比較的若い世代の、伝統芸能ファンらしき方の口から、歌舞伎や文楽のアウトローの気持ちが全然わからない、まるっきり共感できたためしがない…というご意見を伺って、ちょっとびっくりした。
いや、物凄くびっくりした。だってもともとお芝居なんて、堅気じゃない人間のお話しだもの。
そもそもが寄る辺なき浮草稼業の、漂泊の民が紡ぐ幻の世界なんですょ。
いまCSで再放送しているので、ついつい見てしまうのが、笹沢左保原作、市川崑劇場の「木枯し紋次郎」である。リアルタイムで見ていた小学生の私は「誰かが風の中で」待っている、待っていてくれている、というあてどないテーマ曲が、途轍もなく好きだった。
いま見返してみても、エンディングの芥川隆行の「…天涯孤独の紋次郎、なぜ無宿渡世の世界に入るようになったのかは、定かでない」というようなナレーションを聞くたび、言い知れぬ気持ち…切なさと悲しみとなつかしさとが綯い交ぜになったような感情が、鳩尾の底の方からじんわりとわき上がってきて、泣きたくなる。
自分は木枯し紋次郎に憧れてなぞいないが、その境涯に反して、純粋無垢、純情、愚直とも思える心根の美しさ、潔さに同居する臆病さが好きであった。
そして彼の不幸かもしれない末路に居合わせることなく、あてどなく旅を続けていく=現在進行形で生きてゆくところを、ブラウン管の外から眺めているのが好きであった。
自分は木枯し紋次郎のようになりたくはないが、ひょっとすると、自分は木枯らし紋次郎なのかもしれなかった。
夕暮れ時に、自分の帰る道を見失ってしまった幼子のように、あの街この町日が暮れて、だんだんおうちが遠くなって…結局、人間はこの世に在ってはたったひとり、身内が居ようとも居まいとも、天涯孤独であるに違いはない。
アウトローならもう一人、日曜夜7時半からテレビ放送の、カルピス子ども劇場ムーミンのスナフキンが子供心にたまらなく好きだったのだけれど、あのお人も漂泊の旅人どすなぁ。
山あいに大きな太陽が沈む。残映に顔の半分を照らされながら峠の道で、ぽつん、と、独りで居たい。
すっかり闇に包まれた遠い街の明かりを眺めながら、どうしようもない孤独感に心を浸す。
そんな風情でもって胸に迫ってくる物語と受けとめることができるのは、前世紀の人間だけかもしれない。
そうなると、子母澤寛や長谷川伸の、あのとほんとしたうら悲しい世界観の面白さも、当世風ではないのだろうなぁ…
幼少期から思春期を〈戦争〉という恐ろしい時代に生きた、昭和一ケタ世代の両親に育てられた私は、自分が存在する揺るぎのない世界・価値観というものが、あるとき突然、足許から崩れ去る恐怖というものを、血脈の底に備えられて育ったのかもしれない。
戦後、日活や大蔵映画のギャングもの、東映がチャンバラからヤクザ映画へと路線変更していった時代を、映画史的側面でしか考えたことがなかったけれども、私が子供だった昭和時代、どうしてあんなにヤクザ映画が流行ったのだろう…と、改めて考えてみる気になったのは、そんな若き演劇ファンのご意見を耳にしたこの春のことだった。
昭和のアウトロー映画、あれは、戦争という惨たらしい目に遭って、戦後グレてしまった人たちを安んずるための、慰撫の世界なのである。
昨日まで学校の先生が教えてくれたことは、全部嘘っぱちのダメダメで、今日から忌み疎むべきものであった事どもを第一と奉って生きていかなくてはならない。
信ずるに足るものは何一つなくて、茫然自失の態を慰めてくれる心の拠り処となる家族さえも失って、不貞腐れた挙句、皆がグレちゃったのだ。
昭和の頃やはり物凄く流行ったものの一つにハードボイルドというものがあり、それもすっかり廃れてしまったけれども、アウトローの、やはりやせ我慢をする男の物語なのだ。
そして損得勘定に長けて変わり身が早い21世紀風渡世人でないことは明らかなのだ。
一億総火の玉となって、燃え尽きたかと思われた日本の国民は、1945年の8月をもって、その催眠状態から解放され、一億が総じてグレたのである。
一億総グレ入り、でもあったかもしれない。何から何まで真っ暗闇で筋の通らぬことばかり…と鶴田浩二も唄っていたから。
戦後新たな目標を見つけて、一億総白痴化したりもしていたのだが、
一億総アウトロー化したりしなかったりで、心の傷を癒していたりしているうちに、時代は変わって…
いまや一億は総活躍…少年ジャンプのヒーロー祭でしょうか…オラたちは…泣く子と地頭には勝てぬ、と古へにも申しますが、公と称する大義名分の下に無闇矢鱈と税金を取り立てて、ご自分たちの私利私欲に正直な方々のいいように…小手先で使われるために、生きてるわけじゃないのだ。
一億総…に続く言葉は、グレ、だったのが、20世紀のお芝居世界だったのです。
20世紀と21世紀には、貫く棒のようなものも存在するのかもしれないけれど、時代は推移し、どうしてこんなに変わっちゃったのかなぁ…という話を、改めて続けたいと思います。
