今年の旧暦六月六日は盆の7月15日。
午前中、轟然たる雷鳴とともに滝の如き雨に見舞われた。
コロナ禍下とてお盆の墓参も控えて、三日の間、昭和の頃の精霊棚のしつらえをあれこれ想い出していた。
田舎の8月の旧盆では、仏壇とは別に、奥座敷の床の間へ精霊棚を設けて、家紋入りの吊り提灯のほかに、たくさんの大内行灯を飾る。さまざまな意匠を凝らした回り灯篭が美しい。古典的な具象柄の走馬灯のほかにポップな水玉柄もあって、子どもごころに気に入っていた。家族総出で二十ほどもあった行灯を組立てる。
何の手違いか、電飾で温まっても回らない灯篭がある。
お墓の前には、二本の笹竹を支柱として竹の横木を渡したところへ、彩色を施した盆提灯を三つ下げたのを飾った。各家の墓前がとりどりの提灯をぶら下げていて、旧盆の墓地は賑やかだった。いつ頃からだったろう、そのような風景を見なくなって久しい。
翌16日は閻魔様もお休みで、まさに地獄の釜の蓋があいたような夕焼けであった。
盆の14日に、みどり丸(兄)が旅立つ姿を見せに来たので、弟のことが気に懸かっていた。
長兄たる碧丸が蛹化のために姿を晦ましたのが7月3日土曜日。羽化まで11日と平均より短いような気もするが、蝶の生態に温暖化も影響しているのだろうか。
兄の後を追うように、末弟は三日後の6日火曜日にふっつりと姿を消した。
青虫の兄弟が去った翌日に、私を慰めるかのように青い実を抱いた檸檬が、新しい白い蕾を持っているのを見つけた。有難い。
お盆の13日に花開き、三日目の15日には早くも子房の先が尖って、実を結ぶ予感に心がときめいた。
何よりも、実らなかった一年を隔てて、今年のレモンは標準形…待ち焦がれていたトンガリ君に育っているのも嬉しかった。
もう一匹の碧丸のことは、半ば諦めていた。よしんば、無事成虫になったとしても、その姿にめぐり合えるとは思えなかった。
兄との僥倖が好運過ぎたのである。インクレディブルなお盆の出来事だったのだ。
7月17日、常であれば京都では祇園祭の山鉾巡行で、雷ちゃん(市川雷蔵。私は田坂勝彦監督1958年作『旅は気まぐれ風まかせ』が一番好きな主演映画)のご命日でもある。
梅雨明けの強い朝陽を感じながら、水を携えてベランダへ…
はて、どうしたことか、檸檬の鉢の向こうの、スズラン新三兄弟の上の方に、見えたるぞや…アゲハチョウのようなものが……
!!!
何ということ、兄より小柄なみどり丸(弟)が、ベランダの網目に涼しい顔をして留まっているではないか…!
あわあわと慌てふためき、私は再び携帯を手にし駆け寄った。
母の慌てっぷりに触発されたのか、みどり丸は狼狽えたようにハタハタとせわしなく羽ばたいて、あっという間に網を潜り抜け、蒼天に消えた。
なんという天祐。何という律義な兄弟。
“…孤帆の遠影 碧空に尽き ただ見る 白雲の天際に流るるを”
午前中、轟然たる雷鳴とともに滝の如き雨に見舞われた。
コロナ禍下とてお盆の墓参も控えて、三日の間、昭和の頃の精霊棚のしつらえをあれこれ想い出していた。
田舎の8月の旧盆では、仏壇とは別に、奥座敷の床の間へ精霊棚を設けて、家紋入りの吊り提灯のほかに、たくさんの大内行灯を飾る。さまざまな意匠を凝らした回り灯篭が美しい。古典的な具象柄の走馬灯のほかにポップな水玉柄もあって、子どもごころに気に入っていた。家族総出で二十ほどもあった行灯を組立てる。
何の手違いか、電飾で温まっても回らない灯篭がある。
お墓の前には、二本の笹竹を支柱として竹の横木を渡したところへ、彩色を施した盆提灯を三つ下げたのを飾った。各家の墓前がとりどりの提灯をぶら下げていて、旧盆の墓地は賑やかだった。いつ頃からだったろう、そのような風景を見なくなって久しい。
翌16日は閻魔様もお休みで、まさに地獄の釜の蓋があいたような夕焼けであった。
盆の14日に、みどり丸(兄)が旅立つ姿を見せに来たので、弟のことが気に懸かっていた。
長兄たる碧丸が蛹化のために姿を晦ましたのが7月3日土曜日。羽化まで11日と平均より短いような気もするが、蝶の生態に温暖化も影響しているのだろうか。
兄の後を追うように、末弟は三日後の6日火曜日にふっつりと姿を消した。
青虫の兄弟が去った翌日に、私を慰めるかのように青い実を抱いた檸檬が、新しい白い蕾を持っているのを見つけた。有難い。
お盆の13日に花開き、三日目の15日には早くも子房の先が尖って、実を結ぶ予感に心がときめいた。
何よりも、実らなかった一年を隔てて、今年のレモンは標準形…待ち焦がれていたトンガリ君に育っているのも嬉しかった。
もう一匹の碧丸のことは、半ば諦めていた。よしんば、無事成虫になったとしても、その姿にめぐり合えるとは思えなかった。
兄との僥倖が好運過ぎたのである。インクレディブルなお盆の出来事だったのだ。
7月17日、常であれば京都では祇園祭の山鉾巡行で、雷ちゃん(市川雷蔵。私は田坂勝彦監督1958年作『旅は気まぐれ風まかせ』が一番好きな主演映画)のご命日でもある。
梅雨明けの強い朝陽を感じながら、水を携えてベランダへ…
はて、どうしたことか、檸檬の鉢の向こうの、スズラン新三兄弟の上の方に、見えたるぞや…アゲハチョウのようなものが……
!!!
何ということ、兄より小柄なみどり丸(弟)が、ベランダの網目に涼しい顔をして留まっているではないか…!
あわあわと慌てふためき、私は再び携帯を手にし駆け寄った。
母の慌てっぷりに触発されたのか、みどり丸は狼狽えたようにハタハタとせわしなく羽ばたいて、あっという間に網を潜り抜け、蒼天に消えた。
なんという天祐。何という律義な兄弟。
“…孤帆の遠影 碧空に尽き ただ見る 白雲の天際に流るるを”