ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を北に出る道に入ります。
初代黒柴犬・三四郎とお散歩を始めて20年来のコースでした。
ひめちゃんが、2度足に怪我をして、それ以来カーブミラーの向こうには行ってません。
この先に、何時の頃からかミニカーのサーキット場ができて、県外ナンバーの車が押し寄せた時期もありました。
最近は、来てないみたいだね。
真っ直ぐ行きたいけど、ミラーの所を曲がります。
赤柴の老犬・プーちゃんの前を通ります。
プーちゃん、換毛がだいぶ進んですっきりしてきてるね
プーちゃんちの西を通って帰ります。
赤城山の上に、長ーい横曇です
たわわに実を付けたのに、刈り取られない稲穂が悲しいね
『上州坪弓老談記(じょうしゅうつぼゆみろうだんき)』を読んでいて、五十子陣(いかっこのじん)が気になりました。
五十子陣跡は、だいぶ前に訪問してあります。
でも、久しぶりに行ってみるのもいいかな
11月28日、本庄市の五十子陣跡に出かけました。
国道17号線沿いのてんぐ茶屋の側に、本庄カルタがあって、ここが五十子陣跡である事を示していました。
たしか、店の向こう側にありました。
ありました
でも、劣化が過ぎて読めない
側に、「五十の陣跡説明板⇒」です
建物の奥に誘導しています
矢印に従って行くと、公園のようです
もしかして、てんぐ茶屋の裏
風景の中に埋没しそうな雰囲気で、説明板がありました
「五十子陣跡~戦国時代の始まりの地~」とあります。
いろいろ詰まった説明板です。
分割して確認しましょう
まず、この陣跡についてです。
五十子陣は、15世紀後半の享徳の乱にあたって築かれた上杉方の陣地です。陣地の中心は、現在の東五十子字城跡付近だと考えられ、台地突端の高低差と複数の河川による防衛線という自然地形を巧みに利用した陣でした。ここから東へ50キロメートル離れた古河に拠点を移し、古河公方となった足利成氏と利根川を挟む形でにらみあう形になったため、東や北からの攻撃を考えて五十子の地を選択したようです。
年表で、時代を確認です。
確かに戦国時代の始まりの時です
上杉片と古河公方方の勢力図です。
上野国山上は、関東管領上杉方の勢力範囲です。
東のギリギリですけど。
五十子の陣は、上野国山上から、ほぼまっすぐ南です
五十子陣の推定現在地です。
五十子陣は、国道17号線によって分断されてしまってます
女堀川、上州の女堀と違って通水しています。
ちょっと気になる川です
後ろに流れるあの川は、女堀川です。
女堀川は、今も、五十子陣跡の北を流れています
公園(?)から細いながらも、てんぐ茶屋の駐車場への道がありました
てんぐ茶屋でランチをして、帰ります
(つづく)