グレーの梅雨空になじむように今年のアブラゼミが鳴き始めたのは昨日のこと。
昼下りのベランダに出て、悄然とレモンの鉢を眺める。ビッグバンドに憧れて、タップを踏みながらクラリネットを吹く寄席芸人を目指していたのは昭和60年ぐらいのことだったか。
習いに通っていた吉祥寺の丸石楽器も今はもうない。サンロード向かいにあったバウスシアターももう無い。クローゼ・クラリネット教本から始めて、ジャズのスタンダードナンバーをやりたいんです、という私のわがままを聞いてくださった本田先生は今はどうしていらっしゃるだろう。
昨春から介護施設に入所したまま、コロナ禍に見舞われ帰宅も面接もままならぬ母が飲みたいらしい“大人のカルピス(以前は珈琲が好きだったのに、苦いからイヤと、介護スタッフの皆さまのお手を煩わせているらしい…)”を届けがてら、五日市街道沿いに、コーナンプロ店を発見した私は、ようやく、懸案の蛹化用ゲージを工作するべく、材料を調達した。先週の金曜日のことである。
何かと気落ちすることの多い令和3年度、旧暦の五月五日も過ぎようというある日、レモンの葉陰に幼虫を発見。意気揚々と朝な夕なにたゆみなく観察を続けた。
その数日後には二匹目の幼虫を発見し、我が世の春…いや、夏なのであるが、青虫たちがバリバリと葉を食む音を聞いていると心が安らいだ。
ミス・マープルの『書斎の死体』で、屋形の持ち主である退役軍人が、人に悟られぬよう、猟銃を持って猟場ではなく家畜の飼育小屋に行き、豚たちが無心に餌を食べる様子を見て傷心を癒やす気持ちが、今の私にはとてもよく分かった。
何齢目か、みどり丸(今年の幼虫の名前)の身長を測ったところ4,5㎝に育っていた。
…そろそろではなかろうか、一昨年、二十数匹の食客を育てた私には、何となく直感するものがあった。彼らはサナギになる日が近づくと、突然、旅に出る。
それまで全く知らなかったが、蛹化近い幼虫は、もの凄く歩き回る…いや這い回るのである。
生まれ育った檸檬の樹で大人しくサナギになり、羽化してアゲハチョウの成虫になるのだとばかり思っていたが、令和元年のベランダ栽培でアゲハチョウの幼虫の生態をつぶさに眺めていた私には、分かるのである。
土曜日の朝、みどり丸の身長が3,5㎝に縮んで、私は気が気ではなかった。いよいよサナギになるのである。彼が旅立つ前に、行方知れずになる前に、何とかゲージを完成させなくてはならない。
…というのは、蛹化から羽化への変態の感激を味わいたいこともあるに違いないが、妙なところへ這い出して、不測の事故に遭わせたくない、という親心もあるからなのである。
(一昨年、足元をよく見ずにベランダへ踏み出したサンダルの下で、むぎゅ…という奇妙な感触を得た私のトラウマは、誰にも話したくない)
ベランダからフローリングの室内まで嬉しそうに匍匐前進していたつわものの姿を想い出す。彼のサナギからは、羽化すると思われた日に、まったく違う物体が蠢き出した。
令和元年、我が檸檬樹の二十数匹の食客のうち、無事羽化に至った幼虫は十三匹であった。
自然界は厳しいのだ。
ホームセンターで入手した材料を並べて写真に撮って、出来ますものは…などと解説している場合ではなかった。
虫が知らせる胸騒ぎがしていた。青虫のことを考えると気が気ではなかった。酢牡蠣ではなく気が気ではないのだ。
ひる前に、簡略ながら鉢のまわりに囲いが出来て、何となく安心したものの、お八つ前に様子を見に行ったら、あろうことか、ゲージは何故かバラバラになり、みどり丸1号は、姿を消していた。
決して広くはないベランダのあちこち、キャビネットの裏表、エアコンの室外機の内外まで探し回ったが、幼虫の行方は杳として知れなかった。
失意の私にはしかし、みどり丸(弟)が控えていて、そうだ、もっときちんとした蛹化ゲージをつくろう、と、週明けの昨日、ご近所の日用品量販店にて、シーズン用品、網戸の網を安価で手に入れた。
みどり丸は檸檬樹を蚕食するのに余念がない。
さて、まだ大丈夫かなぁ…と、火曜日の朝、みどり丸の大人しい様子に油断した私は、所用に専心した。昼も過ぎておやつの時間になろうというひと時、ふとベランダに出て見てみると、既にみどり丸の姿が消えていた。
「迷子の迷子のみどり丸やーい!…」
鉦や太鼓で探しに出たい心持ちで、再び私は悄然とベランダに立ちずさんだ。
