ひめちゃんとタバサねーちゃんは、久しぶりに堀之内を北に出ます。
沼下のひまわり、どうなったかな?
ひまわりは、しっかりタネが出来てます
岩神沼まで、足を延ばします。
あれ、あそこにいるのはアオサギさんです
しばらく姿を見なかったけど、ちゃんと生きていたんだね
そーっと静かに沼に近づきますけど、彼(?)は、弾丸のように低空飛行で飛び去っていきました。
コラボしたかったのにね
残念。
沼には逆さ赤城も映ってます
暑くなってきたので、帰りましょう。
また、沼下のひまわり畑を通ります。
来年も、逢えそうだね
8月11日、利根川の北の埼玉県、妻沼小島のひまわり畑を散策して、押切方面(群馬県)に戻ります。
さっき、観音霊場・第16番札所の矢印を見たような
ありました。
細道を慎重に入ります。
地域の集会所(押切町集会所)があります。
ちょっと駐車して、奥のお寺を訪問です。
そんなに広くはなさそうです。
でも、鳥居がある
鳥居の反対側には、お地蔵さまがいっぱいです。
こんにちは
鳥の奥は、すごいお墓です
あの中島知久平邸の中島家のお墓です。
一般庶民は、とても鳥居をくぐれません。
スルーして、本堂で合掌
お盆についての案内があります。
教王寺が兼務してるんだ。
教王寺は、高山彦九郎家の菩提寺ですよね。
大悲山観音院徳性寺なのですね。
焼けたのではないけれど、何度も修復しているようです。
左手に目立つ御堂があります
ここが観音堂です。
ここに霊場本尊の観音様がおいでです
教王寺で御朱印でるかな?
とりあえず、合掌
観音堂の裏手(西)には、神社があります。
本殿もりっぱです
拝殿も、銅葺きの屋根で、それなりです。
三社神社です。
拝殿で2礼2拍1礼です
桜の季節はいい雰囲気かも
鳥居の額は「三社宮」です。
鳥居を出て、徳性寺の境内に戻ります。
りっぱな石造物があります
信仰厚い人々に支えられていたようなのに、どうして無住になってしまったんだろう?
『ぐんまのお寺 真言宗Ⅰ』(平成13年、上毛新聞社)に、徳性寺(とくしょうじ)ありました。
境内にある観音堂には十一面観音が安置されている。この十一面観音は、「子安観音」、また霜除けを祈願したことから「霜よけ観音」とも呼ばれている。この観音堂は、宝永五年(1708)山田郡西小倉村崇禅寺の堯観道人が邑楽・新田・山田三郡の観音応現の霊場を調査し、板東三十三番札所を写して、新たに三十三番札所を設定した「東上州三十三番札所」の第十六番札所である。
御利益のある観音様なのですね
細谷教王寺の末寺とあります。
三社神社についても記載があります
なお、境内に隣接して、三社神社があるが、元亀二年(1571)の創建と伝える古社である。社伝によれば、押切は往古、岩松郷の東南に開けた村であったが、利根川の洪水によって押し切られ、親村から分離したことから押切村と呼称するようになったという。
押切(おしきり)は、利根川の洪水に押し切られた村だったのです。
北の方の細道を通り帰りました。
親村・岩松を通って県道142号線に出ました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます