「頌春」という言葉がたまらなく好きで、前世紀、年賀状には必ずといっていいほど、書いていた。
「しょうしゅん」…「しょう」という音の響きが慎ましやかで、しんから寒いところへ、ようよう春がやって来たのをほめたたえ、ことほいでいるように感じる。すてきな言葉だ。
…しかし、やっぱりこれはヘンだ。ことさらに最近、そう思うようになった。
だって新暦のお正月じゃ、春じゃないもの。
春というのは、二十四節気で「立春」になってはじめてそう言えるもので、やっぱり、星の位置を読むのがものすごく重要だった遊牧民族の編み出した太陽暦に、無理やり太陰太陽暦の年中行事を当てはめるのは無理なのだ。内実違っているのに数字だけ同じにして、帳尻を合わせる。そりゃー無理でしょ、というのが、道理というものだ。
無理が道理。…世話物で無理やり娘に因果を含めて縁談を承諾させる、オヤジさんのセリフみたいですが。
明治以来そういうわけで、日本民族はだいぶ無理をしてきた。その無理がここへきて祟っているような気もする。
…そこで一人だけ、旧暦に則ってお正月をしようというほど、私には度胸はない。
やはり世間様の風習には従いつつ、個人的に旧暦のお正月への道のりを愉しんでみようと思うのだ。
旧暦では十二月八日からお正月の準備を始めた。
清々しい気分で新玉の春を迎えるには、やっぱり大掃除、つまり、すす払い。そして、煤払いに必要不可欠なものは、煤竹。
幕末にはもう売り歩いていなかったようだが、古来は、煤竹売りは、十日ごろから行商したらしい。もちろん、元禄年間も。今年は昨日が、旧暦の十二月十日だった。
千代田のお城では、暮れの十三日に大煤払いをするのが習わしだった。
それで民間でもそれにならって、大掃除は十三日ごろに行った。
温暖化とはいえ、やっぱり平成の世にも寒の内はたいそう寒い。
ここ数日の寒さに、わが意を得たりと、ひとり、にんまりする。
♪笹や笹、笹はいらぬか煤竹は……大高源吾が両国橋の上で、煤払い用の笹竹を売っていたのは、こんな寒い季節だったわけである。
「しょうしゅん」…「しょう」という音の響きが慎ましやかで、しんから寒いところへ、ようよう春がやって来たのをほめたたえ、ことほいでいるように感じる。すてきな言葉だ。
…しかし、やっぱりこれはヘンだ。ことさらに最近、そう思うようになった。
だって新暦のお正月じゃ、春じゃないもの。
春というのは、二十四節気で「立春」になってはじめてそう言えるもので、やっぱり、星の位置を読むのがものすごく重要だった遊牧民族の編み出した太陽暦に、無理やり太陰太陽暦の年中行事を当てはめるのは無理なのだ。内実違っているのに数字だけ同じにして、帳尻を合わせる。そりゃー無理でしょ、というのが、道理というものだ。
無理が道理。…世話物で無理やり娘に因果を含めて縁談を承諾させる、オヤジさんのセリフみたいですが。
明治以来そういうわけで、日本民族はだいぶ無理をしてきた。その無理がここへきて祟っているような気もする。
…そこで一人だけ、旧暦に則ってお正月をしようというほど、私には度胸はない。
やはり世間様の風習には従いつつ、個人的に旧暦のお正月への道のりを愉しんでみようと思うのだ。
旧暦では十二月八日からお正月の準備を始めた。
清々しい気分で新玉の春を迎えるには、やっぱり大掃除、つまり、すす払い。そして、煤払いに必要不可欠なものは、煤竹。
幕末にはもう売り歩いていなかったようだが、古来は、煤竹売りは、十日ごろから行商したらしい。もちろん、元禄年間も。今年は昨日が、旧暦の十二月十日だった。
千代田のお城では、暮れの十三日に大煤払いをするのが習わしだった。
それで民間でもそれにならって、大掃除は十三日ごろに行った。
温暖化とはいえ、やっぱり平成の世にも寒の内はたいそう寒い。
ここ数日の寒さに、わが意を得たりと、ひとり、にんまりする。
♪笹や笹、笹はいらぬか煤竹は……大高源吾が両国橋の上で、煤払い用の笹竹を売っていたのは、こんな寒い季節だったわけである。