そうして当家には、網戸の網の筒状のパッケージが残された。
昼下りのベランダに出て、悄然とレモンの鉢を眺める。ビッグバンドに憧れて、タップを踏みながらクラリネットを吹く寄席芸人を目指していたのは昭和60年ぐらいのことだったか。
習いに通っていた吉祥寺の丸石楽器も今はもうない。サンロード向かいにあったバウスシアターももう無い。クローゼ・クラリネット教本から始めて、ジャズのスタンダードナンバーをやりたいんです、という私のわがままを聞いてくださった本田先生は今はどうしていらっしゃるだろう。
昨春から介護施設に入所したまま、コロナ禍に見舞われ帰宅も面接もままならぬ母が飲みたいらしい“大人のカルピス(以前は珈琲が好きだったのに、苦いからイヤと、介護スタッフの皆さまのお手を煩わせているらしい…)”を届けがてら、五日市街道沿いに、コーナンプロ店を発見した私は、ようやく、懸案の蛹化用ゲージを工作するべく、材料を調達した。先週の金曜日のことである。
何かと気落ちすることの多い令和3年度、旧暦の五月五日も過ぎようというある日、レモンの葉陰に幼虫を発見。意気揚々と朝な夕なにたゆみなく観察を続けた。
その数日後には二匹目の幼虫を発見し、我が世の春…いや、夏なのであるが、青虫たちがバリバリと葉を食む音を聞いていると心が安らいだ。
ミス・マープルの『書斎の死体』で、屋形の持ち主である退役軍人が、人に悟られぬよう、猟銃を持って猟場ではなく家畜の飼育小屋に行き、豚たちが無心に餌を食べる様子を見て傷心を癒やす気持ちが、今の私にはとてもよく分かった。
何齢目か、みどり丸(今年の幼虫の名前)の身長を測ったところ4,5㎝に育っていた。
…そろそろではなかろうか、一昨年、二十数匹の食客を育てた私には、何となく直感するものがあった。彼らはサナギになる日が近づくと、突然、旅に出る。
それまで全く知らなかったが、蛹化近い幼虫は、もの凄く歩き回る…いや這い回るのである。
生まれ育った檸檬の樹で大人しくサナギになり、羽化してアゲハチョウの成虫になるのだとばかり思っていたが、令和元年のベランダ栽培でアゲハチョウの幼虫の生態をつぶさに眺めていた私には、分かるのである。
土曜日の朝、みどり丸の身長が3,5㎝に縮んで、私は気が気ではなかった。いよいよサナギになるのである。彼が旅立つ前に、行方知れずになる前に、何とかゲージを完成させなくてはならない。
…というのは、蛹化から羽化への変態の感激を味わいたいこともあるに違いないが、妙なところへ這い出して、不測の事故に遭わせたくない、という親心もあるからなのである。
(一昨年、足元をよく見ずにベランダへ踏み出したサンダルの下で、むぎゅ…という奇妙な感触を得た私のトラウマは、誰にも話したくない)
ベランダからフローリングの室内まで嬉しそうに匍匐前進していたつわものの姿を想い出す。彼のサナギからは、羽化すると思われた日に、まったく違う物体が蠢き出した。
令和元年、我が檸檬樹の二十数匹の食客のうち、無事羽化に至った幼虫は十三匹であった。
自然界は厳しいのだ。
ホームセンターで入手した材料を並べて写真に撮って、出来ますものは…などと解説している場合ではなかった。
虫が知らせる胸騒ぎがしていた。青虫のことを考えると気が気ではなかった。酢牡蠣ではなく気が気ではないのだ。
ひる前に、簡略ながら鉢のまわりに囲いが出来て、何となく安心したものの、お八つ前に様子を見に行ったら、あろうことか、ゲージは何故かバラバラになり、みどり丸1号は、姿を消していた。
決して広くはないベランダのあちこち、キャビネットの裏表、エアコンの室外機の内外まで探し回ったが、幼虫の行方は杳として知れなかった。
失意の私にはしかし、みどり丸(弟)が控えていて、そうだ、もっときちんとした蛹化ゲージをつくろう、と、週明けの昨日、ご近所の日用品量販店にて、シーズン用品、網戸の網を安価で手に入れた。
みどり丸は檸檬樹を蚕食するのに余念がない。
さて、まだ大丈夫かなぁ…と、火曜日の朝、みどり丸の大人しい様子に油断した私は、所用に専心した。昼も過ぎておやつの時間になろうというひと時、ふとベランダに出て見てみると、既にみどり丸の姿が消えていた。
「迷子の迷子のみどり丸やーい!…」
鉦や太鼓で探しに出たい心持ちで、再び私は悄然とベランダに立ちずさんだ。
そうして当家には、網戸の網の筒状のパッケージが残された。