昨日10月22日は、旧暦だと長月十五日、つまり九月の十五日で、そうなるとこれはもう、今からざっと410年前の西暦1600年、和暦・慶長五年の天下分け目の関ヶ原の合戦があった日である。
もう十数年前、一度だけ、いつも新幹線に乗って車窓から偲ぶだけだった関ヶ原に行ってみたことがある。ちょうど今時分だったかしら、平原が草色から薄茶色に移ろっていくころ、陣立てに見立てた幟旗がほうぼうに立ててあって、地元では合戦祭りの準備をしていたようだった。
東から西へ見物左衛門、そして帰路となると日中目いっぱい、上方で遊んでくるので、関ヶ原辺りを通る時はたいがい、とっぷりと陽が暮れている。
新幹線の窓からうかがう関ヶ原は、闇の中に静かに横たわっている。さらさらと篠の原をゆらして、音もなく粉雪が舞っているだけの、静寂に覆われた何もない原っぱである。
その原っぱで、家康に仁義があったかなかったかを、三成が天下に問うた、豊家の代理戦争が行われた日なのである。
一方、同じ年、イギリスは東インド会社を設立している。日本国内は豊臣か徳川かで、天下を二分する戦端を切ってドンパチしていたのだが、ヨーロッパでは、その後3世紀にも及ぶ帝国の繁栄を築く基となる、植民地政策を着々と推し進めていたのである。…うぅむ。
二十代の終わりごろ、平成のひとケタ時代、築地の華僑ビルで、シネバラック3000という、好事家のために古い邦画を16ミリで観せてくれる個人上映会があった。主催していた田中英司さんは、今もお元気でいらっしゃるだろうか。
さて、そのシネバラックである日、私は月形龍之介の、あまりの、胸のすくカッコよさにしびれた。それは大友柳太朗の「むっつり右門」捕物帖シリーズの一作品なのだが、副題は失念した。
ある政治的な事件があって、誰が黒幕なのかさっぱりわからないのだが、右門は犯人を明らかにする罠を思いつく。それは、その犯罪の張本人であれば、とある商家の蔵の中に閉じ込められて朝を迎えざるを得ない、という仕掛けだ。
策奏して、さて翌朝、蔵を開けてみると、そこにいたのは、なんと右門の上司であった。…まぁ、ありがちな筋書きではあるが、その上司が月形で、自分の正体が暴かれた、その瞬間の月形のショットが、もう、あまりにもカッコよかったのである。
悪びれもせず、毅然ときっぱりとして顔を上げている月形の、その潔さと、そしてそれでも腹の内を明かそうとしてはいない胆の据わり具合に、私はシビレタのである。
惚れ惚れするほどカッコいい男の基準というものは、自分が幾つだったかで変わる。その人物に出会った年頃によって、判断のスケールは違う。
新美南吉の『うた時計』に登場する「清廉潔白の廉」という名前の男の子が、己ではそうと知らず惹き起すエピソードに涙した私は中学生だったし、映画「風と共に去りぬ」の中の誰か一人といえば、やっぱりアシュレーがいい、と思っていたのもその頃だ。
清濁併せのむ人を許せないと思う、思春期特有の潔癖さ。
でもやがて、高校生になってから再び観た「風と共に去りぬ」は、アシュレーではもはや線が細く頼りなく、どうしたって男っぷりは、圧倒的にレット・バトラーがいいのだった。
20世紀末の三十代の頃、突如、中華電影に凝り、その延長で、あの長江の流れにも匹敵するナガ~イ中央電視台制作のテレビドラマ『三国演義』を観た。
みなさんは、誰がお好きですか?
