放射能に関して、原爆投下以来、一貫して警鐘を鳴らし続けていた肥田舜太郎医師が逝去されたと聞こえてきました。
100歳。
この写真は、2012年3月13日、初来日したバンダジェフスキー博士の講演聞きたいとお出でになった、肥田先生に壇上に上がって頂き、楽屋で2人を撮影した多分唯一の写真です。
僕はこの前後しか肥田先生とはやりとりをしておらず、きょうの逝去も人づてに聞こえてきました。
今週のメルマガでも、この時の記憶を少し書いておきたいと思います。
内部被曝ということを日本社会に認識させるために尽力された肥田先生のご冥福をお祈り申し上げます。
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【 前橋地裁避難者集団訴訟で国に勝訴、福島からの自主避難者も賠償と
いうことに関しての本音 】
『2017年 大放談(7)』【 日本人そのもののポテンシャル下落で焦り始める状況、更に放射能拡散が追い打ちを掛けたという認識 】
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