小雨の朝でした。
ひめちゃんとタバサねーちゃんは、貧乏カッパでお散歩です。
でも午前中に雨が上がり、お日様が出てきました
ひめちゃんは、外のお部屋で日向ぼっこです。
タバサねーちゃんは、まだ小屋の中に籠もってます。
暑がりタバちゃんなので、日向ぼっこは余りしないかな?
ムーハウスガーデンに、日本水仙が咲き始めました
地味だけど、懐かしい花です
11月4日、日陰の虚空蔵大杉を後にします。
信号・深山を左折して、県道157号線に戻ります。
振り返って深山の信号です。
沼田に行けるのかな
前方には、子持山です。
あの突き出た岩、獅子岩というそうです。
ハチミツ屋さんで教わりました
渡る川は沼尾川、渡る橋は日陰橋です。
バス停・日陰橋があります
スーパーやコンビニはなくとも、バス停があっていいなあ
最低限の足が確保されているって、大事なことです。
合併当時の村政の担当者のみなさんは、住民の足の確保を忘れなかったのです。
同じ勢多郡でも、新里村はダメでした
向こうの桐生市(元の桐生市)に行くと、かわいい市バスが走っています
ほとんど乗ってる人はいないけど
県道157号線を帰ります。
川の向こうに、切り立った崖のような風景です
今思うと、カスリン台風の大雨による土石流が流れ下った跡だったのでしょう。
大きなカーブの所にお地蔵様です。
初めて寄ってみます。
台石には、合掌ですって
祈りを籠めて建立されたのです。
隣に碑がありますけど、判読不能
とりあえず、合掌
ここの橋は年丸橋です。
橋の上からの風景です。
広い川幅です。
あれ、向こうに赤い鳥居が見えます
十二宮です。
道の上から、とりあえず合掌
お地蔵様のところへ戻ります。
隣には、大きな道祖神です
左の文字は、特徴的です
遺族者名簿
野の花が、お地蔵様に似合います
もしかして、ここのカスリン台風による大雨の被害で犠牲になった人々の供養碑かな?
あらためて、合掌
後で検索すると、やはり、お地蔵様の隣の碑は、カスリン台風による大雨の土石流による犠牲者の慰霊碑で、当時の赤城村村長の碑文が記されているだということです。
昭和54年(1979)9月15日、33回忌に建立されたのです。
この時は、新里村も天神川と鏑木川が氾濫し甚大な被害があったと言うことです
死者もいたと言います
それでは、『新里村誌』にもあるでしょう
あれえ、カスリン台風の「カ」の字ありません
天神川と鏑木川が氾濫し、甚大な被害を受けた場所は、山上でしょう
天神川は何時の間にか蕨沢川と名を変え、山上城の東を流れます。
鏑木川は、山上の北から南に向かって流れてます。
ひめちゃんたちがよく行っていた東の牧場付近、深いえぐり取られたような川底です
新里というか、山上には、災害の記憶を語り継ぎ言い継ぎ行く意識はないみたいです
旧赤城村と同じ旧勢多郡なのに