映画を観てからもう1週間も経ってしまいました。
拙い表現力で感動を伝えられるかどうか?取り敢えず書いてみることにします。
バレエに詳しいわけではないのでセルゲイ.ポルーニンのことは全く知らなかったのですが
ヌレエフの再来と謳われ類まれなる才能と人を惹きつけずにはいられないそのカリスマ性は、彼のダンスシーンを一目見ただけで誰しもが納得する事でしょう。
ずば抜けた身体能力、優雅でありながら荒々しく激しい豊かな表現力、主役であるべき女性のソリストをも凌駕してしまうくらいの魅力があるのでは、と思うほどです。
1989年、セルゲイ.ポルーニンは、ウクライナの貧しい家に生まれます。
母親は、彼の才能を信じ、自分のすべてを彼に費やしイヤ家族をも巻き込んで彼を一流のダンサーにするためにのみ生きていく決意をします。
高額のバレエ学校への費用、さらにイギリスのロイヤルバレエ団へ留学させるための費用を工面するために
自分はもちろん、父親はポーランドへ出稼ぎに行かせ、自分の母親も他国へヘルパーとして働きに行かせます。
ロシアでは母親の厳しい監視下の元、イギリスに留学してからはロイヤルバレエ団でのつらく厳しい鍛錬にも耐えて、ひたすら最高のダンサーになる事を目指すセルゲイ。
才能があったとはいえ、何故彼はそこまで頑張れたのか、それはただ一つ、バラバラになった家族を一つにするため。
愛する父親愛する祖母を呼び戻しまた暖かい家庭を取り戻すため。
それなのに、両親は彼が16歳の時にあっけなく離婚してしまうのです。
目的を失った彼は、心が崩壊しどうして踊らなければならないのかどうやってこの厳しい日々に耐えて行けばよいのか分からなくなり、生活は荒れていきます。
しかし、16歳の少年には踊ること以外なすすべもなく、有り余る才能は花開き19歳で最年少のプリンシパルとして華々しくデビューします。
バレエダンサーなら誰もがうらやむ地位を手に入れても、満たされない空虚な心
映画の中で「両親が離婚したときに心を閉ざしたんだ、もう二度と愛するものを持たないと心に堅く誓ったんだ。」と言っています。
プリンシパルとなって、人気はうなぎのぼり、誰もが熱狂するのですが
荒れ果てた心を持て余し、薬に手を出し、体中に刺青を入れ反抗的な態度を繰り返すセルゲイ。
自分で選び取った人生ではなく、母親に言われるがままに生き方を決めてしまったからなのか、踊る理由が見つからずに彼は22歳にしてプリンシパルの地位を捨てロイヤルバレエ団を退団してしまいます。
「もう、バレエはやめる。」
幾度となく彼の口から出るこの言葉。
映画を観ながら、マイケルジャクソンを思い出してしまいました。
物心つかないうちから、父親の命令でジャクソン5として音楽活動を始め、学校にも行かず友達と遊ぶこともない子供時代を送ったマイケルは
〈自分には子供時代と言うものが存在しなかった、与えてくれなかった父を憎んでいる〉
また、コンサートに関しても何度も何度も〈これでおしまい二度とコンサートはしない〉と発言しています。(それでも、結局は音楽に戻っていくのですが)
セルゲイ.ポルーニンにも、厳しかった母親を憎んでいる部分がありました、その証拠にロイヤルバレエ団にいる間、一度も母親を招待しなかったのです。
一時ふらふらとしていたセルゲイは、意を決してロシアに戻ります。
そこで、人生の師であるイーゴリ.ゼレンスキーと出会い再び踊る意義を見出し、しばらくは踊りに没頭するのですが
2年も過ぎるとまた空虚感が頭をもたげ、同じことの繰り返しの毎日が苦痛になってくるのです。
「やはりもう踊ることはきっぱりと終わりにする、そして新たな道を求めて、演技者になろう。」
そう決心したセルゲイは、ロイヤルバレエ団にいた頃の友人に「最後に思いを込めて踊りたい曲があるんだ〈Take me to Church〉、いい曲だよ。振付してくれないか。」と頼みます。
1日9時間かけて5日間で撮影したそのダンスは、YouTubeにあげられ2000万回以上再生され、セルゲイを知らなかった人たちをも熱狂の渦に巻き込み
その踊りを真似する子供たちの動画もいくつもあげられるほどの反響があったのです。
セルゲイはインタビューでこの〈Take me to Church〉を踊った時のことをこう語っています。
ーこれで何もかも終わりなんだと言う気持ち、臨終の感覚のようななかで踊っていると、自分の中のもやもやとした霧の中のようなものが少しづつ晴れていくような気がした。
空っぽになって、感情の赴くまま踊りました。
すると、僕が捨て去ろうとしているものの事ばかりが頭に浮かんで、とても悲しかった。
それで思ったんです。僕は何かを見失っているのかもしれない、と。
踊りを続けながら業界を変えていくことも出来るんじゃないか?と思いました。-
改めて、踊ることを愛している自分に気づきYouTubeの反響で、自分の踊りが人々に何か与えることが出来るんじゃないかと感じたセルゲイ。
苦しむことあがくことにより、また、一度死(踊りを辞めると言う)を体験し、一歩高みに上ることが出来たセルゲイ。
現在は、過酷なダンサーたちの環境を変えるためにダンサーにも発言権を与えられるようにするためにダンサーを支援する〈プロジェクト.ポルーニン〉を立ち上げ
ダンスに俳優にと自分らしい自在な活動を目指し邁進しているようです。
映画の最後のバレエ公演では、父親、母親、祖母を招待し自分の成長を見てもらい、今の自分は家族のお蔭で存在している、と感謝の言葉を述べていました。
家族が皆笑顔で彼を祝福し、やっと彼の心は満たされたのではないでしょうか。
おばあちゃんが彼に「素晴らしかったわ、セルゲイ、本当にごめんなさい。」と言っていた言葉が印象的でした。
彼は、成長過程で母親を恨みこんな自分にした事を母親に謝ってもらいたい、と語っていました。
おばあちゃんは、何となく厳しい道を歩ませてしまったセルゲイを可哀想に思っていたのかもしれませんね。
そんなおばあちゃんに、
「どうして謝るの?」と、穏やかに微笑みながら答えるセルゲイの姿も素敵でした。
バレエをしていない人にも、人として成長すると言う事がどういう事かと言う事が明確にわかる素晴らしい映画ですので、沢山の方に観に行ってもらえたら、と思いました。
PS,ロイヤルバレエ団にいた頃の事ですが、バレエ界は規律が厳しく、旅行はダメ(ウクライナにも一度も帰れなかった)、TV出演もダメ、週六日一日のほとんどをバレエに費やしても
自分の部屋さえ借りることが出来ないほどの給料だったそうです。
あの華やかな世界の裏側は、過酷な状況が、、
バレエ界を変えたくなる気持ちがよく分かりますね。


