友人がお見合いで結婚を決めたとき、妹さんに「へぇ…誰にでも気の迷いってあるんだねぇ」と言われたそうである。ご安心ください。それから幾星霜、彼女は幸せな家庭を築いておられる。
そんなわけで、私にも気の迷いが生じた5年ほど前、和製ミュージカルの舞台をいくつか観に出かけたことがあったのだが、自分の嗜好の方向性を再確認する思いがけない機会となった。
そこで不思議に感じたのは、客席で聴かれる称賛の感想の多くが「正しい音の高さまで声が出てた」というものだった。
…学校の授業の延長線なのでしょうか、正しい音程で歌っていることに何の意味がある、と言っては極論になるので言い換えるけれども、決して安くはない対価を払って聴きに行くプロフェッショナルの芸能に対する評価が、正しいか正しくないか、それどまりであっていいのだろうか、ということを感じたのだった。
そして、偶々演じている側の意見を聴く場があり、さらに不思議の感を強くしたのだが、日本人らしい真面目さと謙虚さでもって自らの技能を評価する彼らの最終的な結論付けは、まだまだ本場には至らないということだった。
若く美しい肢体を持ったまだ20代の演技者は、あれは本場のミュージカルだからね、と肩を落として言うのだった。
自分が生涯かけようというものの目標があらかじめ諦観で括れる指標であっていいのかなぁ…なんで自分の身体能力・特徴に見合う、そして芸術的高みにまで…そこまでの努力ができるのであるならば、到達することが可能な、DNA最活用の自国の伝統文化に目を向けないのか、そしたら貴方がそれほどの憧憬を持って語る「本場の人」に、それだけでなれるんだょ、そして心的充足感が満ち満ちて幸せになれるんじゃないのかなぁ…と、申し訳ないけれど思ってしまったのである。
絶対音感、という能力がひところもてはやされた。
しかし、その能力は、音楽を左脳で聴いて言語的感覚でラベリングされた音の高低を識別する能力であるので、芸術的感覚を察知する右脳の大脳皮質が著しく後退する、ということが、このところの研究になって分かったそうである。
教養ではなく娯楽として、日本の伝統文化をたのしむ、ということについて述べたい。
…そう思って数年が過ぎたのだが、自分が三味線マシーンである、と断言できるに到る道はわが肉体が滅んでも達成、そして満足できないロング&ワインディングロードなので、なかなか文筆作業にとれる時間がない。
まとまった文章を、と思うから書ききれないのであって、少しづつ新聞小説みたいに書けば、いつの間にか大部の大河ドラマ的小説に到るのだ、と考え直して今日はここでupすることにする。(つづく)
そんなわけで、私にも気の迷いが生じた5年ほど前、和製ミュージカルの舞台をいくつか観に出かけたことがあったのだが、自分の嗜好の方向性を再確認する思いがけない機会となった。
そこで不思議に感じたのは、客席で聴かれる称賛の感想の多くが「正しい音の高さまで声が出てた」というものだった。
…学校の授業の延長線なのでしょうか、正しい音程で歌っていることに何の意味がある、と言っては極論になるので言い換えるけれども、決して安くはない対価を払って聴きに行くプロフェッショナルの芸能に対する評価が、正しいか正しくないか、それどまりであっていいのだろうか、ということを感じたのだった。
そして、偶々演じている側の意見を聴く場があり、さらに不思議の感を強くしたのだが、日本人らしい真面目さと謙虚さでもって自らの技能を評価する彼らの最終的な結論付けは、まだまだ本場には至らないということだった。
若く美しい肢体を持ったまだ20代の演技者は、あれは本場のミュージカルだからね、と肩を落として言うのだった。
自分が生涯かけようというものの目標があらかじめ諦観で括れる指標であっていいのかなぁ…なんで自分の身体能力・特徴に見合う、そして芸術的高みにまで…そこまでの努力ができるのであるならば、到達することが可能な、DNA最活用の自国の伝統文化に目を向けないのか、そしたら貴方がそれほどの憧憬を持って語る「本場の人」に、それだけでなれるんだょ、そして心的充足感が満ち満ちて幸せになれるんじゃないのかなぁ…と、申し訳ないけれど思ってしまったのである。
絶対音感、という能力がひところもてはやされた。
しかし、その能力は、音楽を左脳で聴いて言語的感覚でラベリングされた音の高低を識別する能力であるので、芸術的感覚を察知する右脳の大脳皮質が著しく後退する、ということが、このところの研究になって分かったそうである。
教養ではなく娯楽として、日本の伝統文化をたのしむ、ということについて述べたい。
…そう思って数年が過ぎたのだが、自分が三味線マシーンである、と断言できるに到る道はわが肉体が滅んでも達成、そして満足できないロング&ワインディングロードなので、なかなか文筆作業にとれる時間がない。
まとまった文章を、と思うから書ききれないのであって、少しづつ新聞小説みたいに書けば、いつの間にか大部の大河ドラマ的小説に到るのだ、と考え直して今日はここでupすることにする。(つづく)
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