今日は待ちに待った五月五日、端午の節句である。もちろんお稽古カレンダー時間で、陰暦でのことである。
…それにつけても、やっぱり…!!日本の風土は月の暦だよね~~と思う。いくら異常気象だ、温暖化だ、気候分布の移行期だ、といわれても、みなさん! 身の周りに、花菖蒲の、すこやかにシュッと恰好よく伸びた、剣のような葉、まっすぐな茎の先に、これまた潔い形で咲いている藍紫の花を目にしませんか?
端午の節句といったら菖蒲が付き物。それは昔も今も変わらない。太陰暦の五月になれば五月雨が降って梅雨入りして、濡れツバメが軒先を低く飛んで行ったりして、ふと眼を上げると樹影にぽっかりと白い、泰山木は夢見て咲いているし…ううむ、美しい。世界のすべてがソフトフォーカス。
古歌にもいう「ほととぎす鳴くや五月(さつき)のあやめ草 あやめ(文目=分別、物の道理)も知らぬ恋もするかな」。
こんなしめじめとした雨の季節だからこそ、想い込んじゃう恋が、熟成されちゃうわけだ。晴天の空にひときわ響くホトトギスの、あのあでやかな声は、曇天の暗い雲の垂れさがったところで聞いたら、ちょっとギョッとする。
♪ぞっとするほど想いの増して…というのは「屋敷娘」の歌詞だけれど、雨で増水して水嵩の増した川みたいに物凄い想い…そんな恋心で理性の堤防が決壊しそうなシーズンが、旧暦の五月なのだ。
そんな鬼気迫り危機迫る季節だから、邪気を払う魔除けの意味もあって、菖蒲を軒下に飾ったり、湯に入れたりしたそうな。たしかに、今時分は、蒸すのに妙に寒かったり、ただでさえ体調を崩しそうな気候だ。
菖蒲革という、ものすごく達者に、抽象的に、菖蒲をデザイン化した文様がある。菖蒲→尚武→勝負と、同音異義語の多い日本語は、二重三重の意味を含ませるのが面白い。…そんなこともあって、武将がこの小紋を好んで身につけた。
十数年前に甲府へ旅行したとき、本場の甲州印伝の、菖蒲革の信玄袋を手に入れた。舞台用の小物入れに使おうと思ったのだ。その頃の私は、とにかく、舞台度胸をつけたかったのだった。演奏は真剣勝負だっ!と、あの頃の私は肩に力が入っていた。観ている側はさぞやつらかったでしょうね…。しゅみましぇんでした。
さて、「あやめ浴衣」。これは長唄の名曲で、唄も、本手も替え手も、みんなが演りたがる。演奏会ともなると、名取はお揃いを着るのでまあ置いておいて、素人衆は、帯が作家ものの菖蒲の絵柄だったり、ツウっぽく凝ってる人は帯揚げが菖蒲の地紋だったりする。常の演奏会とはまた違い、必要以上に衣装にリキが入ってしまうのだ。
本調子→二上り→三下りと、無理のない調子変わりで、それぞれの調子の特徴をよく表した、よくできた飽きの来ないメロディが続く。
歌詞が、また、いい! この曲を習っただけで、安政年間の流行りものの着物や帯結びのスタイル、意匠など、江戸の服飾文化や染織技術に詳しくなってしまうという、魔法のような曲なのだ。それだけじゃぁない。「鬢(びん)のほつれを簪(かんざし)の…」とか「命と腕に堀切(惚れた相手の名前を二の腕に刺青した「彫り」物を入れた意味と、菖蒲の名所・堀切菖蒲園をかけてある)の…」とかグッとくる、イカす言葉の数々。…う~ん、粋でやんすねぇ。
晋子(しんし)という宝井其角の別号を、わけもなく覚えられちゃったりする。
しかつめらしく歴史資料とにらめっこしているよりも、楽しく面白く、江戸時代の豆知識を蓄えられるのである。先代金馬も、浅草の観音様の裏、北国のことを説明するのに「『吉原雀』という教科書に書いてございます」…なんて、言っていたし。
♪五月雨や 傘につけたる小人形 晋子が吟も目の当たり おのが替え名を市中の 四方(よも)の諸君へ売り拡む つたなき業(わざ)を身に重き……唄い出しのカッコいいことといったら…! 初演時に唄方が改名披露した、そのことも歌詞に盛り込まれている。
…それにつけても、やっぱり…!!日本の風土は月の暦だよね~~と思う。いくら異常気象だ、温暖化だ、気候分布の移行期だ、といわれても、みなさん! 身の周りに、花菖蒲の、すこやかにシュッと恰好よく伸びた、剣のような葉、まっすぐな茎の先に、これまた潔い形で咲いている藍紫の花を目にしませんか?
