ナカナカピエロ おきらくごくらく

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

無心

2016-04-09 21:29:51 | 日記
無心

女はいつも私の心の暖かさよりも、私の懐の金に無心だった。来る女、来る女、全てが自分の身体を投げ売り、舌の口を動かすよりも、下の口の会話を求めてきた。私はいい加減うんざりしながらも、懐の金をばらまいていた。私が、女にはそういう方便しかできない男だからである。そいういう意味では、女の方が賢く、私の方が惨めであることに疑いはなかった。
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2016-04-09 21:16:08 | 日記


池の中にするりと溶け込むように鯉は泳いだ。時折、床の間の掛軸に肉薄し、そのまま乗り移って和紙のすき間に滑り込むのではないかしらと思うぐらい、池の水をかき乱しながら、夜は月夜に照らされて、その鱗を虹色に変えながら、池に棲んでいた。
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表現

2016-04-09 19:42:35 | 日記
表現

最近は情報やデータが世界中に溢れている。それもコンピュータ上に。さすればそれらを手っ取り早く入手する手段が欲しくなる。それら混沌とした正規化されていないデータの検索・収集方法も整備されつつある。ビッグデータを扱うソフトウェアである。片や検索・収集されたデータを統計学的手法等、様々な手法で分析するソフトウェアまで登場してきている。何れ分析したデータから意思決定を行うソフトウェアなども整い始めるだろう。もはや人間など入り込む余地などないのかもしれない。コンピュータを操作しているようで、実はコンピュータの下僕と化しているのである。
唯一人間に残されているものは何であろうかと考える。それは表現という行為かもしれない。発想やひらめき、芸術などであろう。それらは意外性に富み、時に人の心に深く刻み込むものであろう。
私のような片やコンピュータの世界に足を突っ込み、片や自称詩人と称し文章やらイラストやらで表現を志す中途半端な立ち位置にいるものは、いっそのこと表現というものの中にどっぷりと浸かって、それら人間的なものの中にまみれたいという願望が湧いてくる。デジタルな世界は世界で進めばよい。それを眺めるのは一興であろうが追いまわすのは少々疲れた。それよりもアナログな世界にどっぷりと浸かって、自己の世界を表現し追及する側にまわりたいものである。バランスの問題なのか。どちらでもよい。
時に表現は情報を遮断して眼を瞑り、暗闇の中から生まれ出てくるものである。暗闇の産道を通って赤子が生まれてくるように。今、私は表現に飢えている。そして表現をはらみたいのである。
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4月8日(金)のつぶやき

2016-04-09 03:32:30 | 日記
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一日に一個の宝石

2016-04-09 01:57:41 | 日記
一日に一個の宝石

毎日毎日生きている中で、一日何か小さなことでも一つ発見があれば、それは一日一個宝石を見つけたことにはならないだろうか。そんな毎日を過ごすことができたなら、人生は宝石でいっぱいになるのではないだろうか。私はそんな毎日を過ごせたらと思う。

人生五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。私もそれそろ夢幻の時の終わりに差しかかっている。もう十分だという気持ちもある。夢幻にしては一刻一刻は濃密な人生だったと思う。たとえ夢幻が醒めたとしても、それが何になろう。

人生ははかない。それがゆえに美しい。
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曇りガラス

2016-04-09 01:56:03 | 日記
曇りガラス

今日はやんごとない理由により、会社を休まざるを得なかった。昨日対応した原価コード変更については、上長にメールと電話で話して継続対応してもらった。予定していた製品化の説明会もリスケせざるを得ない状態となったこと、担当の方々に申し訳ないことをした。また関連会社で長年一緒にお仕事してきた人たちの壮行会にも欠席せざるを得なかった。一段と精神的疲労がさらにひどくなった。
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