三十代半ばだった私は、圧倒的に曹操だった。自分を助けてくれた一家を勘違いから皆殺しにしてその挙句…というあのエピソードに、私は感服した。あの潔いワルっぷりときたら、もう実にカッコよくて清々する。いっそスガスガシイ、とはこういうことなのだろう。
すでに二十代の一途な純粋さから一歩踏み出していた私には、諸葛亮、孔明の聡明なスーパーヒーロー的聖人君子ぶりは、もはや、あまり魅力的ではなくなっていた。
まぁ、こういう悪役は身近でない、虚構世界に生きているから、胸のすくカッコよさを歓迎できるのだろう。実際に江戸市民だったら月形のオッサンには、石持て礫投げ、税金返せ~と叫ぶだろうし、曹操のもとからは離れて田園に暮らすさ、当然。
そして、歴史の夢から覚めて、西暦2010年、和暦・平成22年の現実に立ち返り、逆にまた思う。腹黒い、いや、腹黒いらしい…という、ある意味、世の中の無責任な…あるいは思惑のある誰かが喧伝したイメージで、その人自身の黒白を決めてしまっていいのだろうか。
政治家にそんなに、聖人君子のような、清く正しい美しさ…のみを求めてどうする。人それぞれの立場によって、求められることは違うはずだ。
クリーンさを求めるがあまり、ほんのちょっとした瑕疵で出来物が失脚していってしまっては、世の中に仕事のできる人物が居なくなってしまう。革命後のフランスやソビエトは粛清に拍車がかかり、優秀な人材を次々と潰していった。
一元的な価値観のもとで権力闘争をすれば、独裁者が生まれるだけだ。
世の中を仕切るということは、きれいごとじゃできないはずだ。
清廉潔白は誰しもが憧れるところだけれど、そういう人物を歴史上に見出すとき、たいがいは進退きわまって、自分の道に殉じて儚くなってしまうことが多い。
変節すれば歴史には残らない。自分の道を全うする、その誰もができない潔さに人々は感動するのだけれど、その人本人は、存在することができずに滅んでいく。
思想家はそれでいいかもしれないけど、政治家は、現実に何をどうできるかが、すべてじゃないのか。
そのもの本来の在りよう、本質を見失って、すべからく、世にあまねく生業(なりわい)の人々をきれいごとだけの、美談の型に、一元的にはめ込むことは、いったい正しいことなのか。
清濁あわせ呑むことができる人物でなきゃ、こんな有象無象のひしめく世の中を、仕切っていくことなんて、できやしないのだ。
もう十数年前、一度だけ、いつも新幹線に乗って車窓から偲ぶだけだった関ヶ原に行ってみたことがある。ちょうど今時分だったかしら、平原が草色から薄茶色に移ろっていくころ、陣立てに見立てた幟旗がほうぼうに立ててあって、地元では合戦祭りの準備をしていたようだった。
東から西へ見物左衛門、そして帰路となると日中目いっぱい、上方で遊んでくるので、関ヶ原辺りを通る時はたいがい、とっぷりと陽が暮れている。
新幹線の窓からうかがう関ヶ原は、闇の中に静かに横たわっている。さらさらと篠の原をゆらして、音もなく粉雪が舞っているだけの、静寂に覆われた何もない原っぱである。
その原っぱで、家康に仁義があったかなかったかを、三成が天下に問うた、豊家の代理戦争が行われた日なのである。
一方、同じ年、イギリスは東インド会社を設立している。日本国内は豊臣か徳川かで、天下を二分する戦端を切ってドンパチしていたのだが、ヨーロッパでは、その後3世紀にも及ぶ帝国の繁栄を築く基となる、植民地政策を着々と推し進めていたのである。…うぅむ。
二十代の終わりごろ、平成のひとケタ時代、築地の華僑ビルで、シネバラック3000という、好事家のために古い邦画を16ミリで観せてくれる個人上映会があった。主催していた田中英司さんは、今もお元気でいらっしゃるだろうか。
さて、そのシネバラックである日、私は月形龍之介の、あまりの、胸のすくカッコよさにしびれた。それは大友柳太朗の「むっつり右門」捕物帖シリーズの一作品なのだが、副題は失念した。
