だーばぁの流儀

児童文学作家・岡田なおこブログです。
全身マヒ+オストメイト・作家・アラ還ならではの日々を気ままにつづっています。

14才の頃~“喜怒哀楽”がMAXだったのかもね (^_-)

2017年11月17日 | 日記
気になっている「宿題」

過日ココにーーー養護学校(現・支援学校)に行って来ました。云々・・・
        子ども時代のことに触れたい気持ちもあるけれど、「封印しておきたい」とも思います。ーーー

こんなふうにチョイト書いてから、「宿題」を背負ってしまった気分でおります、ワタクシメ。

考えてみると・・・養護学校卒業後、普通校に進み、そこでのドラマはデビュー作「薫Ing」に描きましたが、
それ以前のことは作品として残していませんわぁ。
「養護学校時代」を否定してるわけじゃないし、インクルーシブ教育推進派でもないですよー、ワタクシメ。
むしろ「養護学校時代」に培った力で乗りこえられたこともたくさんあります。

ただねー、
「いいこと」ばかり描くとまっ赤なウソになるし、
「悪いこと」から斬りこんでいくと、かなり悲惨な非人道的なことも書かなければなりません。
両者のバランスを取りつつ、人様に読んでいただける形にする筆力がワタクシメにはないと思うのです。

障がい当事者でご自身の体験談を書かれている方は大勢いますが・・・イマイチ「私家版レベル」なんですよ~。
私家版で出すと、「記録」とか「想い出」止まりになりがちです。
本当に第三者の目で、障がい児が味わった「悲喜こもごも」をみつめ直し、えぐり出し、後世に遺るモノを創るのはむずかしいです。

だから、ブログにはサワリのサワリだけ、少し(笑)書くことにします。
それで「宿題を片付けた」ということで・・・ペコペコ・ペコペコ <(_ _)> <(_ _)> <(_ _)>
自分で自分に謝っちゃいます(苦笑)



思春期の頃「障がい」も思春期だったんです

ワタクシメが就学する前年度まで、障がい児には「就学猶予」という制度がありました。
現在放映中の「トットちゃん」。
世界的に有名な物語ですから皆さんご存知でしょうが、トットちゃんが小学校を退学になるところから始まります。
「おかしい」と思いませんか!
「義務教育」を受けさせてもらえなかったなんて。
黒柳徹子さんは何らかの障がいをお持ちだったと推測できます。
トットちゃんのような「???」ではなく、「障がい」が明白な子どもの多くは、小学校から門前払いされました。

その後、制度も変わったし、社会も変わりつつありましたが、
障がい児や親には「入れていただいて有り難い」と学校側に頭が上がらない雰囲気もありました。
逆に学校側には「教育を受けさせてあげている」といった意識もあったように感じます。

ワタクシメは就学前に「療育施設」に入所していましたが、そこでのエピソードはエッセイネタにもしていません。

療育施設から養護学校時代にかけて、健常児の親がするように我が子のために自己主張し、施設や学校に物申していたのは、
なおちゃんのママとパパ+お祖母ちゃんだけだったのです((笑・汗)

ワタクシメの保護者が今でいう「モンスターペアレンツ」ではありません。
例えば、
「機能訓練」だけでは体に負担が掛かるからと、マッサージを受けさせてくれれば、
「マッサージなんか無駄なんだ。意味がない。いくら払うの? なおちゃんの親は間違えているから『イヤ』と言いなさい」と、
機能訓練の時間中ずーっと言ってるんですよ。
「マッサージが必要だと思うなら、親がマッサージしてあげなさい」と言う先生もいました。

ーーこんなの序の口。

初潮の時期に、
「生理の日はお母さんに付き添ってもらいなさい。
 それが無理なら学校を休みなさい」と、女性教師に言われた憎悪は一生忘れないですね。
「女性教師」だからこそ教えらにれる性教育があるはずなのに、「トイレ介助は先生の仕事じゃない」と言いましたからね。

真剣に「障がい児教育」を模索している先生もいたから、非難めいたことだけ書いては申し訳ないんですがー、
どうしても・・・恨みつらみが先に出てしまうんですよ(ノД`)・゜・。

オバンになった今でも、その頃のことをかいていると息苦しくなるので「ネタ」にできないのです。



自分の反省として、「苦しかった」こと

「障がい」はそれぞれ異なるので比べられないのですが、総体的にワタクシメは「軽度」でした。
となると、「なおちゃんは重度の子に対する思いやりが足りない」が飛んでくるようになったんです。

仲間同士助け合って学校生活を送っていたんですけどね。
そういう「教育的指導」もされました。
この件は・・・「なんで私だけ?」と不満がふくらみました。

「教育的指導」をしてくれた先生は「好きな先生」でした。
でも同じ教員同士の足並みがそろっていなかったと言いますか・・・
「私に注意する前に、生徒をイジメる先生をなんとかしろよ!」と腹が立ち、素直に「教育的指導」を受けられませんでした。、

後に「普通校」に進んでからは、逆にワタクシメが居るために周りの友達が「教育的指導」をされているんじゃないかと心配になり、
妄想がふくらんで、ひねくれた時期もあった気がします。


それもこれも「思春期・多感な年頃」ゆえのもやもやなのでしょう~゜・_・゜~
すべての感情がMAXで、「記憶」になっていないのかも知れません。



写真も残っていないので・・・ワタクシメっぽいイラストを探してきましたぁ(涙)


こういう場合、言葉ではなく写真なんぞ載せたいところですが、14才前後の写真はありませんのよ。
間違えて捨てちゃいました。
いつ、だれが捨てたのかも不明ですが、気がついたら、写真が、ありませんでした。

「写真を入れておいた箱がない」とわかった時は呆然としましたが、それも神の仕業かも知れません。
笑顔と同じだけ「憎しみ」「悔しさ」「悲しみ」が写っているわけですから、「カタチ」で残らない方がいいのでしょう。
ワタクシメの脳裏には、ギギギギギーッと刻まれていますからね。

当時のワタクシメっぽいイラストでwwwオシマイ。。。


  

コメント
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