両親の頑張らない介護 ~日々のつぶやき~

継父令和2年7月他界、実母要介護4在宅で介護中、義父平成30年4月他界、義母要支援1施設入所

実兄来る

2011年05月11日 | はじめに
今日、母の実兄が来ました。おばさんも一緒です。
2時間の滞在でしたが、会えて良かったと思います。

母は実兄に対して、幼少期からのトラウマがあるようで、
恐怖心でいっぱいです。

母「兄は怒った顔しか思い浮かばないぐらい、よく怒ってた。
   おっかないよ~~、鬼みたいだったもんね。
   だから早く家から出たかったもんね」


と来る前に話していました。

なので来る事に対してかなりの警戒。
今朝なんか、来ることを話すと黙り込んでしまいました。

でも、来ると、

おじさん「分かるかな?俺、わかる?覚えてる?」

母「分かるよ、兄貴だわ!!」

おじさん「分かる!!すごいじゃん!!びっくりするぐらい元気になって。
    しゃべれるじゃん。よかったね」


おばさん「私・・・分かるかな・・・」

と控えめに聞くと、

母「分かるよ!!○○さん(おばさんの名前)」

おばさん「やだ~~~、嬉しいね」

と言って声を詰まらせていました。

おじさんも見ると涙目。


みんなで席に着き、お茶を飲みながら色んな話をしました。
想像していたより、母の回復にはかなり驚かれていました。

あと、家の玄関・門周り、家の中などが変わっていたことにも触れていました。

おじさん「これ、○○(母の名前)が退院するときに全部変えたの?」

私「自宅内は入院中にリハビリの先生が来て、手すりなど色んな指示が出され、
  取り付けたり、レンタルしたりして。
  外周りは退院後に母が出やすいように工事してもらいました」


おじさん「ほんと・・・大変だったね。
   ○○さん(継父)も居たしね。大変だったね。

   ところで、どう?○○さん。今日は会えそう?」


私「外出には手続きが必要ですし、
   たぶん施設内で会うのはプライドが許さないと思います。
   すみません、無理ですね」


おじさん「そっか、施設に入っていたら、なかなか自由に出入りは難しいね。
   でもたまには来るんでしょ?」


おばさん「いいね、○○さん(継父)が来てくれるんだね。
   うれしい?」


母「嬉しくない!!会いたくない!!」
(即答でした)

この台詞にはみんな大笑い。

おばさん「会いたくないんだね~~。だったら良かったのかな。
  まあ、○○さん(継父)には悪いけど、それでみんな幸せならね」



そうかもしれません。
無理して自宅でいても・・・、お互い怒ってばかりでしたし。


最後に、写真を撮り、母と握手して帰って行きました。


帰った後、

母「変わった。全然違う。別人だわ。
  穏やかな顔してる。変わるもんだね~~」


しみじみ、実兄の変わりように驚いていました。
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はじめに・・・

2011年04月12日 | はじめに
平成19年12月朝、母が心筋梗塞を起こし心肺停止。
医師の懸命の蘇生により、母の心臓は再び動き始めました。

喜んだのもつかの間、
以前のしっかり者の母は・・・もうそこにはいませんでした。

心肺停止の状態が長かったせいで低酸素状態で、その後遺症で記憶の部分がダメージがひどく、
過去の記憶がほとんど無くなってしまいました。


自分の産んだ子供の事は・・・消えていました。
そして、継父の事も。


残る記憶は、自分の親・兄のこと。
一部の若い頃の友人、そして私達の実の父のこと。
あと私の一人息子の孫の事。(←娘は忘れても、初孫は忘れていませんでした)


この日を境に私達家族はガラリと変化しました。


私は3姉妹の一番上。
みな姉妹は結婚し実家を出ていました。

母が発症し、実家には継父のみが残されました。
(私達姉妹の実の父は私が9歳の時に亡くなりました。)
継父は母に依存した人だったので、家事・炊事はもちろん自分のことすらも出来ない人でした。

なので、実家に継父を1人にしておく事は出来なかったので、
母の発症後すぐに私の家族が実家に入ることになりました。


実家に入ることは容易ではありませんでした。
まずは主人のこと。
主人は長男。しかも主人の両親は私達と同居を考えていました。
なので、私の実家に入る前に主人の両親に了解を得るために主人と2人で主人の実家に行きました。

姑「私達が(同居の話が)先だったのに・・・」

とチクリ。

未だに、姑は私達との同居は諦めてはいません(苦笑)


次に息子。このときは小1でした。学校を転校しなければいけません。
この子には耳にハンディがあり、片耳は難聴(補聴器使用)、もう片方は聞こえません。
小学校は特別支援学級に在籍していました。

こんな事情もあり、簡単に右から左に学校を転校と言うわけにも行かないので、
転居先の教育委員会通じて学区内の小学校に行き、1からやり直し。

新しい学校の雰囲気もよく、とても柔軟のいい先生に恵まれ、今も特別支援学級に在籍。
色々ありますが、先生の支援のおかげで元気に学校に通っています。


こんな状態でも継父は、「オレには関係ない!オレは、おっかあが居れればいい」という態度。

こんな態度なので同居初日から継父とは衝突。
母が退院して、在宅介護に切り替わっても、継父は「オレは何も出来ないから仕方がない。やってもらって当たり前!」
と自分のスタンスは変わらない。

その上、母に関しては自己流で接するので、主治医の意見なんぞ聞かない。やりたい放題。


ところでこの継父。母が発症前に私にポツリと継父の事で言った事がありました。

母「ちょっとおかしいんだよね。認知症の病院にかかった方がいいかな?」

母の入院中にも看護師さんも指摘され物忘れ外来を受診。結果、レビー+脳血管型と診断。
すぐに介護申請し、デイサービスに通うようになりました。

継父自身は嫌々の通所。
でも私としては継父と一緒に居る時間を少なくしたかった。

ほんと、継父とは色々ありました。
色々悩みましたが、私自身、精神的に参ってしまい、ケアマネさんに相談し継父をGHに入所させました。

継父の事、また過去の話はこの先、色々書いていこうと思っています。


現在、
母は私達家族と一緒に生活し、私がメインで母の介護をしています。
母は週4回デイサービスにお世話になっています。

継父は去年の10月に入所し、継父の事は三女にお願いしてあります。
私は、一切継父とは関わりを持ちたくないので(トラウマなのかもしれません)。
入所にあたっても色々ありましたが、半年が経ちました。
施設の方にお世話になっております。


こんな毎日を記録に残していこうと思っています。







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