端午の節句といったら菖蒲が付き物。それは昔も今も変わらない。太陰暦の五月になれば五月雨が降って梅雨入りして、濡れツバメが軒先を低く飛んで行ったりして、ふと眼を上げると樹影にぽっかりと白い、泰山木は夢見て咲いているし…ううむ、美しい。世界のすべてがソフトフォーカス。
古歌にもいう「ほととぎす鳴くや五月(さつき)のあやめ草 あやめ(文目=分別、物の道理)も知らぬ恋もするかな」。
こんなしめじめとした雨の季節だからこそ、想い込んじゃう恋が、熟成されちゃうわけだ。晴天の空にひときわ響くホトトギスの、あのあでやかな声は、曇天の暗い雲の垂れさがったところで聞いたら、ちょっとギョッとする。
♪ぞっとするほど想いの増して…というのは「屋敷娘」の歌詞だけれど、雨で増水して水嵩の増した川みたいに物凄い想い…そんな恋心で理性の堤防が決壊しそうなシーズンが、旧暦の五月なのだ。
そんな鬼気迫り危機迫る季節だから、邪気を払う魔除けの意味もあって、菖蒲を軒下に飾ったり、湯に入れたりしたそうな。たしかに、今時分は、蒸すのに妙に寒かったり、ただでさえ体調を崩しそうな気候だ。
菖蒲革という、ものすごく達者に、抽象的に、菖蒲をデザイン化した文様がある。菖蒲→尚武→勝負と、同音異義語の多い日本語は、二重三重の意味を含ませるのが面白い。…そんなこともあって、武将がこの小紋を好んで身につけた。
十数年前に甲府へ旅行したとき、本場の甲州印伝の、菖蒲革の信玄袋を手に入れた。舞台用の小物入れに使おうと思ったのだ。その頃の私は、とにかく、舞台度胸をつけたかったのだった。演奏は真剣勝負だっ!と、あの頃の私は肩に力が入っていた。観ている側はさぞやつらかったでしょうね…。しゅみましぇんでした。
さて、「あやめ浴衣」。これは長唄の名曲で、唄も、本手も替え手も、みんなが演りたがる。演奏会ともなると、名取はお揃いを着るのでまあ置いておいて、素人衆は、帯が作家ものの菖蒲の絵柄だったり、ツウっぽく凝ってる人は帯揚げが菖蒲の地紋だったりする。常の演奏会とはまた違い、必要以上に衣装にリキが入ってしまうのだ。
本調子→二上り→三下りと、無理のない調子変わりで、それぞれの調子の特徴をよく表した、よくできた飽きの来ないメロディが続く。
歌詞が、また、いい! この曲を習っただけで、安政年間の流行りものの着物や帯結びのスタイル、意匠など、江戸の服飾文化や染織技術に詳しくなってしまうという、魔法のような曲なのだ。それだけじゃぁない。「鬢(びん)のほつれを簪(かんざし)の…」とか「命と腕に堀切(惚れた相手の名前を二の腕に刺青した「彫り」物を入れた意味と、菖蒲の名所・堀切菖蒲園をかけてある)の…」とかグッとくる、イカす言葉の数々。…う~ん、粋でやんすねぇ。
晋子(しんし)という宝井其角の別号を、わけもなく覚えられちゃったりする。
しかつめらしく歴史資料とにらめっこしているよりも、楽しく面白く、江戸時代の豆知識を蓄えられるのである。先代金馬も、浅草の観音様の裏、北国のことを説明するのに「『吉原雀』という教科書に書いてございます」…なんて、言っていたし。
♪五月雨や 傘につけたる小人形 晋子が吟も目の当たり おのが替え名を市中の 四方(よも)の諸君へ売り拡む つたなき業(わざ)を身に重き……唄い出しのカッコいいことといったら…! 初演時に唄方が改名披露した、そのことも歌詞に盛り込まれている。
菖蒲浴衣の終わりのほうの、佃の合方です。
菖蒲浴衣は珠玉のメロディぞろいなので、いろんな部分の合方を出囃子で使っているようです。
彦六の正蔵師匠。
テレビやらラジオの放送、皆様のお噂や、本やら雑誌やらの記録世界から伺う数々の伝説で、すっかりよく知っている気になっているのですが、私は寄席でじっくりとお目にかかったことはなく、二次元世界で構築された、いわば副次的幻影の彦六師匠をよく知っているわけなんです。
昭和の60年ごろだったでしょうか、ある時落語のテープを聴きすぎて、白黒のビデオを観たときは「あらヤダ、この人テープと同じ声でしゃべってて気持ち悪い…」と思ったものでした。^^;
そのころの芝居噺は正雀師匠に、代が移っておりました。
早世した志ん八さんが輝いていて、おばちゃまがよくご覧になっていた噺家さんの弟子の時代ですね。
そのころはバブル期前後で、女子が寄席に行くとおしなべて小朝のおっかけと思われていたのが心外でした。そうそう、柳昇ギャルズというのもありましたっけ。
アヤメ、杜若は新暦の五月に咲くので、江戸の「あやめ浴衣」は、花菖蒲のほうですね。
京都の葵祭のころ、上賀茂の大田神社のカキツバタが、とても綺麗でした。