体中に刺青が

舞台に出る前には、心臓の薬、活力が出る薬、痛み止めを飲んでから出るそうです。

子供の頃を映したホームビデオもふんだんに使われていました。
Take me to Church
クラシックバレエのドン・キホーテを踊るセルゲイ、 美し過ぎる。
拙い表現力で感動を伝えられるかどうか?取り敢えず書いてみることにします。
バレエに詳しいわけではないのでセルゲイ.ポルーニンのことは全く知らなかったのですが
ヌレエフの再来と謳われ類まれなる才能と人を惹きつけずにはいられないそのカリスマ性は、彼のダンスシーンを一目見ただけで誰しもが納得する事でしょう。
ずば抜けた身体能力、優雅でありながら荒々しく激しい豊かな表現力、主役であるべき女性のソリストをも凌駕してしまうくらいの魅力があるのでは、と思うほどです。
1989年、セルゲイ.ポルーニンは、ウクライナの貧しい家に生まれます。
母親は、彼の才能を信じ、自分のすべてを彼に費やしイヤ家族をも巻き込んで彼を一流のダンサーにするためにのみ生きていく決意をします。
高額のバレエ学校への費用、さらにイギリスのロイヤルバレエ団へ留学させるための費用を工面するために
自分はもちろん、父親はポーランドへ出稼ぎに行かせ、自分の母親も他国へヘルパーとして働きに行かせます。
ロシアでは母親の厳しい監視下の元、イギリスに留学してからはロイヤルバレエ団でのつらく厳しい鍛錬にも耐えて、ひたすら最高のダンサーになる事を目指すセルゲイ。
才能があったとはいえ、何故彼はそこまで頑張れたのか、それはただ一つ、バラバラになった家族を一つにするため。
愛する父親愛する祖母を呼び戻しまた暖かい家庭を取り戻すため。
それなのに、両親は彼が16歳の時にあっけなく離婚してしまうのです。
目的を失った彼は、心が崩壊しどうして踊らなければならないのかどうやってこの厳しい日々に耐えて行けばよいのか分からなくなり、生活は荒れていきます。
しかし、16歳の少年には踊ること以外なすすべもなく、有り余る才能は花開き19歳で最年少のプリンシパルとして華々しくデビューします。
バレエダンサーなら誰もがうらやむ地位を手に入れても、満たされない空虚な心
映画の中で「両親が離婚したときに心を閉ざしたんだ、もう二度と愛するものを持たないと心に堅く誓ったんだ。」と言っています。
プリンシパルとなって、人気はうなぎのぼり、誰もが熱狂するのですが
荒れ果てた心を持て余し、薬に手を出し、体中に刺青を入れ反抗的な態度を繰り返すセルゲイ。
自分で選び取った人生ではなく、母親に言われるがままに生き方を決めてしまったからなのか、踊る理由が見つからずに彼は22歳にしてプリンシパルの地位を捨てロイヤルバレエ団を退団してしまいます。
「もう、バレエはやめる。」
幾度となく彼の口から出るこの言葉。
映画を観ながら、マイケルジャクソンを思い出してしまいました。
物心つかないうちから、父親の命令でジャクソン5として音楽活動を始め、学校にも行かず友達と遊ぶこともない子供時代を送ったマイケルは
〈自分には子供時代と言うものが存在しなかった、与えてくれなかった父を憎んでいる〉
また、コンサートに関しても何度も何度も〈これでおしまい二度とコンサートはしない〉と発言しています。(それでも、結局は音楽に戻っていくのですが)
セルゲイ.ポルーニンにも、厳しかった母親を憎んでいる部分がありました、その証拠にロイヤルバレエ団にいる間、一度も母親を招待しなかったのです。
一時ふらふらとしていたセルゲイは、意を決してロシアに戻ります。
