気に病まない性格だったのがせめてもの救いでした。
祖母は、骨折は何度もしたし、肝臓や腎臓が悪く、骨が弱かったのか肩を痛めていたし、胃の手術もし、最後は認知症で亡くなりました。白血球が通常より 随分少なかったようです。数値は、記憶してないので書けません。
母も、原爆投下当時生まれていたので、爆風の影響を直接受けてはいませんが、二次被爆。子供のころ、よく捻挫をしていたそうで、今でも足首が変形していて、その上ものすごくひどいO脚です。母の歯は、残念ながらひどくもろかったそうで、虫歯になり易く、なったらなったで進行が早く、早くから差し歯にしていました。心臓も不整脈があります。お医者さんに、子供のころの風邪でウイルスが心臓に入ったため、弁がずれているから不整脈が出るんだと言われたそうです。何とか、今も それなりに病気と折り合いをつけながら生活しています。今、改めてこれを書きながら、セシウムとかの影響だったのではないか、と思っています。これは、あの一瞬の原爆による二次被爆の影響を受けた家族のお話のほんの一部です。
フクシマの放射能汚染の規模をヒロシマの原爆のものと比べてみただけで、これから待ち受けている出来事(すでにかなり事態は進行していますが。)に対して背筋が寒くなります。汚染の規模と住んでいる人口の差が、桁違いに大きすぎます。あの事故から2年半以上経っています。被爆の影響には、ものすごく個人差があります。私の家族、親戚を見ていれば よく分かります。
人は、自分が体験しないと真剣に行動しないものかもしれませんが、汚染地に住み続けていると病気の問屋を開くことになるかもしれません。