表現
最近は情報やデータが世界中に溢れている。それもコンピュータ上に。さすればそれらを手っ取り早く入手する手段が欲しくなる。それら混沌とした正規化されていないデータの検索・収集方法も整備されつつある。ビッグデータを扱うソフトウェアである。片や検索・収集されたデータを統計学的手法等、様々な手法で分析するソフトウェアまで登場してきている。何れ分析したデータから意思決定を行うソフトウェアなども整い始めるだろう。もはや人間など入り込む余地などないのかもしれない。コンピュータを操作しているようで、実はコンピュータの下僕と化しているのである。
唯一人間に残されているものは何であろうかと考える。それは表現という行為かもしれない。発想やひらめき、芸術などであろう。それらは意外性に富み、時に人の心に深く刻み込むものであろう。
私のような片やコンピュータの世界に足を突っ込み、片や自称詩人と称し文章やらイラストやらで表現を志す中途半端な立ち位置にいるものは、いっそのこと表現というものの中にどっぷりと浸かって、それら人間的なものの中にまみれたいという願望が湧いてくる。デジタルな世界は世界で進めばよい。それを眺めるのは一興であろうが追いまわすのは少々疲れた。それよりもアナログな世界にどっぷりと浸かって、自己の世界を表現し追及する側にまわりたいものである。バランスの問題なのか。どちらでもよい。
時に表現は情報を遮断して眼を瞑り、暗闇の中から生まれ出てくるものである。暗闇の産道を通って赤子が生まれてくるように。今、私は表現に飢えている。そして表現をはらみたいのである。