コロナウイルの感染は広がるばかり⤵
外出は自粛。
テレビもおもしろくないし・・・
春だからか(?)、眠いです、ワタクシメ。
眠気も含め、滅入っています😢
今朝方、ヘンな夢を見ました。
我が家の周りの家が全部取り壊されているんです。
古いお家も、
最近建ったペンハウスも。
家のリフォームを考えていたからかも知れません。
「早く工事を始めてほしいけど、こんな時期に人の出入りが増えるのはイヤだなー」とか。
それから、ヘルパーさんの入れ替わりも、ちょっとは関係しますかねー。
365日、ロングでヘルパーに入ってもらっていると、いろいろ・・・あります。
幸い今いるヘルパーさんたちとは相性が良いのですが、自分の都合だけで「人」を選ぶと、人間関係が破綻します。
ヘルパーの健康や精神状態も含めて、「支援体制」を組み立てるのが、ワタクシメの信条ですが、
生身の人間同士だから、気持ちのすれ違いや誤解などなども生じて、「支援体制」を変えざるを得ないこともあります。
「コロナ騒動」の最中にバタバタしたくはないですが、ワタクシメもヘルパーも何となく疲弊しているから、
「あえて、今、人を変えるのがいいのかなー」と、思い切った決断をしました。
不自由を強いられている時だから、こそ ●~*
日頃できない「案件」に向き合おうかと思っているのであります。
だから、我が家の周りが更地になっている夢を見たかも知れませんね(^_-)
前向きに生きるしかないけど、「滅入る気持ち」は続きますわね~。
東京都慰霊堂のこと
このことも先月から「BLOGネタ」にしようと思って、後回しにしていたので、
「焼け野原になった東京」が脳裏にチラチラして、ヘンな夢につながった気もします _(_^_)_
コロナウイルスが広がったと言われている3月の三連休前後、ワタクシメはオヤジ様とドライブしていました。
と言っても、母上との思い出の場所を走っていただけで、車からはほとんど降りていませんよ!
ドライブで立ち寄った所に「東京都慰霊堂」があります。
東京都慰霊堂は東京都墨田区横網の横網町公園内にある慰霊施設。
1930年に関東大震災の身元不明の遺骨を納め、死亡者の霊を祀る震災記念堂として創建されましたが、
1948年3月10日の東京大空襲の犠牲者、身元不明の遺骨を納め、死亡者の霊を合祀して、1961年に現在の姿となりました。
母上は下町っ子でしたが、戦時中は田舎に疎開していて助かりました。
しかし東京に残った父親は大空襲の犠牲となり、ここに眠っています。
「死者 10万人以上」と言われる空襲は、どんな生き地獄だったのでしょう。
ワタクシメが幼い頃は大バーに連れられ、家族で毎年おまいりに行きましたが、
母上はよく「空襲のことを考えるだけでかなしくて苦しくなる」と言い、だんだん足が遠のいていました。
「街の薄皮」 木ノ下裕一 3/12 東京新聞
ちょうど「東京都慰霊堂」のことを取りあげたコラムが目に留まりました。
・・・j街のの薄皮を一枚めくると、あまたの犠牲者の魂たちがこちらをのぞいているに違いない。
世界的に広がっしまったウイルスに、もしかしたら自分も感染しているかもしれません。
誰もが「街の薄皮」の下に葬られる可能性を持っています。
様々な悲しい歴史を知っているのに・・・ワタクシメたちは無力です。
「無力」ゆえに始められることを実践していくしかない、です、ね。
外出は自粛。
テレビもおもしろくないし・・・
春だからか(?)、眠いです、ワタクシメ。
眠気も含め、滅入っています😢
今朝方、ヘンな夢を見ました。
我が家の周りの家が全部取り壊されているんです。
古いお家も、
最近建ったペンハウスも。
家のリフォームを考えていたからかも知れません。
「早く工事を始めてほしいけど、こんな時期に人の出入りが増えるのはイヤだなー」とか。
それから、ヘルパーさんの入れ替わりも、ちょっとは関係しますかねー。
365日、ロングでヘルパーに入ってもらっていると、いろいろ・・・あります。
幸い今いるヘルパーさんたちとは相性が良いのですが、自分の都合だけで「人」を選ぶと、人間関係が破綻します。
ヘルパーの健康や精神状態も含めて、「支援体制」を組み立てるのが、ワタクシメの信条ですが、
生身の人間同士だから、気持ちのすれ違いや誤解などなども生じて、「支援体制」を変えざるを得ないこともあります。
「コロナ騒動」の最中にバタバタしたくはないですが、ワタクシメもヘルパーも何となく疲弊しているから、
「あえて、今、人を変えるのがいいのかなー」と、思い切った決断をしました。
不自由を強いられている時だから、こそ ●~*
日頃できない「案件」に向き合おうかと思っているのであります。
だから、我が家の周りが更地になっている夢を見たかも知れませんね(^_-)
前向きに生きるしかないけど、「滅入る気持ち」は続きますわね~。
東京都慰霊堂のこと
このことも先月から「BLOGネタ」にしようと思って、後回しにしていたので、
「焼け野原になった東京」が脳裏にチラチラして、ヘンな夢につながった気もします _(_^_)_
コロナウイルスが広がったと言われている3月の三連休前後、ワタクシメはオヤジ様とドライブしていました。
と言っても、母上との思い出の場所を走っていただけで、車からはほとんど降りていませんよ!
ドライブで立ち寄った所に「東京都慰霊堂」があります。
東京都慰霊堂は東京都墨田区横網の横網町公園内にある慰霊施設。
1930年に関東大震災の身元不明の遺骨を納め、死亡者の霊を祀る震災記念堂として創建されましたが、
1948年3月10日の東京大空襲の犠牲者、身元不明の遺骨を納め、死亡者の霊を合祀して、1961年に現在の姿となりました。
母上は下町っ子でしたが、戦時中は田舎に疎開していて助かりました。
しかし東京に残った父親は大空襲の犠牲となり、ここに眠っています。
「死者 10万人以上」と言われる空襲は、どんな生き地獄だったのでしょう。
ワタクシメが幼い頃は大バーに連れられ、家族で毎年おまいりに行きましたが、
母上はよく「空襲のことを考えるだけでかなしくて苦しくなる」と言い、だんだん足が遠のいていました。
「街の薄皮」 木ノ下裕一 3/12 東京新聞
ちょうど「東京都慰霊堂」のことを取りあげたコラムが目に留まりました。
・・・j街のの薄皮を一枚めくると、あまたの犠牲者の魂たちがこちらをのぞいているに違いない。
世界的に広がっしまったウイルスに、もしかしたら自分も感染しているかもしれません。
誰もが「街の薄皮」の下に葬られる可能性を持っています。
様々な悲しい歴史を知っているのに・・・ワタクシメたちは無力です。
「無力」ゆえに始められることを実践していくしかない、です、ね。