自宅と道志の日々

タイトルを「自宅と道志の日々」にしました。日記のようにつぶやいています

無縁・有縁・疎遠・絶縁とは

2023年04月23日 | なかま道志ベース

よく「無縁」という言葉が使われます。内容はご承知のとおりです。

1つ目は「全く関係がないこと」という意味で、自分に関係が無く知る必要性もない人やものごとのことを言います。

2つ目は「縁戚・縁者がいないこと」という意味で、家族や親戚など、血縁関係がある人がいないことを言います。

3つ目は、仏教用語で「誰の為ということがなく平等であること」「仏や菩薩との因縁がないこと」という意味です。そう言えば「無縁仏」なども有りました。

「無縁」の「無」は「ない」と読み「何もないこと・存在しないこと」という意味です。「縁」は「ゆかり」とも読み「仏教用語でものごとの間接的な原因」「めぐり合わせ」「きっかけ」「血縁関係」「他人との関わり」「日本家屋での縁側」という多くの意味があります。

その無縁の反対語(対義語)は「有縁」(うえん)と言います。そう言えばそのとおりで「無」の反対は「有」ですよね。

ある時、お寺の住職が使っていた言葉でした。

寺の有縁(うえん)の方々と・・・。普段使わない言葉でしたので印象に残りました。

「関係性があること」「仏教用語で仏と縁を結んでいること」という意味のようです。

そう言われれば、なんとなく理解もいたします。

ブログでも何かの「縁」で、つながり同調すれば「いいね!」をポチっとします。無縁であればスルーするだけです。これが続ければ「有縁」になるのでしょう。

似た意味を持つものに「疎遠」(そえん)と「絶縁」(ぜつえん)もあります。

疎遠と絶縁の使い分けです。

疎遠と絶縁という言葉は、どちらも人と人の関係が途絶えている状態を表しますが、意味や使い方には違いがあります。

疎遠とは音信や訪問が途絶えていることを意味し、故意に避けているわけではなく環境の変化などで交流が途絶えることを表します。

一方、絶縁とは縁を絶ち切ることを意味し、価値観の相違や嫌悪感から意識的に関係を断ち切ることになります。

つまり、疎遠は意図せずに交流がなくなること、絶縁とは意図的に交流しないことなのです。

さらに絶縁にはこの意味から、電気工学の用語として、電気や熱の伝導を絶つことの意味も持っていました。「絶縁抵抗計」「絶縁測定」「絶縁シート」はここから来ているのでしょう。

疎遠という言葉の「疎」は人と人との関係にすきまがあることや、親しくしないことを表し、「遠」とは空間的や時間的に隔たりがあることや、遠ざけることを表します。

疎遠とは遠ざかって関係が薄いことや、行き来や文通が絶えて親密さに欠けることを意味する言葉なのですね。

今や、ライフステージが変わって繋がりが少なく無くなり、価値観が変わって自然と連絡を取らなくなったりすることも多くあります。以前は親類縁者が集まったり、またサークル活動も縁のある方(趣旨に同意する方)が集まった趣味のグループも多くありました。

私の近くでも、町内会は入らないとか、趣味のグループもだんだん人が集まらずに解散に追い込まれているのを目のあたりにしています。

それより多少お金を払ってもスポーツクラブや脱会の自由なカルチャー教室に通う方も多くいます。

逆に過疎になる村では、選挙など熾烈な戦い?となるようです。いかに有縁(知り合いや親族)が大事な票につながるのでしょう。今日の東京地方(私どもの地域)は市長と市議選の投票日です。きっと、現職が強いかと思いますが・・・。

家族であっても、付き合いや知り合い、信条が異なりますので、それぞれの方に投票しています。私は市長選挙の受付で「棄権」しますと伝えました。両候補とも私の考え方に合わないからです。白票ではありません。自分の意志での棄権です。

選挙受付の担当者はキョトンとして、「棄権」ですか?とたずねてきました。珍しいのでしょうね。特に、最高裁裁判官の投票はどんな方かも分かりませんので、白票では認めたことになりますので、いつも「棄権」しています。

公共性の強い集まり(会は)、PTAも含めて役員になったり、時間を自由に選べなかったりで不人気の理由の一つなのでしょう。

道志村のことは良く分かりません。だいぶネットなどで取り上げられているようです。

したがって、きわめて関係が薄いことを意味する「縁遠い」、電話や手紙などによる連絡が何もないことを意味する「音信不通」、長らく訪ねなかったり便りをしないままでいたりすることを意味する「ご無沙汰」などがあります。

手紙やメールにも、「ご無沙汰しております」が増えて来た私です。

これも致し方が無い事実かも知れません。生活様式の変化はいつからかは分かりませんが、「無縁」になったり、「疎遠」から訳けあって「絶縁」状態になったりもあります。

3~4年前に発生した新型コロナで、集団行動などが抑制され結婚式も葬儀も以前とは異なりました。遠くから親類縁者が集まるのも内輪でとなり、葬儀では家族葬が今や主流と言えるようになりました。

これはこれでどちらも負担が少なくなり、一つの方法かなとも思います。

「無縁」の反対語(対義語)は「有縁」(うえん)をご紹介したかっただけです。

ブログの縁で、みなさんのところへお邪魔していますが、それぞれに個性があって楽しく拝読しております。

 

Hiro