今朝の新聞に柳屋本店が移転閉店とありました。 開店したあたりから通って食べていました。威勢が良いと言うか強面のご主人とまだ若かった奥さんの笑顔とで二人三脚で店を切り盛りしていました。
今や柳屋の定番のキムチ納豆がある意味何かラーメンとは別な物別の未体験の食べ物でした。
大通りだと近くにはしょうゆラーメンの日光軒がありました。ここのチャーシューは絶品でした。チャーシュー麺の大盛りに小ライスお新香(キムチ)をつけて食べるのが定番でした。 少し離れた場所には札幌みそラーメンのえぞっこだったかが、ありました。シンプルな素のみそラーメンがあり、野菜みそラーメンが好きでこれにも小ライスをつけて食べるのが定番でした。
そこに知り合いから教えられのが柳屋でした。セブンティーンだから1977年でした。
その柳屋が開店した1年後くらいに初めてあのキムチ納豆ラーメンと出会いました。
しばらくはキムチ納豆ラーメンにはまりラーメントライアングルではありませんけど…(笑)この三店のラーメンを交互に食べわけていました。
今あるのは柳屋と確か息子がえぞっこを引き継ぎピリカで再出発したと風のうわさで聞きました。
その柳屋の息子たちが独立して川徳の前や医大の前の一等地にラーメン屋さん次々に立ち上げました。ことごとく次々に無惨にもつぶれました。確かに食べには行きましたが…(笑)
けっきょく偉大な父親の門弟に下り柳屋の後を継いだようです。
俺からすると偉大なのは母親でした。二人三脚から脱却し彼女が厨房に立つようになりました。正直あのころはラーメン屋さんの厨房では女性はまだ珍しかったです。
ちなみにえぞっこは女性店主が鍋をふるっていました。
それが、旦那の作る麻婆納豆ラーメンより次にはまった奥さんの作る麻婆納豆ラーメンの方が断然美味しかったです。
郊外やはてはベトナムとその行きよいの衰えを知らない柳屋になるようでした。しかしこのコロナウイルスには勝てなかったようでした。
もうたぶん食べには行かないかなぁ…ある意味若者向けのラーメンになり還暦を向かえるおじいさんにはこい味にしてもあの量にしても考えただけで満腹になりました。
柳屋の奥さん美味しいラーメンをありがとうございました。そして長い間ご苦労様でした。
今や柳屋の定番のキムチ納豆がある意味何かラーメンとは別な物別の未体験の食べ物でした。
大通りだと近くにはしょうゆラーメンの日光軒がありました。ここのチャーシューは絶品でした。チャーシュー麺の大盛りに小ライスお新香(キムチ)をつけて食べるのが定番でした。 少し離れた場所には札幌みそラーメンのえぞっこだったかが、ありました。シンプルな素のみそラーメンがあり、野菜みそラーメンが好きでこれにも小ライスをつけて食べるのが定番でした。
そこに知り合いから教えられのが柳屋でした。セブンティーンだから1977年でした。
その柳屋が開店した1年後くらいに初めてあのキムチ納豆ラーメンと出会いました。
しばらくはキムチ納豆ラーメンにはまりラーメントライアングルではありませんけど…(笑)この三店のラーメンを交互に食べわけていました。
今あるのは柳屋と確か息子がえぞっこを引き継ぎピリカで再出発したと風のうわさで聞きました。
その柳屋の息子たちが独立して川徳の前や医大の前の一等地にラーメン屋さん次々に立ち上げました。ことごとく次々に無惨にもつぶれました。確かに食べには行きましたが…(笑)
けっきょく偉大な父親の門弟に下り柳屋の後を継いだようです。
俺からすると偉大なのは母親でした。二人三脚から脱却し彼女が厨房に立つようになりました。正直あのころはラーメン屋さんの厨房では女性はまだ珍しかったです。
ちなみにえぞっこは女性店主が鍋をふるっていました。
それが、旦那の作る麻婆納豆ラーメンより次にはまった奥さんの作る麻婆納豆ラーメンの方が断然美味しかったです。
郊外やはてはベトナムとその行きよいの衰えを知らない柳屋になるようでした。しかしこのコロナウイルスには勝てなかったようでした。
もうたぶん食べには行かないかなぁ…ある意味若者向けのラーメンになり還暦を向かえるおじいさんにはこい味にしてもあの量にしても考えただけで満腹になりました。
柳屋の奥さん美味しいラーメンをありがとうございました。そして長い間ご苦労様でした。