ある政治的な事件があって、誰が黒幕なのかさっぱりわからないのだが、右門は犯人を明らかにする罠を思いつく。それは、その犯罪の張本人であれば、とある商家の蔵の中に閉じ込められて朝を迎えざるを得ない、という仕掛けだ。
策奏して、さて翌朝、蔵を開けてみると、そこにいたのは、なんと右門の上司であった。…まぁ、ありがちな筋書きではあるが、その上司が月形で、自分の正体が暴かれた、その瞬間の月形のショットが、もう、あまりにもカッコよかったのである。
悪びれもせず、毅然ときっぱりとして顔を上げている月形の、その潔さと、そしてそれでも腹の内を明かそうとしてはいない胆の据わり具合に、私はシビレタのである。
惚れ惚れするほどカッコいい男の基準というものは、自分が幾つだったかで変わる。その人物に出会った年頃によって、判断のスケールは違う。
新美南吉の『うた時計』に登場する「清廉潔白の廉」という名前の男の子が、己ではそうと知らず惹き起すエピソードに涙した私は中学生だったし、映画「風と共に去りぬ」の中の誰か一人といえば、やっぱりアシュレーがいい、と思っていたのもその頃だ。
清濁併せのむ人を許せないと思う、思春期特有の潔癖さ。
でもやがて、高校生になってから再び観た「風と共に去りぬ」は、アシュレーではもはや線が細く頼りなく、どうしたって男っぷりは、圧倒的にレット・バトラーがいいのだった。
20世紀末の三十代の頃、突如、中華電影に凝り、その延長で、あの長江の流れにも匹敵するナガ~イ中央電視台制作のテレビドラマ『三国演義』を観た。
みなさんは、誰がお好きですか?
三十代半ばだった私は、圧倒的に曹操だった。自分を助けてくれた一家を勘違いから皆殺しにしてその挙句…というあのエピソードに、私は感服した。あの潔いワルっぷりときたら、もう実にカッコよくて清々する。いっそスガスガシイ、とはこういうことなのだろう。
すでに二十代の一途な純粋さから一歩踏み出していた私には、諸葛亮、孔明の聡明なスーパーヒーロー的聖人君子ぶりは、もはや、あまり魅力的ではなくなっていた。
まぁ、こういう悪役は身近でない、虚構世界に生きているから、胸のすくカッコよさを歓迎できるのだろう。実際に江戸市民だったら月形のオッサンには、石持て礫投げ、税金返せ~と叫ぶだろうし、曹操のもとからは離れて田園に暮らすさ、当然。
そして、歴史の夢から覚めて、西暦2010年、和暦・平成22年の現実に立ち返り、逆にまた思う。腹黒い、いや、腹黒いらしい…という、ある意味、世の中の無責任な…あるいは思惑のある誰かが喧伝したイメージで、その人自身の黒白を決めてしまっていいのだろうか。
政治家にそんなに、聖人君子のような、清く正しい美しさ…のみを求めてどうする。人それぞれの立場によって、求められることは違うはずだ。
クリーンさを求めるがあまり、ほんのちょっとした瑕疵で出来物が失脚していってしまっては、世の中に仕事のできる人物が居なくなってしまう。革命後のフランスやソビエトは粛清に拍車がかかり、優秀な人材を次々と潰していった。
一元的な価値観のもとで権力闘争をすれば、独裁者が生まれるだけだ。
世の中を仕切るということは、きれいごとじゃできないはずだ。
清廉潔白は誰しもが憧れるところだけれど、そういう人物を歴史上に見出すとき、たいがいは進退きわまって、自分の道に殉じて儚くなってしまうことが多い。
変節すれば歴史には残らない。自分の道を全うする、その誰もができない潔さに人々は感動するのだけれど、その人本人は、存在することができずに滅んでいく。
思想家はそれでいいかもしれないけど、政治家は、現実に何をどうできるかが、すべてじゃないのか。
そのもの本来の在りよう、本質を見失って、すべからく、世にあまねく生業(なりわい)の人々をきれいごとだけの、美談の型に、一元的にはめ込むことは、いったい正しいことなのか。
清濁あわせ呑むことができる人物でなきゃ、こんな有象無象のひしめく世の中を、仕切っていくことなんて、できやしないのだ。