長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

春の行方ぞ あはれなる

2016年07月02日 09時25分25秒 | お知らせ
 今日は旧暦平成二十八年の五月二十八日で、関東のものは虎が雨が降る日であると、曽我兄弟の仇討に想いを馳せるのでしたが、新暦では七月も二日。
 廻りきてふたたび、夏。
 天神祭が近づいてまいりました。

 一年ほど前、長唄「菅公」のご紹介をいたしましたが、なんとうれしや、久方ぶりにみなさまのお耳にお届けできる機会が廻ってきたのです。
 来る七月五日、つまり来週の火曜日。
 東京は三宅坂・国立劇場にて長唄協会主催の夏季定期演奏会がございます。
 11時半開演にて一日中、長唄各流派の演奏がお愉しみただけます。当社中も出演いたします。
 「菅公」は12時半ごろの出番となります。

 作曲は三世杵屋勝吉(杵屋徳衛の母方の祖父)、作詞は同項でご紹介いたしましたように、鶯亭金升(おうてい・きんしょう)、作調は梅屋金太郎師で、今回のお囃子は金太郎師御弟子筋の梅屋勝六郎先生がご一緒してくださいます。


   難波津に 咲くやこの花 冬ごもり
         今を春べと 咲くや この花

 応神天皇の御代に百済から来朝した王仁(わに)が詠んだとのこの歌、この時代では花といえば桜ではなく、梅のことを指したのである…と、昭和の中学生は学校で教わったのでした。

 東京にも湯島、亀戸、谷保…と数多くの天神社、天満宮がございます。
 北野天満宮は、いつぞやの夏だったか、境内で梅実の土用干しをしている場に居合わせたことがある、京都に往くたび赴く大好きな場所でもあります。
 しかしこの時期、ことに夏祭といえば、やはり、大阪の天満宮のご祭礼でありましょう。

 歌舞伎に傾き倒していた私が、義太夫の床とは別に、人形浄瑠璃・文楽の魅力に開眼したきっかけは、十数年前に観た「夏祭浪花鑑」での桐竹勘十郎as団七九郎兵衛の人形でした。歌舞伎では殺し場自体が見せ場であるのですが、私が驚嘆したのは、勘十郎さんが遣う団七が、尊属殺人を犯した後、身支度をして凶行現場から逃げ去る、その一連の所作の凄さでした。
 自分がしたことへの恐怖、おののきを、人間が演じる以上に観るものに伝え、その感情へ巻き込む表現力。
 義太夫を聴くために文楽に通っていたのですが、あの瞬間から私はまた違う感銘を人形浄瑠璃から享受したのです。

 実は、杵屋徳衛の父・松永鉄造(前名・和三之助。昭和の一時代を風靡した唄方・松永和風の弟子)の、江戸からの父祖の墓は大阪・谷町にあります。
 
 そのような所縁も含めまして、一生懸命勤めます。


 さて表題の「はるのゆくえぞ、あはれなる」は、と申しますと「菅公」の前半部分、菅原道真公の御詩を引用した
 
   ♪都府楼はわずかに瓦の色を見 観音寺はただ鐘の声を聴く

 のあとに続く詞章です。大宰府に配流された菅公の御身の上を季節の移ろいになぞらえて…  
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