いや、物凄くびっくりした。だってもともとお芝居なんて、堅気じゃない人間のお話しだもの。
そもそもが寄る辺なき浮草稼業の、漂泊の民が紡ぐ幻の世界なんですょ。
いまCSで再放送しているので、ついつい見てしまうのが、笹沢左保原作、市川崑劇場の「木枯し紋次郎」である。リアルタイムで見ていた小学生の私は「誰かが風の中で」待っている、待っていてくれている、というあてどないテーマ曲が、途轍もなく好きだった。
いま見返してみても、エンディングの芥川隆行の「…天涯孤独の紋次郎、なぜ無宿渡世の世界に入るようになったのかは、定かでない」というようなナレーションを聞くたび、言い知れぬ気持ち…切なさと悲しみとなつかしさとが綯い交ぜになったような感情が、鳩尾の底の方からじんわりとわき上がってきて、泣きたくなる。
自分は木枯し紋次郎に憧れてなぞいないが、その境涯に反して、純粋無垢、純情、愚直とも思える心根の美しさ、潔さに同居する臆病さが好きであった。
そして彼の不幸かもしれない末路に居合わせることなく、あてどなく旅を続けていく=現在進行形で生きてゆくところを、ブラウン管の外から眺めているのが好きであった。
自分は木枯し紋次郎のようになりたくはないが、ひょっとすると、自分は木枯らし紋次郎なのかもしれなかった。
夕暮れ時に、自分の帰る道を見失ってしまった幼子のように、あの街この町日が暮れて、だんだんおうちが遠くなって…結局、人間はこの世に在ってはたったひとり、身内が居ようとも居まいとも、天涯孤独であるに違いはない。
アウトローならもう一人、日曜夜7時半からテレビ放送の、カルピス子ども劇場ムーミンのスナフキンが子供心にたまらなく好きだったのだけれど、あのお人も漂泊の旅人どすなぁ。
山あいに大きな太陽が沈む。残映に顔の半分を照らされながら峠の道で、ぽつん、と、独りで居たい。
すっかり闇に包まれた遠い街の明かりを眺めながら、どうしようもない孤独感に心を浸す。
そんな風情でもって胸に迫ってくる物語と受けとめることができるのは、前世紀の人間だけかもしれない。
そうなると、子母澤寛や長谷川伸の、あのとほんとしたうら悲しい世界観の面白さも、当世風ではないのだろうなぁ…
幼少期から思春期を〈戦争〉という恐ろしい時代に生きた、昭和一ケタ世代の両親に育てられた私は、自分が存在する揺るぎのない世界・価値観というものが、あるとき突然、足許から崩れ去る恐怖というものを、血脈の底に備えられて育ったのかもしれない。
戦後、日活や大蔵映画のギャングもの、東映がチャンバラからヤクザ映画へと路線変更していった時代を、映画史的側面でしか考えたことがなかったけれども、私が子供だった昭和時代、どうしてあんなにヤクザ映画が流行ったのだろう…と、改めて考えてみる気になったのは、そんな若き演劇ファンのご意見を耳にしたこの春のことだった。
昭和のアウトロー映画、あれは、戦争という惨たらしい目に遭って、戦後グレてしまった人たちを安んずるための、慰撫の世界なのである。
昨日まで学校の先生が教えてくれたことは、全部嘘っぱちのダメダメで、今日から忌み疎むべきものであった事どもを第一と奉って生きていかなくてはならない。
信ずるに足るものは何一つなくて、茫然自失の態を慰めてくれる心の拠り処となる家族さえも失って、不貞腐れた挙句、皆がグレちゃったのだ。
昭和の頃やはり物凄く流行ったものの一つにハードボイルドというものがあり、それもすっかり廃れてしまったけれども、アウトローの、やはりやせ我慢をする男の物語なのだ。
そして損得勘定に長けて変わり身が早い21世紀風渡世人でないことは明らかなのだ。
一億総火の玉となって、燃え尽きたかと思われた日本の国民は、1945年の8月をもって、その催眠状態から解放され、一億が総じてグレたのである。
一億総グレ入り、でもあったかもしれない。何から何まで真っ暗闇で筋の通らぬことばかり…と鶴田浩二も唄っていたから。
戦後新たな目標を見つけて、一億総白痴化したりもしていたのだが、
一億総アウトロー化したりしなかったりで、心の傷を癒していたりしているうちに、時代は変わって…
いまや一億は総活躍…少年ジャンプのヒーロー祭でしょうか…オラたちは…泣く子と地頭には勝てぬ、と古へにも申しますが、公と称する大義名分の下に無闇矢鱈と税金を取り立てて、ご自分たちの私利私欲に正直な方々のいいように…小手先で使われるために、生きてるわけじゃないのだ。
一億総…に続く言葉は、グレ、だったのが、20世紀のお芝居世界だったのです。
20世紀と21世紀には、貫く棒のようなものも存在するのかもしれないけれど、時代は推移し、どうしてこんなに変わっちゃったのかなぁ…という話を、改めて続けたいと思います。
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