そこで、人生の師であるイーゴリ.ゼレンスキーと出会い再び踊る意義を見出し、しばらくは踊りに没頭するのですが
2年も過ぎるとまた空虚感が頭をもたげ、同じことの繰り返しの毎日が苦痛になってくるのです。
「やはりもう踊ることはきっぱりと終わりにする、そして新たな道を求めて、演技者になろう。」
そう決心したセルゲイは、ロイヤルバレエ団にいた頃の友人に「最後に思いを込めて踊りたい曲があるんだ〈Take me to Church〉、いい曲だよ。振付してくれないか。」と頼みます。
1日9時間かけて5日間で撮影したそのダンスは、YouTubeにあげられ2000万回以上再生され、セルゲイを知らなかった人たちをも熱狂の渦に巻き込み
その踊りを真似する子供たちの動画もいくつもあげられるほどの反響があったのです。
セルゲイはインタビューでこの〈Take me to Church〉を踊った時のことをこう語っています。
ーこれで何もかも終わりなんだと言う気持ち、臨終の感覚のようななかで踊っていると、自分の中のもやもやとした霧の中のようなものが少しづつ晴れていくような気がした。
空っぽになって、感情の赴くまま踊りました。
すると、僕が捨て去ろうとしているものの事ばかりが頭に浮かんで、とても悲しかった。
それで思ったんです。僕は何かを見失っているのかもしれない、と。
踊りを続けながら業界を変えていくことも出来るんじゃないか?と思いました。-
改めて、踊ることを愛している自分に気づきYouTubeの反響で、自分の踊りが人々に何か与えることが出来るんじゃないかと感じたセルゲイ。
苦しむことあがくことにより、また、一度死(踊りを辞めると言う)を体験し、一歩高みに上ることが出来たセルゲイ。
現在は、過酷なダンサーたちの環境を変えるためにダンサーにも発言権を与えられるようにするためにダンサーを支援する〈プロジェクト.ポルーニン〉を立ち上げ
ダンスに俳優にと自分らしい自在な活動を目指し邁進しているようです。
映画の最後のバレエ公演では、父親、母親、祖母を招待し自分の成長を見てもらい、今の自分は家族のお蔭で存在している、と感謝の言葉を述べていました。
家族が皆笑顔で彼を祝福し、やっと彼の心は満たされたのではないでしょうか。
おばあちゃんが彼に「素晴らしかったわ、セルゲイ、本当にごめんなさい。」と言っていた言葉が印象的でした。
彼は、成長過程で母親を恨みこんな自分にした事を母親に謝ってもらいたい、と語っていました。
おばあちゃんは、何となく厳しい道を歩ませてしまったセルゲイを可哀想に思っていたのかもしれませんね。
そんなおばあちゃんに、
「どうして謝るの?」と、穏やかに微笑みながら答えるセルゲイの姿も素敵でした。
バレエをしていない人にも、人として成長すると言う事がどういう事かと言う事が明確にわかる素晴らしい映画ですので、沢山の方に観に行ってもらえたら、と思いました。
PS,ロイヤルバレエ団にいた頃の事ですが、バレエ界は規律が厳しく、旅行はダメ(ウクライナにも一度も帰れなかった)、TV出演もダメ、週六日一日のほとんどをバレエに費やしても
自分の部屋さえ借りることが出来ないほどの給料だったそうです。
あの華やかな世界の裏側は、過酷な状況が、、
バレエ界を変えたくなる気持ちがよく分かりますね。


体中に刺青が

舞台に出る前には、心臓の薬、活力が出る薬、痛み止めを飲んでから出るそうです。

子供の頃を映したホームビデオもふんだんに使われていました。
Take me to Church
クラシックバレエのドン・キホーテを踊るセルゲイ、 美し過ぎる。