学校教育の場で、部活を同時に行うことの意味合いは何だろうか。
学校の趣旨と、子供の要望及び親の要望に食い違いはないだろうか。
ちょうどよい考えというのは今の時代なかなか居なくなった気がする。
両極端で、勝利主義か放置状態。
勝利主義は、実施する子供が一致団結して日ごろの生活の中から本命の大会を目指して、多くの部員の同じ気持ちの元、限られた時間の中で制約のある日々の中で時間を工面し、工夫し、短い時間で目指すものではないだろうか。
たくさんの時間を要し、多くの子供の時間を食いつぶし、勉強する時間もなく、ケアーに充てる時間もなく家族でコミュニケーションを取る時間もなく、部活に追われ3年間を過ごすことがその先を見たときにどうなのか?
学校時代に、自分の人生設計を行い、将来なりたい自分の方向性を見つけ進むべき道を見つけ、努力をすることもかなりのウエイトを占めているのではないだろうか。
私は、学生が練習に充てる時間は2時間もいらないと思っている。
24時間を割り振りして、自分の時間割を作ってみるとよい。
その中で削れるものは大概睡眠時間になってくるのである。
子供のうちは、食う、寝る、遊ぶ、学ぶをバランスよくすることを心がけ、何かに一極的に時間を割くというのは避けるべきである。
今やらなければいけないことを取り組み、先でもできることは先でもよいと思う。
部活にこだわらず、いろいろなことをすることもありだと考える。
学校では必ず部活に入るという時代もあったが、今時そんな強制的なことはできないはずだし、勉強する子は塾に行きたいはずである。
学校という意味は、価値観は、徐々に薄れつつある。
AIが普及すれば、学校授業も先生でなくてもできる時代が来る
学校は何を教える場なのか、これからは危機感をもっていないと身を切られることになりかねない。 . . . 本文を読む